戦後ゼロ年:1945年11月11日(日)
捕虜虐待:120人が飢餓や病気で死亡
(11/11/1945、シカゴ・トリビューンより)
日本軍の捕虜3年、帰郷の最終段階へ
海兵隊員ウォルター・L・スロウィアック伍長(住所:パーネル・アベニュー12434番地、アン・スロウィアック夫人の息子)は、真珠湾を出発し、3年以上にわたる日本での捕虜生活を経て、帰郷の最後の行程に向かっている。
1939年8月に海兵隊に入隊したスロウィアック伍長は、1940年4月に太平洋方面へ派遣された。彼は1942年5月6日、コレヒドール陥落の際に捕虜となった。
「受けた扱いは忘れようとしています。特に最初の冬のことを」と彼は語った。「私たちはルソン島のカバナトゥアンにしばらく収容された後、大阪へ送られました。そこでは多くの者が港湾労働者として働かされました」
スロウィアックによれば、収容された400人のうち、最初の冬だけで120人が飢餓や病気で死亡したという。彼自身の体重も145ポンド(約66キロ)から115ポンド(約52キロ)まで落ちたが、「港で扱われた荷物から砂糖や米を盗んで食べ、生き延びた」と語った。
現在は体重も150ポンド(約68キロ)に戻り、「しばらく休養を取ったあと、職業学校に入学したい」と話している。

・連合国俘虜など虐待の300名を逮捕命令。
証拠歴然・マ元帥指令。
(11/11/1945、中国新聞より)

