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世界は一つ、人の世界は無数にある

「知らない方が幸せだった。」

そんな言葉を、一度くらいは耳にしたことがあると思います。

恋愛でも、人間関係でも、仕事でも。
真実を知ったことで傷付いた経験は、多くの人にあるのではないでしょうか。

世の中では「知ること」は良いことだと言われます。

勉強をすることも、経験を積むことも、世界を知ることも、
基本的には前向きなものとして語られます。

しかし、本当にそうなのでしょうか。


知ることは善なのか

私は、「知らないからこそ幸せになれること」も、
決して少なくないと思っています。

例えば、恋愛です。
恋をすると、人は普段では考えられないような行動を取ることがあります。

毎日料理を作りたいと思ったり、相手のためなら時間を使いたいと思ったり。

恋愛をしていないときの自分なら、
「そんな時間があるなら自分の好きなことをしたい」と思っていたとしても、恋をすると、その価値観が簡単に変わってしまいます。

ある意味では、一時的に世界の見え方が変わっている状態なのかもしれません。

宗教もそうです。
もちろん、宗教には文化や歴史として受け継がれてきたものもありますし、一概には語れません。

ただ、人は何かを強く信じることで、生きる意味を見つけたり、苦しみを乗り越えたりすることがあります。

本人が心から幸せだと感じているなら、
その人にとっては、それが世界の真実なのです。

ねずみ講のような悪質なものですら、
本人だけを見れば、「夢がある」「人生が変わる」と信じ、
毎日を前向きに生きている人もいます。

もちろん、他人に被害を与えることは許されません。

ですが、「本人の幸福感」という一点だけを見るなら、
そこには確かに幸せが存在しているのだと思います。

優しい嘘も同じです。
サプライズを秘密にすること。
相手を傷付けないために、あえて伝えないこと。

知らないからこそ守られる幸せがあります。

そう考えると、「知ることは善である」という考え方は、
本当に絶対といえるのか、私は少し疑問に思います。


人が見ている世界

人は世界を見ているようで、
実際には「自分が解釈した世界」を見ています。

同じ景色を見ても、美しいと思う人もいれば、何も感じない人もいます。
同じ言葉を聞いても、励まされる人もいれば、傷付く人もいます。

世界は一つなのに、人の数だけ世界が存在している。

つまり、人は現実を生きているのではなく、
自分の中で作り上げた世界を生きているのです。

だからこそ、真実よりも、その人が信じている物語の方が、
幸福を左右することがあります。


知ることは選ばないこと

もちろん、知識には価値があります。

知らなかったことを知ることで、自分を守れることもあります。新しい選択肢が増えることもあります。

ですが、その一方で、
知ってしまったら二度と戻れないものもあります。

子どもの頃に信じていたもの。
純粋に憧れていたもの。
何も疑わずにいられた自分。

一度知ってしまえば、
「知らなかった頃の自分」には、もう戻れません。

知識は自由を与えてくれます。
ですか同時に、幻想を壊し、選択肢を減らすこともあります。

選ぶということは、何かを捨てるということです。

Aを選べば、Bの未来は失われます。

真実を知るということは、「知らなかった頃の幸せ」を手放すことでもあります。

一方で、知らないままでいるということは、
「知った先にあったかもしれない世界」を手放すことでもあります。

だから、知ることには、必ず少しだけ悲しみが伴うのではないでしょうか。


知ったことで見える景色

ここまで読んだ方は、
「やっぱり知らない方が幸せなんじゃないか」と思われたかもしれません。

でも、私はそう言いたいわけではありません。

知らないことで守られる幸せは確かにあります。
けれど、知らないことで誰かを傷付けてしまうこともあります。

悪気のない自分の言葉が相手を深く傷付けていたり、
自分の思い込みが誰かを苦しめていたり。

それは、自分の世界しか知らないから起きることでもあります。

また、知ることで初めて見える景色もあります。

知らなければ出会えなかった価値観。
知らなければ理解できなかった人。
知らなければ踏み出せなかった世界。

知識は、「知らなかった頃の自分」を失わせる代わりに、
「新しい自分」を与えてくれるのです。

だから私は、「知ること」と「知らないこと」
どちらかが正しいとは思いません。

もしかすると、「知らない方が幸せ」というのは、
自分一人だけを見たときの話なのかもしれません。

他者と関わりながら生きていく以上、
知ることで救われる人もいれば、知ることで初めて優しくなれることもある。

そう考えると、幸せとは
「知る・知らない」のどちらかを選ぶことではなく、
その二つの間を揺れながら生きていくことなのかもしれません。

もしかすると、人はその揺れそのものを抱えながら生きる生き物なのかもしれません。


さいごに

私は、最近思ったことがあります。

宇宙のすべてを知って死んでいく人は、おそらく一人もいません。

どれだけ世界中を旅しても。
どれだけ本を読んでも。
どれだけ賢い人でも。

人生で見られる世界には限界があります。

つまり、私たちは皆、
自分の見えている世界だけを持って人生を終えるのです。

それは少し寂しいことなのかもしれません。
でも、どこか安心する事実でもあります。

誰も世界のすべてを知ることはできない。
だから、誰も「本当の世界」を語ることはできない。

私たちは最後まで、自分だけの世界を生き、
自分だけの世界を抱えたまま人生を終える。

だからこそ、人と話し、本を読み、旅をすることには意味があるのかもしれません。
世界のすべては知ることができなくても、
自分の世界を少しだけ広げることはできるのです。

そう考えると、「真実」とは何なのか、「幸せ」とは何なのか、
その境界線も、思っているほどはっきりしたものではないのかもしれません。

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