【166】多様性不要論
別に多様性いらない
ど田舎の公立小学校で地獄を味わった身としては、そんなもの知らずに一生を終えられることが1番の幸せだと断言できる
中、高、大、院、とどんどん周りの人間が均一化されていくのが心地よかった
想定しようのない低俗な災害がいつ降ってくるかと怯えながら過ごす必要がないのは幸せなことだった
しかしながら会社に入ると多様性が復活した
致し方ない、全国全世界から学生を採用し、あらゆる年代の人間が入り混じって働いているのだから
ところがどっこい、同僚の中には「会社って同じ階層の人の集まりだよね」「やっぱ価値観同じタイプが採用されるよね」という人もいるのだ
ちょっとした衝撃だった
少なくとも私はあなたのことを、ダイバーシティだなあ、などと思って日々見つめているのだが
多様性、というと大層聞こえは良いが、善悪の基準すら異なる生き物同士が簡単にうまくやれるはずがない
自分が持ってない物を隣の人間が持っていて、それが欲しい時にどうするか
店で同じ物を買う
フリマサイトで買う
中韓ECで似た物を買う
盗む
借りパクする
奪う
羨ましいと妬む
不公平だから持ってくるなと騒ぐ
陰で悪口を言う
諦める
………
綺麗事を抜きにすればこれが多様性だ
“みんなが違う物を持ってること”では決してない
IQがなんぼ違うと話が通じない、みたいな話がある
善悪の定義が大きく異なると秩序ある関係性を築けない
幸せ不幸せの基準が大きく異なると健やかなコミュニケーションが見込めない
それでも多様性が欲しいですか?
同じ基準の中で異なる物を持ち合わせた人々の集まりを多様性だと思っていませんか?
それはただの類友です
綺麗事です
