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第51回衆院選総括試論

明暗

 第51回衆院選(2026年)は自民党の歴史的な勝利となり、現行憲法のもとではじめて単一の政党が衆院の3分の2を占めることになりました。解散の一週間前に衆院の立憲民主党と公明党が結成した中道改革連合は大敗に終わり、最大野党が自力では内閣不信任案も、予算をともなう議案の提出もできない事態になりました。その結果を振り返ることから議論を始めましょう。

図1. 第51回衆院選(2026年)の議席配分
自民党には、追加公認された斉木武志氏の1議席を含む。

 図1の括弧内に記入したのは、第50回衆院選(2024年)からの議席の増減です。増減には、前回選挙からの増減をとるやり方と、解散や公示の直前からの増減をとるやり方がありますが、ここでは二度の選挙の比較に関心があるため前者を用いました。なお、中道は第50回衆院選(2024年)の時点では存在しなかったため、当時の立憲と公明の合計からの増減で代用しています。

 中道の当選者はさらに、立憲から合流した者と公明から合流した者を区別することができます。それを下の図2に示しました。あわせて第50回衆院選(2024年)の結果を図3に載せたので、二度の選挙を見比べてみましょう。

図2. 第51回衆院選(2026年)の議席配分(中道を立憲系と公明系にわけて表示)
自民党には、追加公認された斉木武志氏の1議席を含む。
図3. 第50回衆院選(2024年)の議席配分

 図2と図3からは、最も大きな議席の変化が、125議席増の自民と、127議席減となった中道の立憲系とのあいだで起きていることが読み取れます。中道の公明系はむしろ議席を増やしているのであり、中道全体が負けたというよりも、中道の立憲系が大量に落選し、空いた議席のほとんどを自民が得ることになったのです。


風は吹いていたか

 そのようになった原因を多くの論者は「高市旋風」で説明してきました。しかしそれには次のような見落としがあります。前々回、前回、今回の選挙について、自民党が全国で得た票を表示してみましょう。

図4. 自民党の得票数
自民党には、追加公認された斉木武志氏の票を含む

 実は高市自民が小選挙区で得た2778万9230票(追加公認を含む)は、第49回衆院選(2021年)で岸田自民が得た2762万6235票と大差がありません。自民党が第49回衆院選(2021年)の小選挙区に277人、第51回衆院選(2026年)の小選挙区に286人(追加公認を含む)を擁立したことを考えに入れれば、一選挙区あたりの得票数はわずかに減ったということもできます。

  高市自民が票を伸ばしたように見えるのは、岸田と高市に挟まれた石破自民の集めた票が少なかったためであり、その意味においては、第49回衆院選(2021年)を「岸田旋風」と言っていた人だけが、今回も「高市旋風」と言うことができるのです。

 もちろん、高市自民は公明の協力なしに小選挙区で岸田自民に匹敵する票を集めているので、それだけの票を外部から調達したことを評価するという観点から「高市旋風」という言い方は成り立ちうるでしょう。けれどもそれは、316議席に達するような自民の圧勝を説明できるものではないのです。第49回衆院選(2021年)で岸田自民が得た議席は261でした。票は岸田自民と大差ないのに議席だけ大きく伸ばした原因は、「高市旋風」とは別の「何か」に求めなければなりません。


崩れた支持層

 その原因は、中道の立憲系にあります。すでに図2と図3で見たように、第49回衆院選(2021年)当時の立憲が96議席を得ていたところ、今回の中道に合流した立憲系は21議席に減っているのでした。

 中道の立憲系に何が起きていたのかを最も明瞭にとらえたのが以下の図です。

図5. 第51回衆院選(2026年)中道の絶対得票率から、第50回衆院選(2024年)立憲の絶対得票率を引いた結果。黄色や赤の地域ではプラス、水色や青の地域ではマイナス。
図6.第50回衆院選(2024年)立憲民主党の絶対得票率

 図5は、第51回衆院選(2026年)の中道の絶対得票率から、第50回衆院選(2024年)の立憲の絶対得票率を引いた結果を市区町村別に表示したものです。また図6には第50回衆院選(2024年)の立憲の絶対得票率そのものを示しました(ここで絶対得票率は「その政党に投票した人が有権者全体の何パーセントを占めているか」を表す指標です。詳しくは 第51回衆院選比例代表 全国地域分析 を参照してください)。

