母を、初めて私の街に連れて帰った
母を、初めて私の住む街に連れて帰った。
骨になってから、だった。
私は53歳の会社員です。
母は実家で一人で暮らして、そのまま、実家の近くの病院で息を引き取りました。
父はずっと前に亡くなっていたので、あの古い家には、母だけが残っていました。
実家から、私の住む街までは、片道4時間以上。
新幹線と在来線とバスを乗り継いで、ようやく玄関にたどり着く。そういう距離でした。
この3年、私はその道を、何十回も往復しました。
いつも、私が母のところへ行くんです。
母が、私のところへ来ることは、一度もありませんでした。
「こっちに一回、遊びにおいでよ」
そう誘ったことも、何度かあります。
でも母は、そのたびに笑って、はぐらかすんです。
「あんたの家、狭いんでしょう」とか。
「私が行ったら、かえって気を遣わせるからいいわよ」とか。
膝が悪いのもあったし、あの家を長く空けるのが、母は嫌だったんだと思います。
で、結局。
母がこの街に来ることは、生きているうちには、なかった。
火葬の日のことは、あまりよく覚えていません。
覚えているのは、待合室の、やたらと明るい蛍光灯と、
職員の方の、静かで慣れた足取りだけです。
骨を拾うとき、箸が、思うように動きませんでした。
手が震えているのが、自分でも分かる。
係の人が、「ゆっくりで大丈夫ですよ」と、小さな声で言ってくれました。
白い布に包まれた骨壺を、私は両手で受け取りました。
持った瞬間に、思ったんです。
軽い、と。
あんなに、いろんなものを背負って生きた人が、こんなに軽くなるのか、と。
あの、賞味期限切れの総菜がいっぱいの冷蔵庫も。
やかんを空焚きしそうになった夜のことも。
全部ひっくるめて、この、両手にすっぽり収まる重さになってしまった。
帰りの新幹線は、たまたま二人がけの窓側が取れました。
私は通路側に座って、窓側の席に、骨壺を置きました。
白い布をかけたまま、シートベルトはさすがに、しませんでしたけど。
膝に抱えるには、少し大きくて。
でも、床に置くのは、どうしても嫌だったんです。
だから、隣の席が母の指定席みたいになって。
私はときどき、その白い布に、手を添えていました。
ふと、変な感じがしたんです。
今、母は、生まれて初めて、私の街に向かっている。
私が何十回も通った、あの4時間の道を、母が逆向きに進んでいる。
窓の外を、田んぼとか、知らない駅のホームとかが、流れていきました。
「ほら、母さん、あれが海だよ」
心の中で、そんなことを言ってみたりして。
返事なんて、あるわけないのに。
隣の席のサラリーマンが弁当を食べていて、その匂いが、妙に生々しくて。
私はそのあいだ、缶コーヒーも買わずに、ただ座っていました。
この道を、母と一緒に来られたら、どんなによかったか。
生きているうちに、一度でいいから、この窓から海を見せられたら。
そう思ったら、なんだか、口の奥が痛くなって。
マスクをしていてよかった、と、そんなことを考えていました。
私の街の駅に着いて、改札を抜けて。
いつもの見慣れた景色の中を、骨壺を抱えて歩くのは、不思議な感じでした。
ここが、私の暮らしている場所だよ。
そう見せて回りたいような、でも、こんな形で見せたくなかったような。
あれから、しばらく経ちます。
骨壺は、まだ私の部屋の、棚の上にあります。
納骨を、どうするか、まだ決めきれていないんです。
実家の墓は遠いし、あの墓をこの先どうするのかも、はっきりしていない。
弟とも、そのあたりの話は、まだちゃんとできていません。
専門家の方には、「気持ちの整理がつくまで、手元に置いておく方も多いですよ」と言われました。
細かいことはケースによって違うので、私も、一つずつ確かめている最中です。
手続きや費用でつまずいた話は、ブログ『みおくりのリアル』の方に、順番に書き足しています。
▶ 身内が亡くなったらすること、私が迷子になった手続きリスト
ときどき、掃除のついでに、その白い箱に、軽く手を触れます。
「やっと、うちに来たね」って。
母は、私の街に、たしかにいる。
いるんだけど。
これが、私の望んだ形だったのかは、まだ、分からないままです。
