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【自著を語る】斎藤道三だけではない/木下 聡

僧侶から土岐氏重臣に上り詰めた長井新左衛門尉。下剋上により美濃国主となった斎藤道三。父親を倒して国威を増した義龍。織田信長の攻勢により敗れた龍興。稲葉山城を舞台に勃興し没落していった四代の軌跡を描く『斎藤氏四代』(2020年2月刊)刊行直後の木下聡先生に、自著について語っていただきました。

◆道三の実像

 本書は『斎藤氏四代』と銘打っている。それだけ聞くとどこの斎藤かと疑問に思われるだろう。斎藤道三を含む、と言われれば、ようやくああ、あの斎藤かと連想されるのではないか。

 斎藤道三と言えば、下剋上を遂げた戦国大名であり、「まむし」の異名で恐れられた存在、というのが多くの人が持つイメージであろう。

 では、下剋上をした以外に、具体的に何をしたのかと聞かれると、織田信長の嫁の父、信長と対面してその器量の大きさを見抜いたなど、信長がらみの逸話ぐらいしか知られていないのではないだろうか。道三の性格も、「まむし」イメージが先行しすぎている。これはそのイメージにぴったりな、常在寺の肖像画の存在(本書口絵参照)が補強している感もあるが、道三の実際の行跡は、案外知られていない。

 同時代史料が乏しいため、残念ながら人間・道三の内面を窺い知ることはできなかったが、そのぶん美濃国主に成り上がるまでの過程、国主の座を簒奪して後の政治状況を見ることで、本書では道三の政治・軍事手腕について提示している。

◆他の三代の見所

 一方、道三に比して、息子義龍、孫龍興の知名度は、随分と低いだろう。義龍は道三を討ち取っていることにより、龍興は信長によって美濃を取られた、あるいは竹中半兵衛に稲葉山城を少人数で奪われたことによって、全く知られていないわけではないが、主題として描かれることがほとんど無い。道三の父である長井新左衛門尉に至っては、よほどの歴史好きでなければ、存在すら知られていないだろう。

 しかしこのマイナーな三人は、それぞれ道三に負けず劣らず、興味深い点を持っている(個人的には道三より惹かれる)。
 新左衛門尉は、只人から守護の重臣まで上り詰めた、下剋上出世譚を体現する人物である。かつて道三の前半生とされた、最も興味深い出世過程の詳細が不明なのが惜しい限りだが、本書では史料に見える、出世しきった後の動向を示している。

 義龍は、大名としての活動期間が実質六年に満たないにもかかわらず、国内政務・対外交渉に目を見張る功績を残し、実はその政治手腕は道三よりはるかに上である。もちろん評価できない部分も存在しており、両方の側面を詳しく検討してみた。

 そして龍興は、後世愚劣な武将としてのイメージが定着しているが、その姿が正しいものか詳しく検証し、再評価を図るだけでなく、なぜそうしたイメージが形成されたかにも触れている。敗者となっただけで、低く評価するのは不当だからである。

 道三もさることながら、新左衛門尉・義龍・龍興も含めての美濃斎藤氏四代であり、彼らを中心とした美濃戦国史の世界(信長前史)に、本書を通じて触れてもらいたい。

(『ミネルヴァ通信「究」』2020年8月号)


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