 中道は、衆院の立憲と公明が合流してできた党なので、その背景には両党の票の多くがまとまるという期待があったのに違いありません。けれども図5には、東日本を中心として水色や青の地域が多く見られます。これらの色の地域では、公明票が加わったはずであるのにもかかわらず、第51回衆院選(2026年)の中道が、第50回衆院選(2024年)の立憲単体すらを下回っているのです。これが示唆するのは、加わった公明票よりも多くの立憲票が抜けているということにほかなりません。

 そして図5と図6を見比べたとき、図5の水色や青の地域こそ、かつての立憲の地盤であったことが明らかになります。このことを一言でいうならば、相当数の立憲支持者にとって、中道は立憲の後継政党だとはみなされなかったということになるのでしょう。


針の先の足場

 立憲民主党の前代表であった野田佳彦氏は、1月16日にSNSのX(旧Twitter)で次のような投稿をしました。中道改革連合が結成された日です。

 本日、公明党とともに「中道改革連合」(略称:「中道」)を立ち上げました。

 分断と対立が続く政治のもとで、国民の暮らしに向き合い、民主主義を守り抜くためには、右にも左にも傾かず、熟議を通して解を見出すという基本的な姿勢を重んじる「中道」の結集が不可欠です。(以下略)

野田佳彦氏の投稿より

 このように、野田氏は「中道」について「右にも左にも傾かず」という説明をしています。

 それでは今回、中道がとった政治的立場は客観的にみてどうだったでしょうか。立憲の綱領には「原発ゼロ社会を一日も早く実現します」(出典)という文言がありますが、中道の基本政策に載ったのは「地元の合意が得られた原発の再稼働」(出典)でした。立憲はこれまで安保法を違憲であるとして、「違憲部分を廃止する等、必要な措置を講じる」(出典)として選挙に臨んできた事実がありますが、中道は「平和安全法制(安保法)が定める存立危機事態における自国防衛のための自衛権行使は合憲」(出典)という表現をしています。安保法に関しては、条文の一部が違憲であるという主張も新党では認めないということを、当時の立憲の幹事長だった安住淳氏が述べています(出典)。

 党の一貫性に関することはまた別の問題なので後ほど触れるとして、以上のような点からは、従来の立憲支持層の一角をなしていた左派やリベラルから中道は距離を取っており、それだけ政治的な立場が自民に近づいていることがうかがえます。

 しかしながら今回の選挙では、右派色を強めた高市自民が、右の側から票をおさえて野党を圧迫してくることが容易に想像されました。そうした状況にありながら、他方で左派やリベラルを切り離す姿勢をとったらどうなるのでしょうか。

 それでは、真ん中に陣取って幅広いイデオロギーを包括し、様々な意見を持つ有権者層に訴えかけるようになるはずがありません。

 むしろ自分たちは右でも左でもないんだと叫びながら、実のところ針の先のような狭い足場に立って選挙を闘っていたのです。ウイングを広げると言ってきた人たちがそれをやったのだから、これは悲劇というべきなのか喜劇というべきなのかわかりません。


名はたいを表す

 前節で触れたように、野田氏は「中道」を「右にも左にも傾かず」と説明していたのでした。しかしながら公明側の真意は異なります。池田大作氏の著作『新・人間革命』から引用してみましょう。

 中道主義を根底にした政治、すなわち中道政治は、対峙する二つの勢力の中間や、両極端の真ん中をいくという意味ではありません。あるいは、両方から、そのよいところをとって、自己の生き方とするような折衷主義でもありません。

池田大作著『新・人間革命』第11巻(聖教ワイド文庫)p.287

 「中間」や「真ん中」というような意味ではないとされています。それでは「中道」とはいかなるものでしょうか。

 ――この「中道」とは、政治的な穏健派の意味ではなく、仏法で説く、「空仮中の三諦」の中諦をいう。

池田大作著『新・人間革命』第11巻(聖教ワイド文庫)p.285

 「空仮中くうけちゅう三諦さんたい」とは、空諦くうたい仮諦けたい中諦ちゅうたいの三つのことであり、極めて噛み砕いた言い方をするならば、ある人をとらえる時に、その人の心や感情などの精神的な面が「空諦」、肉体のような物質的な面が「仮諦」、この両面が包摂された、その人がまさにその人であるという全体が「中諦」というような概念です。公明にとっての中道はこの「中諦」を指すわけです。

