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改訂版/山口冨士夫とよもヤバ話    第4話 『冨士夫・チコヒゲ・ジニーのPRIVATE CASSETTE』

カスヤトシアキ/記・写真
ジニー紫/話
ケンゴ/話
地引雄一/写真
鈴木/写真

『冨士夫に関わる<ジニー紫>の簡単なStory』


この話の発端は、
『セツ・モード・セミナー』のキャンパスに
冨士夫が現れるところから始まる。
 
冨士夫はこのとき、
石丸忍(しのぶ)に導かれて入り込んだのだ。
 
そこには多彩な人物が集っていた。
 
東京ロッカーズには入らなかったが、
数年先にムーヴメントの
中心的存在だったパンクバンド、
『スピード』のヴォーカリストになるケンゴ。

スピード時代のケンゴと青ちゃん ph/鈴木

後に『フラワー・トラベリン・バンド』の
『SATORI』のジャケットを描くことになる
イラストレーターの石丸忍。

フラワー・トラベリン・バンド『SATORI』

冨士夫と共に京都にわたり、
『村八分』を作ることになる青木眞一。

青木眞一/スピード時代 ph/鈴木

そして、後の冨士夫の活動に
欠かせない存在となるジニー紫(コッペ)
が在籍していたのである。

S-KEN・バンド時代のジニー(コッペ)ph/地引雄一

時代は60年代の終わり頃、
1970年の幕が上ろうとしているタイミングだった。
 
当時のことをケンゴさんが語っている。
 
ケンゴ「青木とか、石丸(しのぶ)とか、冨士夫とか、みんな『セツ・モード・セミナー』で知り合ったの。コッペ(ジニー紫)もいたなぁ…。 そのうち、チャー坊がアメリカから帰国して、風月堂あたりでみんなしてタムロってたのは憶えてるよ。冨士夫が音のド素人ばかり集めて、何かやろうとしてたのも知ってる。そうしたらさ、青木が「ケンゴ、俺、バンドやりに京都に行ってくるよ」って言い出してさ、すぐに京都に行っちまったんだ。青木はまだ、18の小僧だったんだよな、今になって思えばさ。 」

『セツ・モード・セミナー』

実はそのシーンにジニーも関わっている。
京都(村八分)で青ちゃんが手にした
ベースギターはジニーからの借りものだったのだ。
 
ケンゴ「そのうち、青木が京都から東京に帰って来た。京都でいろいろあったんだろうね。何も言わないから聞かなかったよ。 青木と一緒に『スピード』を演るのはその後だね。(『スピード』は)『東京ロッカーズ』に入っていたかのようにいわれているけど、実は俺は嫌いだった、『東京ロッカーズ』は(笑)。 」


ジニーも『東京ロッカーズ』のシーンに加わっていて、S-KEN・バンドでベースを弾いている。
(当時はコッペと呼ばれていたが)
 
その『東京ロッカーズ』ムーヴメントの数年前、
1976年8月の夏の終わりに、

渋谷のエピキュラスで

『SWITCH-ON!(スイッチオン!)』という

音楽イベントが開催された。
 
そのイベントの目玉は『リゾート』というバンド。
 
山口冨士夫と加部正義(ルイズルイス加部)が
組むという話題のバンドだったのだ。
 
当時を振り返ってジニーが語る。
 
ジニー「電話がかかってきたんだよ、ビショップ(リゾート/Dr.)から。冨士夫が厳選したって言うんだ。バンドのベースは私だって。きっとさ、スケジュール的にタイトじゃない奴、それでいて冨士夫にとってもやりやすい奴っていうとさ、限られてくるわけさ。邪魔にもなんないっていうところまでいくと、ほとんど私だよね(笑)。」

one more time (Them cover) from リゾート(山口冨士夫&加部正義) live 1976(2CD)

