「右派」的感覚の人たち
序論
右派を、単なる政党支持や政策の立場としてではなく、一つの「感覚」としてとらえる
右派?何それ、政治の話?私は関係ないな、というそこのあなた、今日書きたいのは、狭い意味での政治の話ではありません。
右派とは、主張である前に、社会に対するある「感覚」のことであり、その感覚からもたらされる「世界観」のことです。
例えば、あなたが独身女性だったとする。右派的感覚の人は、あなたを「まだ結婚していない人」とみなします。そして、その人があなたに好意的な人であれば「早く結婚して子供産んだ方がいいよ。子供っていいよ」と、「善意のアドバイス」をしてくれることでしょう。
その人たちは、自分を「右派」だとは思っていないかもしれません。あるいは、政治的な主張としては、一部、先進的でリベラルな主張を持っているかも知れません。
しかし、それはそれとして、社会、国家に対して、「硬直的な秩序感覚」をもっている人たちに対して、ここではその基本的な感覚を「右派的感覚」と呼びたいと思います。
現代日本で「右派」と呼ばれる人たちは、単に「日本が好きな人」でもなければ、特定の政党を支持する人たちに限られるわけでもありません。
ここでいう「右派」とは、まず何より、社会や国家や家族をどう感じるかという、ある種の感覚のことなのです。
政治心理学でも、右派的態度は、脅威への敏感さ、秩序志向、権威主義、不確実性への弱さなどと結びつけて整理されています。
この感覚の持ち主には、いくつか共通する特徴があります。
家族について言えば、家族を個人の自由な選択の集まりというより、社会の基本単位であり、責任・秩序・継承を支える場だと感じやすい。
夫婦、親子、男女の役割には、ある程度決まった形があるほうが自然だと思いやすく、夫婦別姓には家族の一体性を弱める感じを受けやすい。
離婚後も父と母という二者構造をなるべく残すべきだと感じ、共同親権に親和的になりやすい。
独身、非婚の共同生活、同性カップル、友人同士のケア関係など、家族以外の親密なつながりに対しても、それを家族と同じ正当な形として認めることにためらいを覚えやすい。
親密性は本来、責任、子育て、共同体への参加と結びつくべきだと感じ、そのため家族の多様化を、単なる選択肢の増加というより、社会の土台がゆるむこととして受け取りやすい。
国家について言えば、国はある程度同質的であるほうが安定すると感じやすく、移民の増加を、労働力や制度の問題というより、共同体のまとまりを脅かすものとして感じやすい。
近隣アジア諸国、とくに中国や韓国からの日本批判に対しても、それを単なる外交上の主張より、日本への侮辱や攻撃として受け取りやすい。
移民への警戒も、近隣諸国への反感も、どちらも「共同体の境界を守りたい」という感覚の中でつながっている。
さらに、この感覚の持ち主は、反対意見を「別の意見」として冷静に扱うより、「こちらの土台を崩すもの」として受け取りやすい。
異論にふれると、理屈より先に不快感や怒りが出やすく、そのため冷静な議論より、感情的で攻撃的な反応になりやすい。
右派にとって異論は、単なる見解の違いではなく、自分たちの大事にしている秩序、家族、国家への脅威として経験されやすいからです。
要するに、ここでいう右派とは、家族については、多様な親密性より、統一的で役割の定まった家族を求める感覚であり、国家については、開かれた共生より、境界の明確な共同体を求める感覚であり、異論に対しては、対話より防衛に傾きやすい感覚である、と整理できます。
本稿では、この「右派的感覚」が、なぜ家族の問題でとりわけ強く現れるのか、なぜ夫婦別姓に反対し共同親権にひかれやすいのか、そしてなぜ人口減少と単独生活化が進む社会のなかで、ますます現実とずれていくのかを考えていこうと思います。
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