MVP ESSAYS | 未解決の存在と遷移の位相
ショスタコーヴィチの音楽には、
どこか「抑圧された呼吸」のようなものを感じる。
完全に崩れることもできず、完全に救われることもない。
見えない圧力の中で何かを押し殺しながら、それでも歩みを止めない。
そこにあるのは、勝利や解決というより、
「まだ立っていられる」
という、ぎりぎりの存在継続に近い。
しかし興味深いのは、その音楽が絶望へ落ち切らないこと。
崩壊を描きながら、崩壊そのものには至らない。
解決を拒みながら、完全な諦めにも至らない。
まるで構造そのものが、
崩壊と再構成の境界に留まり続けているようにも見える。
ショスタコーヴィチは、聴き終わった後も終わらない。
音楽が終わっても、状態だけが内部に残り続ける。
「 ショスタコーヴィチ 」と「 ストラヴィンスキー 」。
未解決を抱えながら存在を維持する。
存在そのものを別の位相へ押し出す。
境界に留まり続ける。
境界を越えさせる。
「残る」。
「動かす」。
どちらも20世紀を象徴する音楽でありながら、その作用はまるで違う。
一方は存在を保持し、一方は存在を遷移させる。
だから私にとって、ショスタコーヴィチは聴く音楽であり、
ストラヴィンスキーは起こる音楽なのである。
