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戦後ゼロ年:1945年11月23日(金)

インドネシア:英国、旧日本軍を傭兵化
戦後初のプロ野球試合「東西対抗戦」
「民主主義の拍手だぜ」

(11/23/1945、シカゴ・トリビューンより)

英国、旧日本軍を投入
ジャワ港郊外でインドネシア人と戦闘

バタビア、ジャワ島、11月22日(AP):
イギリス軍の指揮下にある旧日本軍部隊が、東部ジャワの港湾都市スマランの中郊外でインドネシア人と戦闘を行った。一方、騒乱が続くバタビアでは、オランダとインドネシア共和国指導者との和平交渉の試みが決裂した。
イギリスのスポークスマンは、旧日本軍兵士を「よく戦う優秀な部隊」と評した。
日本軍部隊は、スマラン東側のカンポン(郊外の地域)から抵抗するインドネシア人を排除するよう指示され、午前中、激しい抵抗に遭いながらも素早く攻撃した。
イギリスのスポークスマンは、イギリス軍と同様、日本軍にも「いかなる武器を携行している者でも射殺することが許可されているが、彼らはインドネシアの捕虜を殺害するよりも捕らえることに非常に長けている」と述べた。
バタビアで20人死亡
日本軍部隊は、インドネシアのビラを無視した。ビラには日本語で「なぜイギリスと戦っているのか。日本人とインドネシア人は友人だ」と書かれていた。
スラバヤでは、スマランの南175マイルにある大規模な海軍基地が、比較的静かにとどまった。
バタビアでは過去24時間に、散発的な狙撃と攻撃により、少なくとも20人のインドネシア人が殺害された。イギリスの広報は、バタビアの南東75マイルにあるバンドンで「深刻な暴動」が発生したと報告した。
インドネシアの指導者たちは、「インドネシア人の間で平和を乱すオランダの行動」を理由に、オランダとは会談しないとすでに宣言している。

会議が予定
連合軍のオランダ領東インド総司令官、フィリップ・クリスティソン中将との会議が今夜のために予定されている。
あるインドネシアのスポークスマンは、インドネシア側はイギリスとのみ交渉を行うとし、「オランダが射撃停止と、我々の村を焼き、我々の国民を殺害するのを止めるよう命令を出した時、その時に初めて、我々は彼らと話し合う用意があるだろう」と断言した。
インドネシア軍とイギリス軍の間での戦闘は、至る所で激化していた。スマランから、イギリスは包囲されたアンバラワを救援するために、機動歩兵のマハラッタ(インド人)中隊を派遣した。アンバラワでは、1万人のオランダの女性、子供、男性が、インドネシア過激派の攻撃下にいると報告されている。アンバラワは、現在の西部ジャワの「ホットスポット(危険地帯)」として記述された。
アンバラワへの救援隊は、砲兵、迫撃砲、戦車2両と共に、そこにいる小さな守備隊を保護している民間人を救援する途上にあり、マハラッタ部隊はインドネシア人18人と、隠れていた日本人脱走兵1人を殺害した。

プロ野球再開
・神宮球場でプロ野球東西対抗戦が行われる
(「日録20世紀1945」より)
【参考】東西対抗戦
戦後初の職業野球復活「東西対抗戦」(ステートサイド・パーク、現神宮球場):
その日を生きることに精一杯のはずなのに、球場には入場料金の6円を携えた5878人もの観客が詰めかけた。守備位置に就く東軍の選手たちに、観客席から大きな拍手が沸いた。「民主主義の拍手だぜ」。
(週刊ベースボール12/1/2025号連載「あの日、あの時、あの場所で」キタトシオ氏より)
群馬県:桐生新川球場跡(現:新川公園)
終戦から3カ月後の1945年11月24日にプロ野球東西対抗第2戦を開催。戦時、外野は材木置き場になっており、この時も試合中、それを運び出すため、外野を馬車が通った逸話がある。その6日前には全桐生ーセネタースの試合も開催しており、戦後のプロ野球の夜明けはこの地から始まった。
日本野球機構より)

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