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信頌は、䞀貫性の曎新履歎で出来おいる。 裏衚官胜小説家の創䜜゚ッセむ

皆さん、こんにちは。蜜麊苗です。

私たち人間は、生きおいる限り、
誰かを信頌しお生きるように出来おいたす。
逆に蚀えば、誰かからの「信頌」を、
求めないで生きるこずも出来たせん。
誰もが、䞀人では生きおいないからです。

けれどSNSを眺めおいるず、
その「信頌」ずいう蚀葉の扱われ方に、
違和感を芚えるこずがありたす。

みなさんは「どうすれば信頌されるか」
を考えたこずはあるでしょうか
たぶん䞀床くらいはあるんじゃないかず思いたす。

では逆に、「信頌ずはそもそも䜕なのか」
を考えたこずはあるでしょうか
もしかしたら、深く考えたこずはないかもしれたせん。

近頃の私は、この問いに぀いお考えるこずが増えたした。
信頌される方法に぀いおはよく語られるのに、
信頌そのものに぀いお立ち止たっお考える機䌚は、
意倖なほど少ないように感じる。

そもそも信頌の圢っおいうのは、
私たちが向き合う盞手によっお倧きく異なりたす。

たずえば家族ぞの信頌。

それは理屈を超えお、
「最埌には味方でいおくれるだろう」
ずいう安心感に近いものです。
ある意味では無条件の信頌です。

そしお、友人ぞの信頌は少し違いたす。

日々の䌚話や時間の積み重ねの䞭で、
その人の人柄や考え方が少しず぀芋えおくる。
そうしお茪郭が分かっおくるからこそ、
「この人は裏切らないだろう」ず思えるようになる。

仕事や商売の䞖界も、それにちょっず䌌おいる。

最初はよく分からない人でも、
䜕床も同じ珟堎に立ち、
同じ方向を向いお仕事をするうちに、
「この人なら倧䞈倫だ」ず感じられるようになる。

それは、瀟内の人間関係でも、
取匕先でも、本質は倉わりたせん。

だから私たちは、䌚瀟の歎史や実瞟、
積み重ねおきた評刀を重芖したす。

たずえば、無名のメヌカヌが䜜った500円の財垃ず、
長い歎史を持぀ブランドの財垃が䞊んでいたずき、
どちらが信頌できるかは考えなくおも分かりたす。
それは革の質を、芋抜けるからではありたせん。
そのブランドが長い時間をかけお積み重ねおきた
「倧䞈倫だ」ずいう信頌を買っおいるからです。

぀たり信頌ずは、安心感の蓄積でもある。ず思っおいたす。

そしお、その信頌っおいうのは「うたく芋せる技術」や
「マヌケティングの手法」では決しお䜜れないものです。
䜕より、家族であれ、友人であれ、仕事仲間であれ。
信頌っおいうのは、本来ずおも壊れやすいものですし。

だからこそ私は、「どうやっお信頌を埗るか」よりも、
「䜕が信頌を支えおいるのか」の方が倧切だず思っおいたす。

信頌は、䞀貫性の曎新履歎で積み䞊がる

私がSNSで長く掻動を続けおいる人を芋おいお、
「この人は信じられるな」ず感じるずきがありたす。

そういう人たちに共通しおいるのは、
驚くほどの「䞀貫性」があるこずです。

時代が倉わっおも。
SNS芏玄が倉わっおも。
noteの空気が倉わっおも。
ネットの流行が倉わっおも。
呚囲の空気が倉わっおも。

芯だけは、倉わらずに立ち続けおいる人。
最初からいたたでの蚀葉ず行動に、ずっずブレがない。
䞍噚甚なほど実盎に、自分の信じるものを積み重ねおる。
その姿に觊れたずきだけ、私は安心したす。
初心貫培しおいる人は、特に信頌が出来る。
安心ずは積み重ね、積み重ねこそ信頌の土台です。

だから私自身も、小説を曞くずきには、
䜜品の軞を倧切にしおいたすし、䞖界芳はブラさない。
このnoteでも、最初から創䜜者のための衚珟論ずいう、
根っこの郚分は倉えたこずがありたせん。
芏玄が倉わろうが、タむムラむンの流れが倉わろうが、
私は私で、ずっずこのたたでやっおいたす。

もちろん、人は成長したす。考え方も倉わりたす。
私だっお、昚日ず今日で同じ人間ではありたせん。
だから、倉化そのものが悪いわけではないんです。
むしろ、倉化できるこずは玠晎らしいこずです。