『村八分』の第一幕が終わり、

冨士夫自身も次のシーンを
模索していた時期だったのだろう。
東京と京都を行き来しながら、

様々な人間関係がつきまとっていた。
 
結局、『リゾート』が続くことはなかった。
単発の企画バンドだったのである。
 
その後の冨士夫は『村八分』の再編成をしたり、
『裸のラリーズ』に入ったりしたが、
そのどれも短命に終わり、
音楽活動自体を休止していた。

くたびれて / 村八分(from "1979")2019 Remaster

僕はそのタイミングで冨士夫と出会っている。
 
後に冨士夫が音楽活動を再開したときに、
様々な関係者を冨士夫から紹介されるのだが、
その最も近い距離にジニーがいた。
 
そして、それが、
86年の高円寺のスタジオ録音へとつながるのだった。
 
多彩なジニーは、
今回はレコーディング・エンジニアという役割。
オープンデッキとミキサーを繋げて
録音をするための準備をしていたのだ。

山口冨士夫『PRIVATE CASSETTE』

『冨士夫に関わる<チコヒゲ>の簡単なStory』


チコヒゲの故郷は北海道だ。

名寄(なよろ)っていうところ。
 
地図でいうと旭川の上方向に位置する
。

名寄市
夏はひまわりの景色が美しい

チコヒゲ「俺は、エレキ合戦に出たダイナマイツをテレビで観た貴重なる証人だからね(笑)」
 
と言ってチコヒゲは大笑いする。
 
それが自慢になるのかどうかは別にしても、
高校の修学旅行で東京に来たチコヒゲは、

あろうことかダイナマイツを見に行っている。
 
チコヒゲ「初めて冨士夫を観たのは高校の修学旅行のとき。俺と冨士夫ちゃんは同い年だからさ、高校三年の修学旅行で東京に来て、18歳の冨士夫のステージを観たってわけ」

ウォーキング・ザ・ドッグ

新宿のコマ劇場の対面にある

ラ・セーヌというジャズ喫茶。

劇場のように広い店内に
客はパラパラだったという。

ラ・セーヌ/外観
ラ・セーヌ/ステージ・客席

高校を卒業したチコヒゲは、
某大学に入学するために上京する。
 
チコヒゲ「上京するのが目的だったからさ、大学には行かなかった。っていうより、キャンパス自体がロックアウトで
封鎖されていたんだ」

チコヒゲ

そのまま音楽とバイトに明け暮れる日々。
 
チコヒゲ「´74年か´75年くらいの頃。そう、俺がまだニューヨークに行く前の話だね。冨士夫と、しのぶと、コッペ(ジニー紫)と俺で、福生の『UZU』でライブをやったことがあったんだよ。それが冨士夫ちゃんと演った最初のヤツだったかなぁ? 冨士夫からいきなり電話があってさ、<いま、ヒゲん家の近くにいるんだけどさ、コレから福生の『UZU』でライブなんだ。ドラムはクルマに積んでるんだけど、叩く奴がいねぇんだよ。ワルいけどスティック持って出て来てくんねぇか?>って言うんだ。無茶苦茶な話だなぁって思ったけど、気がついたらクルマに乗ってた(笑)。結局、『UZU』では4曲演ったんだけど、ラストにギミーシェルターを演奏してから、「じゃ、今日はこの辺で!」とか冨士夫が言って、ジャーンってな感じでギター鳴らして、「じゃあ、バイバーイ!俺たち、これから忙しいんだ」って客に向かって言ってるんだけど、ホントだったんだよね。冨士夫ちゃん、マジに追われてたんだって(笑)。そのまま冨士夫ちゃんの運転で帰るんだけど、あの人、B級映画みたいに対抗車線を走るんだよね。俺なんか煙草を吸いながら後ろに乗ってるんだけど、前から対向車が来て、もうダメだってとこで、ひょいって避けちまう。ここで死ぬのか、もうダメかって何度も思ったよ。冨士夫ちゃんと関るとそんなことの繰り返し。結局、ウチまで送ってくれてさ、<じゃあな、ヒゲ、バイバーイ>なんて叫んでたかと思うと、本当にしばらくの間、世間からバイバイしちゃったってわけ(笑)。そんな時にライブするなってことだよ、ほんと!」

福生『UZU』

NEW 📀 Gimme Shelter - The Rolling Stones "Merry Clayton Vocal" -4K- {Stereo} 1969

この話を聞くと、どうやら昔から冨士夫は、
いきなりチコヒゲを呼び出す特技があったようだ。
 
だからだろうか、
86年の夏の突然の“録音コール”にも
チコヒゲは応じている。
 
まぁ、僕から見ればこのお二人、
一癖も二癖もありそうに思うのだが、
冨士夫にとっては、
心底、安心できる存在だったのかも知れない。

冨士夫とチコヒゲ

『PRIVATE CASSETTEの制作から40年目の夏』


そんな、冨士夫に優しい2人と、
スタジオの管理人であったサミー前田の進行で、
お盆明けからスタジオに入った。

録音は1986年の8月だから、
もう40年も前の真夏の話である。

エアコンもない倉庫のようなスタジオで、
扇風機の風にあたってレコーディングした。
 
冨士夫が作ってくる
インスピレーションに合わせて、
ヒゲがボンゴを叩く。
ジニーが曲のイメージにうんちくをつける。
 
青ちゃんが巧みなスライドを弾いて
みんなの喝采を浴び、
毎日覗きに来ていたコウ(伊藤耕)が、
スタジオに続く階段に影を落としていた。
 
東洋化成に録音したテープを持っていく時も
全員で行ったのを憶えている。
そこで、当時流行っていた
ピクチャー・レコードを見せられ、
 
「おぉっ!レコードの盤面に画像が印刷できるのかぁ!」
 
なんて驚いていた時代だったのが、
今となっては懐かしい。
 
カセットが出来上がってきて、
別に印刷してあったパッケージを組み立てる時、
冨士夫も我が家の食卓にいた。
 
「ホントに最後まで手作りなんだな」
 
っと、嬉しそうにプライベート・カセットを
仕上げていた姿を思い出す。
 
そこには、最後まで思いを込めた
冨士夫のメッセージがあった……。
 
そんな気がする。

山口冨士夫/プライベート・カセット
………………………………………… 

さて、8月に入り、
今年もまたお盆がやってくる。

10日は冨士夫の誕生日で、
14日は冨士夫の命日である。 
その間をとって、
8月11日にやるアナログ天国での
『PRIVATE CASSETTE』の話。 

この日のために遠方から
ジニーも駆けつけてくれるという。

冨士夫が愛用していた逸品を携えて、
きっと、色々なよもヤバ話が聞けることだろう。

チコヒゲ先生にもお声がけしている。
無理なくちょこっと覗いてくれれば嬉しいと思う。

兎にも角にも『PRIVATE CASSETTE』から40周年。 
冨士夫の供養も兼ねてのよもヤバ話、
アナログ天国の爆音システムと共に、
音楽と裏話を楽しんでいただけたら幸いです。 

4時間のイベントだけれど、
ゆるりとやりますので食べ物の持ち込みも自由、
仲間と雑談をしながら楽しむ気分でお越しください。

暑いのでご自愛ください。

暑中お見舞い申し上げます。

(2026/08/02)

アナログ天国/店内
アナログ天国/資料・レコード
ジニー紫(コッペ)が新たに参加します

8月29日sat. 高円寺/稲生座

※出演予定だったジャジャ岩城を
追悼するライブを行います

出演/ジョージ&カブト・Shim Unit

Live Charge ¥1650+D
Open 19:00
19:30〜21:30 Live Time
21:30~24:00. Bar Time

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