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戦後ゼロ年:1946年5月19日(日)

食糧メーデー:オナカガペコペコデス
「日本人の笑顔は演技」
伊8潜水艦の捕虜虐殺事件
中国学生の対日レジスタンス

(5/19/1946、シカゴ・トリビューンより)
125,000人が皇居前に集結
食料求め東京で抗議行動
群衆の叫び

東京、5月19日(AP):
推定12万5千から15万人の群衆が本日、皇居の正門前でデモ行進を行い、さらなる食料の即時配給を要求した。
労働組合、共産党、その他の左翼政治勢力のメンバーたちが、皇居外苑の園路に広がった。プラカードや演説者は、米の配給増を訴えた。
「吉田打倒!」
運輸労働者組織の代表者たちも、「吉田打倒」と書かれたプラカードを掲げる者の一人だった。これは、日本の新首相・吉田茂が率いる保守党政権を指している。
皇居での集会の後、デモ参加者たちは吉田首相に自分たちの意見を伝えるため、首相公邸への行進を予定していた。
国会は組閣待ち
米軍警察、武装パトロールカー、装甲偵察車両がデモ地域を巡回していた。しかし、以前の大規模な抗議行動と同様、群衆はよく組織されており、非暴力的であった。2回目の大規模デモが横浜で計画されていた。
意気消沈し困惑した国会は引き続き休会中で、組閣の完了を待つとともに、マッカーサー将軍による政治的追放令によって失職する恐れのある、新しく選出された衆院議長・三木武吉の状況について熟慮していた。
議長選で次点だった自由党の樋貝詮三は、記者団に対し、三木が辞任する見込みであり、自分が議長の座を継ぐことになるだろうと語った。

【参考】食糧メーデー 皇居前広場に25万人
ボクタチハ
ワタシタチハ
オナカガ
ペコペコデス

(毎日新聞より)

元捕虜「日本人の笑顔は単なる演技」
ティズデル少佐指摘「日本には教育が必要」

日本人は戦前の卑屈な態度へと逆戻りしており、現在見られるお辞儀やへつらいは、誠意ではなく“商売上の演技”にすぎない――。
そう語ったのは、35歳のA・C・ティズデル少佐である。元シカゴの広告マンだった彼は、日本軍捕虜収容所で3年間を過ごし、最近では日本およびフィリピンでの戦犯裁判に証言する任務から帰還した。
ティズデル少佐の今回の任務の一部は、戦争犯罪で告発された日本人の身元確認を補助することだった。
彼によれば、初期の供述調書では、捕虜たちは看守たちを収容所内のあだ名で呼んでいた。彼の仕事は、逮捕された人物が、元捕虜たちの証言するその人物と同一であることを確認することだった。
「リバーサイド」として知られた男
「その中の一人が“ヤマウチ”だった」とティズデル少佐は語った。
彼は前年、『シカゴ・トリビューン』紙に「死ななかった男たち(Men Who Wouldn't Die)」という連載記事を書いている。
ヤマウチは九州・福岡県大牟田の捕虜収容所近くにあった三井炭鉱で通訳をしていた。収容所では、彼がかつてカリフォルニア州リバーサイドにいたことから、捕虜たちは彼を「リバーサイド」と呼んでいた。
「収容所でのリバーサイドは、典型的な威張り散らす日本人だった。彼は私を“ティズデル”としか呼ばず、その名を歯の間から吐き捨てるように言った。彼が見ていた私は、ぼろをまとい泥まみれの男だった。私は身長6フィート1インチ(約185cm)なのに、収容所では体重110ポンド(約50kg)しかなかった。彼は捕虜たちを犬のように扱った」
笑顔を浮かべる
ティズデル少佐によれば、リバーサイドの態度は、1946年3月、アメリカ軍の身元確認担当官がシカゴ出身のティズデルを日本人の独房へ連れて行った時に変わったという。
「最初、彼は私だと気づかなかった。私は今では175ポンド(約79kg)あり、身なりも清潔だったからだ。彼は私の声を聞くや否や、以前のように怒鳴り散らす代わりに、吐き気を催すようなおべっかの笑みを浮かべ、床につくほど深くお辞儀をし、『ティズデル少佐!』とささやいた」
ティズデル少佐は、その将校に対し、この男こそ捕虜たちが「リバーサイド」と呼び、彼らの苦しい生活の一因になった人物だと確認した。すると、その笑顔は消えたという。
笑顔が消える
「私は罰せられるのですか?」と彼は尋ねた。
ティズデル少佐は、彼自身が自分のしたことを理解しているはずであり、アメリカの司法の下で、その行為に見合った処罰を受けることになるだろうと告げた。
少佐によれば、リバーサイドの笑みは完全に消え失せ、彼は独房の中へ崩れ落ちるように座り込んだという。
さらにティズデル少佐は、日本人の間に民主主義を根づかせる唯一の方法は、日本人教師を民主主義の理念で教育し、その後2世代、つまり40年間は国を管理下に置くことだと信じていると語った。
彼は、この制度はフィリピン諸島で実施され、太平洋地域で今なお「白人」に忠実なのはフィリピン人だけだと述べた。

