見出し画像

改訂版/山口冨士夫とよもヤバ話    第2話『高円寺、BOØWYが去ったあとのスタジオ』

カスヤトシアキ/記
サミー前田/文
写真/カスヤトシアキ・サミー前田

1984年の高円寺駅前

1984年の高円寺駅前は、
今より少し肩の力が抜けていた。
 
行き交う人々のリズムも、
今より心なしか
ファンキーだったような気がする。
 
南口へ向かう人の流れの先には、
古着屋や喫茶店、小さな飲み屋が
肩を寄せ合うように並んでいた。
 
今はどうだかわからないが、
80年代の駅周辺には
さまざまな政治団体や活動家の拠点があり、
ヘルメットや迷彩服をスーツに着替え、
駅前でビラ配りをしていた。
 
その中の一人と目が合った。
 
“知り合いの先輩だ!”
 
自分の名前を背中で聞きながら、
僕は南口の高架沿いを逃げるように西へ歩き、
待ち合わせしていた建物へ向かった。
 
…………………………………………………………

前触れなしの資金調達


「今週中に150万円必要なんだけど」
 
冨士夫の電話はいつだって唐突だった。
 
理由は不明だけど速攻で断ろうと思い、
その夜の予定を全て流し高円寺に出向いた。
 
約束した場所には小さな灯りがあった。
ガラス越しのスペースに
談笑する冨士夫の姿が映る。
 
「こんばんは、お邪魔します。」
 
多分、僕は暗闇の中から明るく登場したと思う。
 
ここで僕は誰かと対面するのだが、
それが誰だか定かではない。
 
僕はこれまでずっと、その相手がT氏(BOØWYのマネージャー)だと思い込んでいた。BOØWYが新宿LOFT2日間をいっぱいにしたという話をしながら、「これを機に、大手の事務所に移るんですよ!」という話を聞いていたシーンが頭のどこかに残っているのだ。そこにメンバー4人が事務所に何かを取りに来て、笑顔で挨拶をされた記憶がある。その時の氷室氏を見て、“かっこいいなぁ”って思った映像も頭の中にあるのだ。
 
でも、それはこの日じゃなかったのかも知れない。
まだBOØWYの事務所が1階にあり、地下が『ロケット・ソケット』というスタジオだった頃に、冨士夫と一緒に尋ねたシーンが頭に残っていたのかも。
 
ここで、サミー前田がFacebookに寄せた文章を紹介してみる。
 
<そもそもここ(スタジオ)は、1984年に物件ごと借りたもの。元々はヒムロックと布袋さん擁する人気バンドのボウイの事務所が一階で地下が練習スタジオだった。事務所ではTシャツとか売っていたような。隣の隣が「アミナダブ」という中古盤屋で、そこで自分がバイトしていたこともあったので、ボウイ事務所が引越して空いたという情報を聞きつけて、それを山口冨士夫&タンブリングスのスタジオにしようと企んだのだ。ボウイとは交流はなかったが、マネージャーの土屋さんという人が阿佐ケ谷駅前でミントというバーも経営していて、誰かに紹介してもらったことがある。布袋さんは目立つから、高円寺で自転車に乗る布袋さんと何度もすれちがった(約30年後、まさかローリング・ストーンズの東京公演にゲストでギターを弾くとは!)。> 
 
ということは、
サミーがスタジオの隣りの隣りでバイトしていて、
「スタジオのスペースが空いたよ」
って冨士夫に進言して、
「今週中に150万円必要なんだけど」
って僕が突然に冨士夫から言われる。
という流れなのだ。
 
うむ、当時のサミーが
この話(スタジオが空いた話)を、
僕に言わずに冨士夫に伝えるところがさすがだと思う。
なぜならば、僕が聞いたら速攻で断るからだ。
冨士夫は小躍りして欲しがるに決まっている。
そこらへんを使い分ける策士の片鱗は
この頃からあったんだなと感心した。
 
このサミーのFacebookを
ヒデ(小林秀也/ex.TUMBLINGS)も見て、
サミー宛にコメントしている。
 
<おれも初耳や!お二人には感謝やね!一階が事務所で横が中古レコード屋やったんや、知らんかったな、それだけ音に没頭しとったんやな!そのおかげで、フジオの曲ほとんどこの地下で出来たようなもんや!地下でジャムってそのテープを部屋で聞く!それの繰り返しや!フジオはスタジオこもるの好きやったからな、徹夜当たり前やから、鍛わりましたわ!>
 
なんて、ヒデも当時を振り返っている。
 
ところで、こういった一連の流れで
スタジオを借りたんだが、
それじゃあ、冨士夫から呼び出された日、
僕が対峙した人物はいったい誰だったのだろう?
 
彼は僕に「冨士夫のためにスタジオを借りてくれ」
と頼み込んできた。
 
話の流れに対して
小刻みに頷いていた冨士夫を思い出す。
 
「トシ、頼むよ、お願いします」
 
冨士夫はよくこうゆう手を使う。
僕のウィークポイントを知っているのだ。
彼もまた一流の策士なのだから。
 
さて、この思いがけない奇襲作戦から
逃れようのない自分を感じていた。
 
まるで、真夏のジャングルで網にかかった
間抜けな動物のような気分だったのだ。

ザ・ダイナマイツ - 真夏の夜の動物園 The Dynamites - A Midsummer Night's Zoo Japanese 60s Psychedelic Song w/ EN LYR

