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校長が一人で判断する学校は、本当に強いのか――危機時の「判断」を一人に集中させない組織づくり|『孫子』に学ぶ学校経営(55)

学校で大きなトラブルや緊急事態が起きた時。

職員室の視線が、校長へ一斉に集まるような学校組織があるかもしれません。

「校長、どうしますか?」

「教育委員会や警察へ、今すぐ第一報を入れますか?」

「保護者への説明は、どのようにしますか?」

「明日の授業や登校は、どうしますか?」

四方八方から不確実な情報が集まり、一分一秒を争う状況の中で、校長には判断が求められます。

学校としての最終的な判断について、校長には大きな責任があります。

だからこそ、校長自身が考え、決断することから逃げることはできません。

しかし、管理職として危機対応に関わる中で、私は強く感じるようになりました。

最終的に校長が「決める」ことと、校長一人で「考える」ことは、同じではありません。

むしろ、すべてを一人で判断しようとすることの方が、学校の危機管理では大きなリスクになることがあります。

前回は、危機が起きた時に、

「何が起きたのか」

だけでなく、

「学校は、いつ何を知り、どう判断し、どう動いたのか」

という、自分たち自身の対応を振り返ることについて考えました。

では、その「判断」そのものを、危機の最中にどのように行うのでしょうか。

今回考えたいのは、

危機時の「判断」を、校長一人に集中させないこと

です。

最終的な責任を負う人は明確にする。

しかし、そこへ至るまでの情報収集や見立てまで、一人の頭の中だけで完結させない。

この記事では、『孫子』の「分数」という言葉を手がかりに、危機対応における組織的な意思決定と、責任者が不在でも判断を止めない学校組織について考えてみます。


一人の頭だけでは、危機の全体像は見えない

どれほど経験豊かな校長でも、一人の人間です。

危機の中では、焦ることもあります。

情報を見落とすこともあります。

一つのことに意識が集中し、別の重要な視点が抜けることもあります。

時間が限られれば、なおさらです。

だからこそ、学校全体の安全や、子どもたちの命に関わる判断を、一人の頭の中だけで完結させないことが大切です。

校長の経験や直感が不要だということではありません。

経験があるからこそ、「見える」ことがあります。

一方で、経験があるからこそ、「見えなくなる」こともあります。

私自身も、最初に「こういうことではないか」と思った見立てに、その後の情報を当てはめてしまいそうになることがあります。

「以前こうだったから」

「おそらく今回もこうだろう」

という経験は、判断を助けてくれます。

けれど、その経験が、別の可能性を見る目を狭めることもあるのだと思います。

だからこそ、

必要な情報を集める。

異なる見方を聞く。

自分とは違う意見も確かめる。

その上で、決める。

責任ある判断をするために、一人で考えない。

私は、この姿勢が危機に強い学校をつくる上で大切だと思っています。

『孫子』が説く「分数」

『孫子』の兵勢篇に、次の言葉があります。

衆を治むること寡を治むるが如くするは、分数是なり。

本来の「分数」は、大軍をいくつかの部隊に分け、役割や編成、指揮系統を整えることによって、大勢であっても統制して動けるようにするという組織論です。

大勢を動かす時に、

「全員を一人の指揮官が直接動かす」

という方法を取るのではありません。

組織を分ける。

役割を定める。

指揮の流れをつくる。

そうすることで、大きな組織を動かします。

私は、

大勢を個人の力量だけで動かすのではなく、役割と指揮の仕組みによって動かす

という考え方に、学校危機管理への示唆を感じます。

学校に引き寄せるなら、

誰が情報を集めるのか。

誰が整理するのか。

誰が判断を支えるのか。

そして、誰が最終的に決めるのか。

その流れを、あらかじめ組織としてつくっておく。

危機対応を一人の判断力に預けるのではなく、情報と判断が流れる仕組みをつくる。

それが、学校における「分数」の一つの読み方ではないかと思います。

副校長・教頭が、判断材料をつなぐ

危機が起きた時、すべての情報が直接校長へ集まればよいわけではありません。

現場では、複数のことが同時に動いています。

生徒の安全確認。

保護者への連絡。

関係する教職員からの情報収集。

教育委員会や関係機関との連絡。

授業や学校運営への影響。

こうした一つひとつを校長が直接確認しようとすれば、かえって全体を見ることが難しくなります。

そこで重要になるのが、副校長・教頭の役割です。

現場から上がってくる情報を集約する。

必要な教職員へ役割を振る。

不足している情報を確認する。

複数の動きがどこまで進んでいるかを把握する。

そして、

「今、確認できているのはここまでです」

「この点は、まだ確認できていません」

「ここについては、別の見方もあります」

と、校長が判断できる状態へ情報をつないでいく。

私自身、副校長として学校経営に関わっていた時期を経て校長になった今、改めて、副校長・教頭が情報と人をつなぎ、学校全体の動きを整える役割の大きさを感じています。

校長が一人で判断しないためには、副校長・教頭を軸に、必要な判断材料が組織の中を流れることが欠かせません。

もちろん、副校長・教頭だけがすべてを抱えるという意味ではありません。

養護教諭だから見えること。

学年主任だから分かること。

特別支援教育コーディネーターだから気付くこと。

スクールカウンセラーだから見えること。

主幹教諭だから捉えられる学校運営上の課題。

必要に応じて、教育委員会、警察、消防、医療機関などから得られる専門的な情報もあります。

