結婚は、もう「普通に得する制度」ではない

コスト上昇とベネフィット縮小の時代に、結婚をどう見るか

最近、結婚について考えるときに、どうしても拭えない感覚がある。
それは、結婚にかかるコストは確実に上がっているのに、結婚によって自動的に得られるベネフィットはかなり薄くなっている、ということだ。

これは単なる気分論でも、結婚に否定的な人の愚痴でもない。むしろ、今の社会構造をかなり素直に反映した実感である。

少し乱暴に言えば、昔の結婚は「参加するだけで一定の実利が見込める制度」だった。
だが今の結婚は違う。相手選び、価値観、役割分担、経済基盤、修復能力など、複数の条件が噛み合ったときにだけ高い便益が出る。
逆にそこを外すと、普通に重い負担になる。

つまり、結婚はオワコンになったのではない。ただ、無条件に得しやすい制度ではなくなったのである。

この記事では、その理由を感情論ではなく、生活実感に沿ったかたちで整理してみたい。

かつて結婚は「生活インフラ」だった

今の感覚で結婚を考えると見えにくいが、昔の結婚は恋愛のゴールというより、まず生活の基盤だった。

未婚でいることには、かなり強い不利益があった。
一人で住居を確保し、安定した仕事を持ち、家事を回し、病気や老後に備え、社会的な信用を得る。
そうしたことの多くが、今よりずっと難しかった。
特に女性にとっては、結婚しないことが経済的不安定や社会的孤立に直結しやすかった。

男性にとっても、結婚は単なるプライベートな選択ではなく、「一人前」の証明として機能していた面がある。
家庭を持ち、扶養し、子どもを育てることが、社会的成熟の証とみなされやすかった。

つまり昔の結婚は、愛情を制度化する仕組みであると同時に、社会に参加し、生活を安定させるための通行証でもあった。

この時代には、多少の不満があっても結婚それ自体の制度メリットが大きかった。
相手との相性が完璧でなくても、「世帯を持つ」ことの便益がかなり強かったのである。

今は「結婚しないと手に入らないもの」が減った

ところが今、その前提が崩れている。

一人暮らしは珍しくない。
未婚でも働いて生活できる。
賃貸契約もクレジットも、昔ほど「既婚かどうか」に左右されない。
恋愛や性的関係も、結婚と必ずしも直結しない。
娯楽も外食もサブスクもSNSもあり、一人で過ごす生活の快適性自体が大きく上がっている。

この変化は大きい。
なぜなら、結婚はもともと「結婚しないと不便だから成立していた部分」がかなりあったからだ。

たとえば昔は、家事能力そのものが生活の質を大きく左右した。
毎日料理し、洗濯し、掃除し、家のことを把握しなければ暮らしはすぐ回らなくなる。
だが今は、洗濯乾燥機、ロボット掃除機、食洗機、ネットスーパー、家事代行、冷凍食品、惣菜、配達サービスなどで、かなりの部分が補える。
もちろん完全には代替できない。
だが少なくとも、「一人ではまともに生活が回らない」という度合いはかなり下がった。

さらに、親密性のあり方も変わった。
昔は、深い人間関係や性的関係や家庭形成が、かなり結婚に回収されていた。
今は恋人がいても別居のままでもよいし、事実婚もあれば、結婚しないけれど長くパートナー関係を続ける人もいる。
独身でも友人関係やコミュニティで孤独を緩和できる場面が増えている。

つまり、結婚だけが唯一の入口だった価値が、今は分散している。

これは結婚の価値がゼロになったという意味ではない。
ただ、「結婚しないとアクセスできないもの」の量が確実に減った、ということだ。

それなのに、結婚のコストはむしろ重くなった

ここがポイントだと思う。
ベネフィットが減っているだけならまだいい。問題は、コストのほうが軽くなっていないことだ。

むしろ現代の結婚は、金銭的にも時間的にも心理的にも、かなり重い。

まずお金の話からすると、住居費が高い。
都市部では一人暮らしも高いが、家族で住める住居を確保しようとするとさらに負担が増す。
加えて、物価上昇、教育費、保険、老後資金の備えなど、将来不安を見越した支出が大きい。

特に子どもを持つ前提になると、一気に話が変わる。
保育園、学用品、習い事、進学費用。
公立・私立の選択、塾に通わせるかどうか、どこまで教育投資するか。子どもが生まれた瞬間から、家庭は長期の資金計画を求められる。

しかも、以前のように「夫一人の稼ぎで、妻が家を守る」というモデルは成立しにくい。
多くの家庭では二馬力が前提になる。ところが、二人とも働くからといって家事や育児が消えるわけではない。結果として起きるのは、二人とも働きながら、家庭運営の重さも背負うという状態だ。

ここでよくある光景を考えてみる。

平日は二人とも仕事。
帰宅後に夕食の準備、洗濯、食器、風呂、保育園の連絡帳、子どもの寝かしつけ。
休日は休むどころか、買い出し、掃除、病院、実家対応、子どもの予定で埋まる。
そして月曜からまた仕事が始まる。

このループは、愛情があるかどうかとは別に、かなり体力を削る。
現代の結婚が「共同生活」というより「共同運営」に近いと言われるのは、こういう実態があるからだ。

見えにくいコストが、現代の結婚をさらに重くする

結婚の重さは、家賃や教育費のような見えるコストだけではない。
むしろ厄介なのは、数値化しにくいのに確実に消耗するコストのほうだ。

たとえば価値観調整。
お金の使い方、休日の過ごし方、家のきれいさの基準、友人関係への距離感、親との付き合い方。
独身なら自分の基準で決められることが、結婚すると交渉事項になる。

たとえば、片方は「外食は気軽にしていい」と思っていて、もう片方は「外食は贅沢だから控えたい」と思っているかもしれない。
片方は「週末は家で休みたい」、もう片方は「せっかくの休日だから出かけたい」と思っているかもしれない。
どちらが悪いわけでもないが、ズレが積み重なると、生活そのものが摩耗しやすい。

さらに親族対応もある。
お盆や正月をどちらの実家で過ごすか。
親からの干渉をどうかわすか。
介護が発生したら誰がどこまで関わるか。
結婚は二人だけの関係に見えて、実際には二つの家族圏の接続でもある。

感情労働も大きい。
相手が不機嫌な理由を読む。
家庭の空気を悪くしないように調整する。
話し合いのきっかけを作る。
子どもがいれば、子どもの感情も扱う。
これらは給与明細には出ないが、確実に労力として存在する。

そしてもちろん、離婚リスクもある。
一度世帯を作れば、別れるときには住居、財産、子ども、生活再建のすべてを組み直さなければならない。
結婚は始めるコストも高いが、終わらせるコストも高い契約だ。

結婚の採算悪化は「経済」「文化」「制度」の三層で起きている

この話を単なる気分で終わらせないためには、構造で見る必要があると思う。
結婚が割に合わなく感じられやすい背景には、大きく分けて三つの層がある。

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