BOØWY - 土屋氏インタビュー

考えてみれば冨士夫のバンド『TUMBLINGS』が、
どこかでリハをするたびに
僕がスタジオ代を払いに行くのは
とてつもなくかったるかった。
 
バンドに払っておいてもらい
後から精算するのが理想なのだが、
毎回は無理そうだった。
 
「今月はこれで」って、スタジオ代を渡しても、
すぐに別もんに消えていくのだろう。
 
それなら自分のスタジオを持つのも一案である。
 
そう思うことにした。
 
借金するんじゃたまらないが、
たまたま、それくらいの余力はあった。
 
その時の僕は29歳の妻子持ち会社員だった。
 
でも、フリーになりたくて、
副業にまみれる毎日だったのだ。

山口冨士夫&タンブリングスNo Song

プライベート・スタジオの誕生


スタジオを正式に借りると
『TUMBLINGS』の機材を搬入した。
 
バンドは大喜びだっただろう。
24時間好きな時に音が出せるのだ。
 
しかし、メンバーそれぞれが
住んでいるところがバラバラだった。
 
TOO MUCHにいたドラムのヒデ(小林秀也)は、
日当たりの良い西国分寺の一軒家にいた。

TOO MUCH I Shall be Releas

TOO MUCHにもいたけれど、外道にいたベースのマサ(青木正行)は、武蔵小金井の駅近く。

香り 外道

スピードにいたギターの青ちゃん(青木眞一)は、
南新宿の参宮橋付近に。

SPEED - Boys I Love You

高円寺に住んでいた冨士夫だけが、
このスタジオを日常的に使うことができたのである。
 
スタジオの手前には中古盤屋『アミナダブ』があった。
店主の山本透馬、通称ネズミさんと、
その相方、河野さんこと通称ジュニアは、
冨士夫を熱心に応援してくれた。
 
冨士夫にギブソンの335を提供してくれ、
僕には音楽業界の関係者を紹介してくれ、
いま、何が流行っているのか
現場に連れて行って教えてくれた。
 
「顔を売ろう」というジュニアの提案で、
冨士夫を連れて、いくつかのイベントに
出向いたこともある。
 
冨士夫ほどの人物なら、顔を出すだけで
意外なブッキングが転がり込むのでは?
と思ったのだ。
 
ところが冨士夫は、
そのすべてのイベントに敵対した。
何をそんなに怒っているのだろう?
僕には到底理解できないでいた。
 
「ちょっと無理だな、俺は抜けるよ」
 
ジュニアの2ヶ月間のプロモーションが終了した。

取り壊し前の中古盤屋『アミナダブ』

僕としても
相変わらずの会社と副業の仕事で、
絡まった色とりどりの毛玉の中で
喘いでいるような気分だったので、
正直、ほっとした。
 
そのころの冨士夫は自分なりに
色々とローテーションを組んで
スタジオに通っていたのだと思う。

ほんとうに“音好き”なのだ。
 
昼間行けばいいものを、
だんだんと夜な夜な気ままに
行く回数が増えてくる。
 
夜はスタジオのシャッターを開く音が響くのだ。
 
毎夜、ふらふらとスタジオに来る人影を
不審に思った制服がいた。
 
その、まるで回遊魚のような行動を
何日か確認した後に、
いきなり職質したのである。

からかわないで / 山口冨士夫 (from "ひまつぶし") 2014 Remaster

存続かヤメか、できたばかりのスタジオ


冨士夫は愛するスタジオにいきなりの別れを告げた。

まだ付き合って数ヶ月である。
いちばんHOTな時だったのかも知れない。

直後にガラス板越しに対面した冨士夫は、
どうしようもないわがままなアニキのようなイメージで言い放った。

「トシ、悪いけど、スタジオはこのまま維持してくれないか」

その時の僕はそれをすんなりと受け入れた。
それは何故だかわからない。
きっと、愉しかったからだと思う。
いや、ここで終わったらつまらないと思ったのだ。

ということで希望を胸にプライベート・スタジオの日々は続く。

スタジオの大家さんはビルの上の階に住んでいた。
 
家賃は銀行の引き落としではなくて、
毎月大家さん宅に持参する約束である。
 
支払いに行くのは、
2階にあった大家さん宅の茶の間が多かったが、
たまには大家さんが営んでいた
成田東の『鰻屋』まで持って行ったりした。
 
その度に「うどん屋は儲かるよ」とか、
「あんたも何かをやってみなよ」とか言われる。
 
「うどん一杯の原価20円なんだよ、やってみたらいいじゃない」
 
「いや、僕はロックや音楽で‥‥」
 
「何言ってんの、ロックじゃ食えないでしょ!? みてればわかるよ、出ていくばかりでしょ!」
 
“いやいや、何も言えねぇな” なんて思っていると、
 
「ところで最近あまりスタジオを使ってないねぇ。どうしたの、あの、毎日来ていた派手な人は?」
 
「あっ、旅に出てるっていうか、1年くらい帰ってこないのかな‥。あの、 代わりに違うバンドが使ったりするのでよろしくお願いします」
 
「了解、いいですよ。節度を持ってね」
 
「はい、よろしくお願いします」
 
家賃を渡し、おもてに出ると、
道の反対側から幼稚園児たちが
明るくはしゃぐ声が聞こえてきた。
 
飲まされたのでその景色が歪んで見える。
 
“こりゃあ、会社は無理だな”
 
五日市街道を高円寺に向かって千鳥歩く。
 
ゆっくりと少しづつ、
いろんな思いを乗せるたびに心が揺れる。
 
それでも悪い気はしなかった。
 
少しづつ高円寺に近づいているのだから。

(今回の話は8/11『アナログ天国』にて、詳しく話します)

(2026/07/22)

カスヤトシアキ/プロフィール

いきあたりばったりの人生の中で、イラストを描いたり、デザインで食ったり、いきおいで山口冨士夫を中心とした仲間のマネージャーをして、“しまった!”と、振り返った時はもう遅く、そのまま流れているところ。


アナログ天国・店内


いいなと思ったら応援しよう!