それぞれが持っている「部分」をつなぐことで、初めて「全体像」に近づいていく。

そこに、「分数」の考え方を学校へ生かす意味があるのだと思います。

最後に決める人を、曖昧にしない

組織で判断材料をつくることと、

「みんなで決めること」

は、必ずしも同じではありません。

情報を集める。

専門的な見立てを聞く。

リスクや選択肢を整理する。

そこまでは、組織の力を使います。

しかし、学校として方針決定が必要な場面では、

「誰が決めるのか」

を明確にします。

必要な情報や複数の見立てを踏まえた上で、

「この方針でいきます」

と校長が決め、責任を引き受ける場面があります。

一方で、救命や避難など、現場で即時に動くべき対応まで、校長の指示待ちにしてはいけません。

命に関わる安全確保は、現場で直ちに行う。

そして、その情報を次の責任者へつなぐ。

判断材料は組織でつくる。

必要な権限は、適切に持たせる。

そして、責任の所在は曖昧にしない。

この三つを分けて考えることが大切なのだと思います。

校長の判断に「異論」が入る仕組みをつくる

複数の人で考える意味は、会議に参加する人数を増やすことではありません。

校長が一つの見方を示した時に、

「別の可能性があります」

「その案には、このようなリスクがあります」

「もう一つ別の方法も考えられませんか」

と、必要な異論が出ることが大切です。

校長が、

「私はこう思う」

と言った瞬間に、全員がその見立てへ合わせてしまえば、何人集まっていても、実質的には一人で判断しているのと変わりません。

危機の最中には、

「早く決めなければ」

という圧力があります。

私自身も、そういう時ほど、自分の考えを早く固めたくなることがあります。

だからこそ、

「ほかの見方はありませんか」

と、自分から問い返すことを意識したいと思っています。

副校長・教頭をはじめ、身近な管理職や教職員が、

「そこは少し違うのではないでしょうか」

と言えること。

そして、校長がその異論を受け止められること。

異論が入ることも、判断システムの一部です。

危機の時ほど必要なのは、校長の判断を支える「賛同」だけではなく、「校長の死角」を知らせてくれる「異論」なのかもしれません。

校長が不在でも、判断を止めない

「分数」の視点でもう一つ大切なのは、責任者が不在でも、必要な判断が止まらないことです。

危機は、校長が学校にいる時だけ起きるわけではありません。

校長が出張していることもあります。

その時、

「校長に連絡がつくまで待ちましょう」

となってしまえば、必要な対応が遅れることがあります。

だからこそ、平時から、

校長が不在であれば、副校長・教頭がどこまで判断するのか。

さらに、副校長・教頭も不在なら、誰が次の責任者となるのか。

現場で直ちに判断してよいことは何か。

後から校長へ報告すればよいことは何か。

どのような場面では、教育委員会などへ直接確認するのか。

そこを共有しておく必要があります。

単に、

「校長がいなければ副校長・教頭」

という順番だけでは十分ではありません。

「誰が代わるのか」だけでなく、「どこまで判断できるのか」まで共有しておく。

人が不在になることはあります。

しかし、

人が不在になっても、判断の仕組みまで不在にしない。

危機が起きてから、その仕組みを考える余裕はありません。

だからこそ、平時につくっておきたいと思います。

経験の差があっても、判断の流れに入れるようにする

危機が起きた時、最初に情報をつかむのが、経験豊かな教職員とは限りません。

経験の浅い教職員かもしれません。

その業務を初めて担当する教職員かもしれません。

非常勤の教職員かもしれません。

だからこそ、

「経験のある人なら、誰に相談すべきか分かる」

という状態にはしたくありません。

何を確認したらよいのか。

誰へ情報をつなぐのか。

判断に迷った時、誰に相談するのか。

その流れを分かりやすくしておく。

危機時の意思決定に参加できるかどうかを、経験年数だけに委ねない。

一人で正解を出せなくても、必要な判断へ情報をつなぐことはできる。

そこにも、「分数」の考え方が生きてくるのだと思います。

判断を、一人に集中させない学校へ

『孫子』の「分数」は、本来、大勢の軍を部隊に分け、役割や編成、指揮系統を整えることで動かすという組織論です。

学校危機管理に引き寄せるなら、私は、

情報と判断が、必要な人へ流れる道筋をつくること

だと捉えたいと思います。

現場で情報をつかむ人がいる。

副校長・教頭が情報や人をつなぐ。

それぞれの専門性から見立てが出る。

必要な異論が入る。

そして、学校として決めるべき場面では、校長が責任をもって判断する。

校長が不在なら、次の責任者へ判断がつながる。

判断を一人に集中させない。

しかし、責任の所在は曖昧にしない。

この両方を成立させる仕組みが、危機の中で学校の判断を止めないのだと思います。

「分数」とは、単に仕事を分担することではない。

危機の中でも、組織として考え続け、判断し続けるための設計なのだ。

私は、そう捉えています。

危機に強い学校は、校長が何でも一人で即断する学校ではありません。

だからといって、誰が決めるのか分からない学校でもありません。

必要な情報が集まり、異なる見方が交わり、必要な人が責任をもって決める。

その流れが、平時から組織の中につくられている学校です。

校長には、学校としての判断に責任があります。

だからこそ、責任ある判断をするために、一人で考えない。

そして、自分がいない時にも、学校として判断できる仕組みを残していく。

校長として、そんな学校を、先生方とともにつくっていきたいと思います。

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