 この日蓮仏法に基づき、肉体、物質にも、心、精神にも偏することのない、生命の全体像に立脚した「中道主義」を掲げ、「生命の尊厳」の時代を築きゆくのが、創価の大運動なのである。

池田大作著『新・人間革命』第11巻(聖教ワイド文庫)p.286

 ここにきて、中道主義が「創価の大運動」の旗印であったことがわかりました。

 この中道の概念は一般の有権者には難解です。公明党のように固い基盤を持つ宗教政党が掲げるのならともかくとして、幅広い支持を集めるべき公器としての最大野党が、小中学校の教科書にすら載っている「立憲主義」や「民主主義」といった馴染みのある概念を手放してまで用いたというのは、およそ常人の理解の範疇を超えた愚行であったと言わざるを得ないでしょう。


小選挙区の必然

 今回の衆院選では、情勢調査などにより、最終盤にかけて小選挙区の形勢が自民側へと傾いていったことが知られていますが、それもどうということはありません。投票日が近づき、どこに入れるかを考えはじめた有権者にとって、「中道」という言葉はあまりに唐突すぎたのです。前回投票した人が所属していたとしても、その人物が今回どんなスタンスのどんな政党から立候補していて、自分の期待したように振る舞うのかが想像できなかったのです。

 中道という言葉が公明にとっては「創価学会の大運動」の旗印という周知のものであっても、多くの有権者にとってそれは何のことだかわかりません。野田氏のように真ん中なのだと言ってみたところで、それは政治の場面においては、自分たちは何者でもないと主張しているのと大差がないのです。

 ご存じのとおり衆院選では議席の多くが小選挙区で決められます。何人もの候補が当選する比例代表や参院選の複数人区とは違い、一つ一つの小選挙区は最も多くの票を得た一人だけが当選する制度であるため、そこで行われる選挙戦は、自分の勝利がただちに相手の敗北を意味し、相手の勝利がただちに自分の敗北を意味するという相撲のごとき闘いとなります。相手を批判し、倒しにかからなければならないというのがまさに制度の要請するところなのですから、そこでは自らのカラーを明確に示し、対峙することが不可欠となるわけです。相手に向かわない力士には土俵に上がる資格がありません。

 そんなところに出ていって「自分たちは真ん中です」などと言ったところで訴求力がでないのは言うまでもないことでしょう。多くの人々にとって曖昧な「中道」という名称、そして名称だけでなく、その名称を良しとする精神性そのものによって、自らのカラーは埋没していったのです。

 安保や原発に関する立憲のスタンスも中道においては封印され、党の立ち位置は自民に近くなりました。そうやって左派やリベラルを切り離したからといって、保守票を取り込めるようになるわけでもありません。

 なにしろ自民は最大の議席を有するのに加えて、財界・官僚・マスコミをおさえ、学問の世界や労働組合にも浸透を図っているわけです。高度経済成長からの70年あまりの蓄積と利権を持っています。それらの点でかなわない以上、野党が自民に接近すれば「それなら自民で構わない」と有権者からみなされてしまい、これまで取り込めていた保守票すらを喪失するのは必然です。軽い天体が重い天体に重力でかなわず、近づいたときに軽い方が粉砕されるというのは自然のことわりです。保守票を取り込んだり、自民支持層に食い込みたいのなら、自民党と対決しなければならないというのが当然の論理であるわけです。


水面下に沈む

 前節のようにして小選挙区が大敗する一方、比例代表で待っていたのも悲惨な結果でした。下の図7を見てください。これは比例ブロックごとに中道の候補者を順位で並べ、出身政党によって識別したものです。順位は上から名簿順で、名簿順が同じ場合は惜敗率順になっています。落選者を黒色で示しました。

図7. 中道改革連合・出身政党別の比例代表の当落
なお、小選挙区で当選した重複立候補者6人(立憲系)はここには掲載していません。

 これを見たうえで「立憲単独で選挙に臨むより良かった」と言える人はもはやいないでしょう。

 公明系の候補が名簿の上位にベタ付けされており、近畿から西のブロックの立憲は比例で一人も当選していません。中道を掲げ、創価の大運動の旗印のもとに公明系の面々を頭上にいただいた立憲は、その重さゆえに軒並み水面下に沈み息絶えたわけです。


別の党

 渦潮の渦は不思議です。潮の流れによって、渦を構成する水分子は次々に入れ替わっています。しかし水分子が入れ替わっても、一つの渦はその渦として構造を保っているわけです。その一方で、全ての水分子がかわらずに存在していたとしても、流れが止まれば渦はなくなります。こうしたものを物理学では散逸構造といいます。

