戦後ゼロ年:1945年11月30日(金)
上野駅で9人死亡 栄養失調……
リンドバーグの貢献
陸軍省・海軍省廃止
(11/30/1945、シカゴ・トリビューンより)
東京の駅で日本人9名死亡
東京、11月29日(AP):
連合国軍総司令部保健福祉部門副部長、J・U・ウェンバー大佐は本日、火曜日に上野駅において、貧困日本人9名が死亡したと発表した。死因は、4名が栄養失調、4名が肺炎、1名が結核であった。

(大半が「火垂るの墓」の節子ちゃんのような子どもと思われ……」)


https://www.nhk.or.jp/archives/sensou/special/sengozeronen/syonen/
リンディの隠された英雄的行動
対日戦に貢献
「彼は見事な働きをした」
(ウィリアム・ストランド記者)
ワシントンD.C. 11月29日:
議会がチャールズ・A・リンドバーグの戦時中の活躍についての感動的な報告を受け取った直後、極東空軍司令官のジョージ・C・ケニー将軍は、太平洋戦域で戦う戦闘機パイロットたちに長距離飛行技術を教えた、かの「孤独な鷲」への高い賛辞を述べた。
ケニー将軍は「彼は見事な働きをしてくれた。私は彼に永遠に感謝している」と、あの著名な大西洋横断飛行家について語った。
ケニー将軍のコメントは、イリノイ州選出のメイソン下院議員(共和党)が議会記録に挿入した声明の引用による。メイソン議員によれば、リンドバーグの空中での偉業には、日本軍機に対する複数の「撃墜」が含まれており、彼が当時43歳で、公式には民間のテストパイロットにすぎなかったことを考えると、なおさら驚異的だという。

FDR政権との確執
リンドバーグはルーズベルト大統領の外交政策に公然と反対し、アメリカの参戦前には中立を強く訴えていた。こうした姿勢により、ルーズベルトの怒りを買い、1941年には空軍予備役の大佐の地位を奪われ、大統領から「融和主義者」であるかのように非難されることも暗に示された。
ホワイトハウスの反対にもかかわらず、リンドバーグはフォード自動車会社に民間の技術顧問として雇われ、その後太平洋戦域へ派遣され、実戦条件のもとで航空機をテストする任務に就いた。
声明によれば、
「リンドバーグは、我が軍の戦闘機や爆撃機でどこまでのことができるかを示すため、何度も自ら危険を冒した。試験飛行の中で彼は実際に複数の敵機を撃墜した」
爆弾搭載量を3倍に
この民間飛行家は、軍の戦闘機パイロットの通常の年齢をはるかに超えていたにもかかわらず、戦闘条件下での軍用機の性能を実証してみせた。
さらにリンドバーグは、アメリカ軍の爆撃機にどれほどの能力があるかも証明した。
ある飛行では、通常より大幅に重い爆弾を搭載しながら、軍の標準的な爆弾搭載量の場合よりも短い滑走距離で離陸してみせたのである。

・11/30:陸軍省・海軍省廃止。第一、第二復員省に。
(「日録20世紀1945」より)

