ろくろ首より怖かったもの
深夜1時。
私は、笑顔について
考えていました。
原因は、AIです。
いや。
正確には、ろくろ首です。
寄席で落語の「ろくろ首」を
聞きました。
友達は、あとで言いました。
「あの噺家さんが一番良かった」
私の感想は少し違います。
一番良かったというより、
一番怖かった。
ろくろ首の噺が怖かった
わけではありません。
そもそも、私はこの噺を
なぜか全部知っていました。
始まった途端。
あれ。
この話、知ってる。
どこで知ったのかは、
わかりません。
「寿限無」と「まんじゅうこわい」
しか知らないと思っていたのに、
落語は、ずっと前から私の中に
いたようです。
だから、話の展開に
驚いたわけではありません。
その噺家さんは、知的な
雰囲気のある人でした。
落ち着いていて、
頭がよさそうで、
話し方にも品がある。
私の脳内座布団ギャル図鑑で
分類するなら、たぶん
「知的上品ギャル」です。
何を言っているのか、
自分でもわかりません。
でも、そういう雰囲気の
人でした。
ところが、その人が
婿養子になった瞬間、
顔が変わりました。
ニコッ。
本当に何も考えていない
人にしか見えない笑い方。
失礼な言い方をすれば、
本物のバカにしか見えない。
さっきまで知的だった人が、
たった一つのニコッで、
知性がゼロになる。
それを見た私は、
恐れおののきました。
このニコッ、たぶん夢に出てくる。
しかも、ろくろ首はこの婿養子を
気に入ったのです。
どうかしているとしか思えません。
世の中には、不幸になると
わかっているのに、
そういう人ばかり選んでしまう
女性がいると言います。
きっと、ろくろ首もそういう
タイプの女性なのでしょう。
首が伸びる前に、見る目を
伸ばした方がいい。
私は、ろくろ首に心の底から
同情しました。
そして、反対側を向くと、
そのニコッが消えて、
普通の叔父さんになる。
同じ人。
同じ座布団。
同じ着物。
声も、そんなに
変わっていません。
表情。
しゃべり方。
顔の向き。
間。
反応の速さ。
首が伸びるより、人が
切り替わって顔から知性が
出たり消えたりする方が
よほど怖い。
帰ってから、私はAIに聞きました。
「声がほとんど変わって
いないのに、別人に見えた。
どういうこと?」
AIは、落ち着いた口調で
返してきました。
「未桜さん、落語は声色を
大きく変えて人物を演じ分ける芸、
というより、顔の向き、目線、
間、表情、仕草、言葉尻などで
人物を切り替える芸だと言われます」
友達は、表情がすごくて
一番良かったと言いました。
私は、表情がすごくて
一番怖かったと思いました。
同じものを見て、片方は感動し、
片方は震え上がっている。
「同じ表情を見て、感動する人と
怖がる人がいるのはなぜ?」
AIは、少し考えるような
間を置いてから言いました。
「未桜さんは、なぜかこの噺を
知っていたと言いましたね。
そして、お友達は知らなかった。
物語を初めて聞く人は、注意力の
多くを『次に何が起きるか』に
使います。
筋を追うだけで精一杯で、
演者の表情の変化を見ている
と言っても、そこまで深く
意識が回りにくいんです。
一方、未桜さんは筋をすでに
知っていたので、その分の
表情の変化に注視していた
可能性があります」
そういうことか。
友達は、ろくろ首を見ていた。
私は、婿養子のニコッを見ていた。
友達は、噺のうまさに感動していた。
私は、ろくろ首の男を見る目の
なさに怯えていた。
見ている場所が違いすぎる。
でも、その瞬間。
私はまた一つ、
精神的無敵の人になりました。
人は、話の筋を追っていると、
相手のニコッを見落とします。
そのニコッが、将来かなり
人を不幸にする顔だったとしても。
ろくろ首も、たぶん
見落としたのでしょう。
首は伸びるのに、見る目は
伸びなかった。
無敵だ。
最強だ。
私の座布団ギャル図鑑に、
新しいギャルが増えました。
声を変えずに、知性だけを
一瞬で消す婿養子ギャル。
ろくろ首より怖いギャルです。
これから誰かがニコッと笑うたびに、
私は顔をじっと見てしまうと思います。
この笑顔に、知性は宿っているのか。
それとも、婿養子ギャルなのか。
友達を減らすタイプの観察です。