 政党というのも、いわばそのようなものであるのかもしれません。政治家たちの出入りがあっても党は党としての運動を継続していきます。その一方で、政治家がほとんどそっくりいた場合でも、党は従来の運動を失うことがあるわけです。

 今回の選挙の中道は、従来の立憲支持者の相当数にとって、立憲の後継政党とみなされなかったようでした。衆院の立憲は消え、それまでの支持者はいちど投票先をなくしたのだと言うこともできるかもしれません。つまり、かつての立憲票の大部分は一度まっさらな状態で宙に浮き、その後、投票日が近づくにつれて、改めて一部が中道という「別の党」に投票することを決め、一部がまた他の様々な党に投票することを決めていったのではないでしょうか。

 けれどもそれは、衆院の立憲が自ら選んだことなのです。原発ゼロ社会を一日も早く実現するということも(綱領を参照)、安保法を違憲であるとして、その違憲部分の廃止を掲げて去年までの選挙に臨んできたことも(これまでの選挙政策を参照)、中道には引き継がれませんでした。

 安保法については、当時の立憲の幹事長だった安住淳氏が次のように述べています。

 条文の一部が違憲であるという主張も新党では認められないのかと重ねて問うと、安住氏はこう強調した。
「認めません、そんなことは。ハンコついて入党申込書を出してるんですから。一体誰ですか、そんなことを言っているのは」

出典:新党結成のキーマン「中道・安住淳氏」緊急インタビュー
合流した議員らに「当選したら違うことを言うのは許されない」

 原発については、松下玲子氏が「原発再稼働反対です。入ったうえで、中で頑張りたいと思います」と1月20日にX(旧Twitter)で発信しましたが、翌日に削除に追い込まれ、「言葉が足らず、覚悟に欠ける投稿があったことを心からお詫び申し上げます」(出典)という謝罪文が投稿されました。異論は許されなかったのです。

 立憲の綱領の筆頭に掲げられた「立憲民主党は、立憲主義と熟議を重んずる民主政治を守り育て……」(出典)という精神はどこに行ったのでしょうか。

 そしてなにしろ、立憲という党の渦の中心をなしていた「立憲主義」や「民主主義」を、今回「中道主義」によって上塗りしたわけです。

 中道の結党時に共同代表に就いた斉藤鉄夫氏は、1月15日の会見で次のように述べました。

 今回、いま綱領づくりも行っておりますが、その綱領も公明党の考え方に基づいた綱領になります。まあ、そうした、先ほどの公明党が掲げた、その綱領に基づく五つの政策も、公明党が作った中道主義を具体化したものであります。そういう旗のもとに集まってきた人に対しての、支援のご理解ということについては、一生懸命説明をしていきたいと思います。集まった人はもう立憲の人じゃないんです。公明党が掲げた五つの旗のもとに集ってきた人です。立憲の人ではありません。

出典:公明党・斉藤代表コメント|立憲民主党と公明党が新党結成へ 党首会談で合意
早期の衆院選に備え【LIVE】(2026年1月15日) ANN/テレ朝
(17:10から)

 公明と中道に連続性がある一方で、立憲と中道にそれはないのです。

 このように党の一貫性を自ら断ち切っておいて、支持者が黙ってついてくると立憲側が考えていたとしたら、そこには大きな勘違いがあったと言わざるを得ないでしょう。


背憲者はいけんしゃ

 衆院の立憲は、自らの過去と決別することを選んだとしか言いようがありません。しかしなぜ、自らの過去と決別するのが、26年間にわたる自公連立を離脱した公明の側ではなく、立憲の側でなければならなかったのでしょうか。

 立憲は、結党から昨年までに行われた全ての衆院選と参院選で安保法を違憲だとしてきました。第48回衆院選(2017年)の政策パンフレット第25回参院選(2019年)の立憲ビジョン第49回衆院選(2021年)の政策パンフレット第26回参院選(2022年)の政策集第50回衆院選(2024年)のマニフェスト第27回参院選(2025年)の政策パンフレットのいずれを見ても「違憲」あるいは「立憲主義を逸脱」という表現があります。

 そうである以上、当時、安保法に賛成した自民党と公明党、次世代の党、新党改革、日本を元気にする会の一部などにたいしては、違憲の法案に賛成した政党、あるいは立憲主義を逸脱した政党とみなしているということであり、当時そこに所属していた議員にたいしては、採決の際に憲法に背いた行動をした者だと言っているも同然であるわけです。