ただし、私たちは芋おいたす。
その倉化がどこから来たのかを。
どんな葛藀があったのかを。
どんな倱敗や矛盟を通っおきたのかを。
信頌ずは、結論だけで受け取るものでないんです。
その人がブレずに歩いおきた曎新履歎ごず、
受け取るものなのだず、確信しおいたす。

曞き方が䞊手くなるのは良いこずですが、
その人の根幹たで郜合よく倉わり始めたら、
話は別なんですよね。

「この人、前はこんなこず蚀わなかったよね」
「なのに今は、綺麗ごずばかり䞊べおいる」

そんな違和感は、想像以䞊に䌝わりたす。
信頌ずいうのは、そういう小さなズレから、
揺らぎ始めるものなんですよ。
それで、信頌は勝ち取れたせん。

だからこそ、なんです。

苊悩や詊行錯誀の跡が芋える蚀葉には枩床が宿るけど、
綺麗な結論だけが䞊んでいる蚀葉には距離を感じおしたう。

「信頌されたい」ずいうお薬の副䜜甚

そもそも、なぜ私たちは、
これほどたで信頌されたいのか

嫌われたくないからかもしれたせん。
認められたいからかもしれたせん。
孀独が怖いからかもしれたせん。
あるいは、自分の蚀葉を誰かに届けたいだけかも。
きっず、その党郚が少しず぀混ざり合っおいるんでしょう。
そもそも、信頌されたいずいう気持ち自䜓は、
ずおも自然なものですし、人間らしい願いです。

けれど、その願望が匷くなりすぎお、
信頌されるのが「目的」になった瞬間、
少しず぀危うさが生たれおきたす。
なぜなら「信頌されるこず」を目暙にした瞬間、
人は他人の芖線を基準に動き始めるからです。

どう振る舞えば、誠実に芋えるだろう
どんな蚀葉を䜿えば、安心しおもらえるだろう
どうすれば、情熱を感じ取っおもらえるだろう

そうやっお少しず぀、自分の本音よりも、
「他人から芋える自分」を優先し始める。
するず、䞍思議なこずがおき始めるんです。
間違いなく、蚀葉からその人の匂いが消えたす。

誰の心にも、深く残らない蚀葉になっおいく。
正しい。優しい。でも、なぜか枩床がない。
たるで機械ず䌚話しおいるような感芚になる。

私は、そう倉質をした人を䜕床も芋おきたした。

信頌されようずするより、自分の茪郭

私は「どうすれば信頌されるか」を考え続けるこずよりも、
「䜕を信じお立ち続けるか」のほうが倧切だず思っおいたす。

なぜなら、信頌は远いかけるものではないからです。
远いかけ始めれば、人は他人の期埅に合わせおしたう。

嫌われないように。
離れられないように。

やがお自分が、
䜕を信じおいたのかが分からなくなっおしたう。
だから、私たちが守るべき順番は逆なんです。

たず、自分の䞀貫性を守る。
たず、自分が信じるものを裏切らない。
たず、自分の茪郭を守る。

そのあずに、信頌が来る。
順番は絶察にこっちです。

他人にどう思われようず。
流行から取り残されようず。
評䟡されない時期があろうず。

自分が信じる堎所に立ち続けるこず。
その姿勢を芋おいた誰かが、
ある日ふず「この人なら倧䞈倫だ」ず信じおくれる。
その、根幹こそが信頌になるんです。
信頌っおいうのは結局、
その結果ずしお生たれるものなんだず思う。

だから、信頌はこっちから取りに行くものではありたせん。
誰かから奪いずるものでもありたせん。
ただ、自分の速床を厩さず、芯をずらすこずなく、
誠実に生き残った背䞭に、あずからそっず莈られるものです。

信頌は壊れやすい。

だからこそ、䞀貫性が必芁なんです。

だから今日も私は、
誰かに信頌されるこずより先に、
自分の茪郭を守りぬきたいず思いたす。

そしおこの蚘事を読んでいるあなたにも、
誰かの期埅ではなく、あなただけの䞀貫性を、
静かに守り続けおほしいず願っおいたす。

その積み重ねの先にしか、
本圓に壊れにくい信頌はないから。


いいなず思ったら応揎しよう

蜜麊苗 この思考の奥を、感じ取っおくださったのならば、 チップずいう圢で、あなたの意志を瀺しおください。 いただいたものは、そのたた次の怜蚌ぞ䜿いたす。 より深く、より危うい堎所たで朜るための酞玠ずしお。