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あなたにとっての「茶渋の線」は何か

ある休日、マグカップにティーバッグを入れ、お湯を注ぐ。

すると、コップの淵に付いている「茶渋の線」を無意識のうちに頼ってお湯を入れている自分に気づきます。

その瞬間、ふと昔見たネットの記事を思い出します。


マグカップは使い始める前は真っ白だけれど、適当にお茶を入れ続けているうち、お湯の水面に茶渋が付き始める。
すると次第にそのラインの位置までお湯を入れることが習慣になっていく。
本来意味がないものに、意味を持ちはじめた瞬間 ──

でもそれって、本来の目的 ─お茶を美味しく飲むために適切な量の湯を入れること─ を忘れてしまっているのではないか。

茶渋の線通りに入れることが正しいわけではない。
もしかしたらもう少し多い方がいいかもしれないし、少ないほうがいいかもしれない。

そういう本来の目的が置き去りになり、手段が目的になったもの…長年の習慣が固着したものの象徴として、茶渋が語られていた ── そんな話だったと思う。

私は自転車旅をよくしています。
あちこち好きな道を走り、いい景色を見たり。

そういった私にとっての茶渋の線は「距離」でした。

とにかく自転車旅を始めた頃は「長距離を走りたい」が目標でした。

走って走って、走った先で見られる景色や達成感。
そうして積み上がる記録としての満足感。
その区切りのいいものとして、100kmなり200kmなりの数字を自然と追いかけるようになりました。

たしかに当時は自転車旅を楽しむための指標として機能していました。
長距離を主軸とした時、そこには目標が必要で、目標があることで達成感が生まれ、成長を感じ、次のステップへ進められる。
決して間違いではない。

だから、その茶渋の線は「必然」で付いたんだと思います。
その量をいれて「おいしかった」からその線がしだいに付いて、そうやって自分なりの「適性」が具現化されたものが茶渋だとすると、それを目標にお湯をそそぐことに何も否定するものはないはずです。

しかしです。
そういう数字にとらわれすぎてしまうことに違和感を覚えることもあります。
なんででしょうか。

多分、その線を作り出したのが「過去の自分」の適性だからだと思います。

人は生きていれば変わる。好みも変わり、環境も変わり、感性も変わる。
変わらずに生きていくことなんて不可能に近い。
気づかぬ間に少しずつ…少しずつ変化している。
そうして変化した自分にとって、茶渋の線が合わなくなっているんじゃないかと思います。

今の自分は、もっと「濃い」方がいいかもしれない。「薄い」方がいいかもしれない。

でもです。
そういったものを考えず、いつも通りその茶渋の線を狙ってお湯を入れてしまっている自分がいました。
その線が、あたかも正解であるかのような顔をしているので、違和感があるのにその正体が何であるかを考えないままに、いつも通りを貫いてしまう。

でもそれは、「過去の適正」なんだよというのは、気づこうとしないと実はわからなかったりします。

今は自転車旅は「距離」ではなく、「旅」そのものや「情景」を楽しむ方向にシフトしつつあります。

きっと一度茶渋をメラミンスポンジで洗い落としてもう一度繰り返せば、きっと線の位置は自然と変わっているんだろうな、なんて思ったり。

なんとなく、マグカップにお湯を注いだ時に感じたことをつらつらと書いてみました。


あなたにとっての茶渋の線は、なんでしょうか ──


それでは、また。

MIYAKOIKI


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