 憲法に背いた者。これを新たに背憲者はいけんしゃと呼ぶことにするならば、立憲は当時の公明党に背憲者の烙印を押したのです。

 もともと公明党は「平和の党」という理念を持っています。しかしその理念から遠ざかっていく自民党を、公明党は26年にわたって支え続けました。法体系の頂点を正規の手続きなしにひっくり返してしまうという「解釈改憲」を経て安保法が作られたとき、公明党は確かにその一翼を担ってきたのです。立憲は、そのことに対する総括を求めるべきでした。

 連立から外れた公明も含めて、高市自民に対抗する緩く広い連帯をつくるという考えはわからなくはありません。しかしそうした総括を経ずして、公明と合流し一つの政党をつくるとしたら、それは自らが背憲者の同類となることにほかなりません。

 中道に合流した立憲系の議員は、そのとき確かに「踏み絵」を踏んだのです。その「踏み絵」に何が書かれていたのかをおわかりでしょうか。

 憲法です。


自ら招いた逆風

 これまで違憲としてきたものを、新党では違憲ではないとして合流するのは、遅れてきた「解釈改憲」といえる行為です。合流に際して、憲法についてそのような扱いをしても構わないという態度を示したことは取り返しのつかない汚点として残るでしょう。中道の当選者も落選者も、もはや「立憲」などという贅沢な名は二度と名乗れなくなったのです。

 もちろん合流の過程には様々な事情があったのに違いありません。合流が全くのトップダウンで通達され、異論を封じられたような状況にあって、不本意ながら選択することを強いられた人も多くいたのでしょう。

 しかし、選択をした責任は、最終的には選択した者が引き受けるものです。合流に従わざるをえなかったというのなら、あなたの政治家としての主体性はどこにあるのかということになるからです。支持者は、支持する政治家が自らの信念と主体性のもとに行動することを信じて票に名前を書き込みます。その政治家が一貫した振る舞いをしてくれるというのは、票を託す際の前提です。

 中道に合流した立憲の敗北は、「高市旋風に押し負けた」とか「SNS上のデマが横行した」といったレベルの話で総括できるものではありません。党や政治家の振舞いや信頼性への疑いが生じていたのです。

 自ら掲げてきた政策や綱領をいとも簡単に投げ捨てる態度によって、中道の立憲系は一貫性のない支離滅裂な行動をとったとみなされたでしょう。そうした行動を先導した者を党の上層に置いていたこと、それに衆院の現職ほぼ全員が追随したことはガバナンス上の問題でもあります。ボトムアップと言ってきた党が、衆院に関してはトップダウンで消えたのであり、それを止めるいかなる方策も機能しなかったということです。説明と、熟議と、まっとうな手続きを飛ばして、独断で自らの党名を塗り替え、そっくりスタンスを変えてしまうような振舞いをする勢力に、どれだけの有権者が権力を委ねたいと思うのでしょうか。むしろそのような政治をやってはならないと言ってきたのが立憲ではなかったのでしょうか。

 「中道」という創価の大運動の旗印を政党名にしたこと、従来の安保や原発などの政策を全面転換する形で公明に合わせたこと、比例名簿の上位に公明系をベタ付けにしたことなどから、立憲側は一方的な譲歩をしていたことがうかがえます。どれだけの有権者がこれに諸外国の首脳と渡り合うだけの狡猾さと老獪さを見出しうるでしょうか。これらはいずれも政権担当能力のなさを露呈したものにほかなりません。

 中道に逆風が「吹いた」のではありません。自ら招いた逆風です。自らの立場をガラッと変えてしまったことが受け入れられずに負けたのです。それを「高市旋風が」とか「SNSが」とか、「力が及ばず」といって総括するとしたら、それはごまかしにほかならず、敗北した者の弁明として二重に支持者を裏切る行為になると言わなければなりません。

 どのような顛末で衆院の立憲が自民に大量の議席を奉還し、現行憲法下で初めて自民単独の3分の2が実現されたのかということは、これから正しく、厳粛に、総括されなければなりません。自らの選択が招いた結果を受け止めることからしか、開ける未来はないからです。


 以上で試論を終え、ここからは今回の衆院選に関する若干の個人的な見解を述べることにします。短いですが、記事を評価してくださる方は、参加していただけると励みになります。


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