東京神社巡り | 都内最大級の伊勢神宮勧請神社 ― 阿佐ヶ谷神明宮 ―
阿佐ヶ谷神明宮(あさがやしんめいぐう)は、東京都杉並区に鎮座する神社で、日本で唯一の「八難除(はちなんよけ)」のご祈祷を行うことで知られています。伊勢神宮と縁が深く、都内最大級の伊勢神宮勧請(かんじょう)の神社として、年間数十万人の参拝者が訪れます。

日本唯一の「八難除」
「八難除」とは、厄年や方位除け、さらには人生のあらゆる災難を取り除くという特別なご祈祷です。

御祭神
皇室の御祖神であり、太陽神でもある天照大御神(アマテラスオオミカミ) をお祀りしています。天照大御神は、我が国で最も貴く、国家の最高神とされています。

アマテラスは、国土の創造神であるイザナギが、黄泉の国に下ったイザナミと別れ、黄泉の穢れを洗い流した際に、左目を洗ったときに誕生したとされています。このとき右目から生まれたツクヨミ、鼻から生まれたスサノオと共に、三貴子と呼ばれます。このときイザナギは天照大御神に高天原を治めるように指示し、最高神となりました。

本殿(主祭神)
天照大御神(太陽神、国家の最高神)

摂社(右)月読命(月神)
摂社(左)須佐之男命(海神・厄除け)

ご利益
八難除(八方除・厄除)、開運、縁結び、心身浄化

成り立ち
寛政12年(1800年)に著された『江戸名所図会』によると、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の帰途阿佐谷の地で休息し、後に尊の武功を慕った村人が旧社地(お伊勢の森と称される現在の阿佐谷北5丁目一帯)に一社を設けたのが当宮の始まりといわれております。

建久年間(1190~1198年)には土豪横井兵部(一説には横川兵部)が伊勢神宮に参拝したおり、神の霊示を受け、宮川の霊石を持ち帰り神明宮に安置したと伝えられ、この霊石は今も御神体として御本殿の奥深く鎮っております。 江戸時代から庶民の信仰が篤く、その一端を示す「内藤新宿仲下旅籠中仲下茶屋中」の文字が刻まれた文政十一年(1828年)の銅製の三本御幣が奉納されています。

御幣(ごへい)とは、神道の祭祀で用いられる神祭用具の一つで、木や竹の棒(幣串)に「紙垂(しで)」と呼ばれる独特な形の紙や布を挟んだものです。

境内末社・猿田彦神社 道開きの詣

毎年5月3日〜5日の3日間、限定の「開運道ひらき詣」が開催されます。この期間は猿田彦神社の御扉が特別に開かれ、朝9時からの祭典で、人生や事業の方向を導く「みちひらき」のご利益が授かれます。

北野神社(末社)
菅原道真公を祀り、合格祈願の鳥居があることで知られています。

阿佐ヶ谷神明宮の能楽殿(能殿)
境内には立派な能舞台があり、例大祭などの行事の際には奉納芸能が行われます。

2009年の「平成の大改修」の際に新設された、境内でもひときわ目を引く美しい木造建築です。伝統的な様式を保ちつつ、現代的な感性も取り入れられており、単なる儀式の場を超えて「和の伝統文化の発信基地」としての役割を担っています。

阿佐ヶ谷について
地名の由来は桃園川の浅い谷地であった事に由来しているとされ、中世には阿佐ヶ谷氏と呼ばれる一族が支配した阿佐ヶ谷村と呼ばれていました。 阿佐谷の地名は伝統的には「阿佐ヶ谷」なのですが、昭和38年に住居法により、「阿佐谷」に統一されました。そのため、住所としては「阿佐谷」、駅や一般名称としては「阿佐ヶ谷」が使用されています。

大正時代の関東大震災後から昭和にかけて都心や下町から井伏鱒二をはじめ、与謝野晶子、太宰治、青柳瑞穂、伊馬春部、三好達治、火野葦平、徳川夢声など文人が住み、阿佐ケ谷文士村と言われました。今でも書店・古書店が多く文化の高い町であります。

御朱印
手書きで対応いただけました。
「阿佐ヶ谷神明宮」と「摂社 月読社」(初穂料300円+300円)をいただきました。ちょうど「道開き詣」の期間だったので猿田彦様のスタンプが押してありました。

刺繍入り御朱印
「大和がさね」
美濃和紙に繊細な刺繍を施した御朱印符で、全国に先駆けて開発されました。季節ごとに「桜」「紫陽花」「紅葉」などデザインが変わります。特別御朱印符4月25日より『藤』および『こいのぼり』の「大和がさね」が頒布されています(無くなり次第終了)。
『藤』(大和がさね) 初穂料 1,000円

『 こいのぼり』(大和がさね) 初穂料 1,000円

ドクターイエローと桜の御朱印

ブレスレット型守り「神むすび」
最終工程を神職が奉製するレース素材のブレスレット型お守りで、その美しさから女性に非常に人気があります。

