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戦後ゼロ年:1945年12月16日(日)

近衛文麿、自ら命絶つ
逮捕前に毒あおる

東京、12月16日(AP):
過去10年間に3度首相を務め、真珠湾攻撃に至る時期を含めて政権の座にあった近衛文麿公(54歳)は、戦争犯罪容疑者として逮捕されるよりも、自宅で毒を飲み命を絶った。
近衛公の夫人は、午前6時、公爵の寝室に入り、毒薬の瓶を手にしたまま床の上に倒れている近衛を発見した。遺書は残されていなかったと報告されている。
日本の新聞記者やカメラマンは、近衛が真夜中まで聴取のため収容されていた巣鴨刑務所の入口に殺到した。自殺の報を聞くと、彼らは東京郊外にある近衛の自宅へと急行した。

前夜には来客
昨夜、近衛公は自宅で友人や親族をもてなしていた。
彼の言動からは、真夜中までに自殺するつもりがあるような兆候は見られなかった。
午前2時ごろ、彼は寝室に退いた。
同居人たちは、近衛が部屋に戻った時も「普段通りだった」と証言している。
来客の中には、日本の社会的・政治的上流層の人物が多数含まれていた。
その中には、宮川男爵夫妻、妹の大山武子、そして最近ドイツから帰国した弟の近衛秀麿がいた。
近衛夫人は、明かりがまだ灯っており、異変に気づいて調べに入ったとされる。
落ち着かぬ最期の日々
近衛の秘書、内田(T. Uchiba)は次のように語った。
「今から振り返ると、近衛はアメリカ当局に身柄を委ねるつもりはなかったのは明らかです」
彼はさらに、
「近衛の最期の日々は落ち着かず、不安定でした。自宅で眠ることはほとんどなく、暗殺の可能性を避けるため、友人宅から友人宅へと移動していました」と述べた。
近衛は天皇の従兄にあたる。
彼は1937年の盧溝橋事件当時に首相であり、また真珠湾攻撃直前にも首相職にあり、後任は東条英機であった。
最近では、日本国憲法改正の検討に積極的に関与していたとされ、連合国総司令部(マッカーサー司令部)の要請により、その作業に従事していたと報じられている。

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