【執筆の合間に】宇宙の藻屑
最近、身内や同世代の友人が病に倒れたり旅立ったりしたせいか、なんだか死というものを、やけに身近に感じます。
私も、いつ何が起きてもおかしくはない年齢に近づいてきました。
先日母と話していたのですが、40歳くらいまでは、自分が歳をとることなんて全然意識していなかったのに、まだまだ人生はずっと続くと思っていたのにね、と。
ただ、私もいつかは天に召されるのだろうとは思いつつ、不思議と今は、少し寂しくはあっても怖いとは思いません。
私ひとりがいなくなったところで、それは地球や宇宙全体から見れば、人間にとっての細胞ひとつの死よりも、さらに小さな出来事なのでしょう。
もしかすると、まだ猶予があると思っているから、そう感じるだけなのかもしれませんが…
高校の頃、理科の選択科目は地学を選びました。
物理や生物や化学よりも教科書が薄いから楽かな、との計算もありましたが、地学自体には純粋に興味がありました。
地球の成り立ちや天気の移り変わり、宇宙、といったものには、なんだか計り知れない壮大な魅力を感じました。
あるとき、白髪で上品な地学の先生が仰いました。
「天体の、銀河系、恒星、惑星、衛星…といったつくりは、物質の分子、原子、原子核、電子、陽子…などといったつくりと、不思議と似ている。
そう考えると、私たちが広大だと思っているこの宇宙も、何かもっと大きなものの、ごくごく小さな構成要素なのかもしれませんね」
先生の言われた通りなのだとすれば、きっと私も宇宙から見たら、そしてもっと大きな何かから見れば、ほんの小さな小さな、吹けば飛ぶほどの粒子のようなもの。
それが消えたとて、世界にいったい何の影響があるのでしょう。
けれど、大切な誰かがいなくなれば、きっといくばくかは惜しんでくれる人がいる…
少なくとも、私は大切な人がいなくなれば、とても悲しむと思います。
そしてそれが、私たちが存在する意味なのではないかな、と思うのです。
今生きている人にせよ、もう旅立った人にせよ、たしかに自分を思ってくれた人たちがいる…
そう思えば、宇宙の藻屑にも、生きていく意味があるのかな、と。