NYのダンサーを探せ
44年、日本軍の捕虜に
連合国、彼女の失踪調査指令

ニューヨーク、5月18日(特電):
東京の連合国総司令部は本日、日本政府に対し、かつてニューヨークのショーガールだった女性の失踪事件を調査するよう命令した。この女性は1944年3月、インド洋で日本の潜水艦によって捕虜となった。
「生き死にの芝居をして日本軍の機関銃掃射を生き延びたオランダ人船員2名によれば、その女性とオランダ船の船長は司令塔の中へ消えていった」という。
この女性は、かつてヴァーナ・ゴードン(Verna Gordon、39歳)と名乗り、グリニッジ・ヴィレッジ・フォーリーズやその他のニューヨークのショーで踊り、映画にも出演した後、極東へ渡った。
姉「死亡した」と確信
彼女の姉で、マンハッタンのインテリアデコレーターであるアデル・アダムス・デューイ夫人は、ヴァーナは捕虜収容者によって処刑されたと信じている。
「日本の艦船は、飛行機を搭載できる大型潜水艦で、いわゆる『秘密兵器』の一つだった」とデューイ夫人は語る。「もし真実が明らかになることがあれば、乗組員はどの捕虜も生かして帰さないという命令を受けていたことが判明するのではないかと思う」
ヴァーナは、オランダ船が魚雷攻撃を受けた当時、オーストラリアのパースから、1942年の日本軍によるシンガポール占領以来離ればなれになっていた夫、ローリー・J・ブリテイン中尉のもとへ向かう途中だった。彼女が出航するちょうど一週間前に、夫が生きてインドにいることを知ったばかりであった。
将軍の秘書
激しい空爆下のシンガポールが陥落する前に逃れたブリテイン夫人は、まずジャワへ渡り、そこで当時准将だったルイス・H・ブレアトン少将(フィリピンから生き残ったアメリカのフライングフォートレス隊の指揮官)の秘書として働いた。
彼女はジャワ陥落の直前に空路、オーストラリアへ。メルボルンにおけるマッカーサー将軍の新しい報道部の最初の女性職員となった。USO(米軍慰問協会)がオーストラリアに到着する前に、兵士たちのための余興を企画した。その後、アメリカ赤十字社に入り、マッカイの第5空軍の休養キャンプの設営を手伝った。
艦長は自殺
日本の米国人将校らは、彼女を捕らえた潜水艦が大型の伊号第8潜水艦(I-8)であると考えている。しかし、日本の捕虜情報局にはブリテイン夫人に関する記録はないという。
I-8の乗組員数名が巣鴨刑務所で確認されているが、彼らはかつてその元ダンサーを見たことがないと否定している。
I-8の艦長、有泉龍之助大佐(1904〜8/31/1945)は事情聴取ができない。同大佐は、天皇の降伏直後に自殺したからである。

【参考】伊号第八潜水艦
ゴードン氏は殺害された可能性あり

有泉が艦長であった期間に、以下の事件が起きたとされる。
1944年3月26日、蘭貨物船「ティサラック」を撃沈した際、生存者の一部を甲板に引き上げて尋問した後刃物で刺殺したり、レンチで撲殺。海上にいる生存者にも機銃掃射を行った。これにより乗船者103名中98名が死亡し、5名が救命艇に泳ぎ着き、後に通りかかった米貨物船に救助された。
(ウィキペディアより)

ブックレビュー:
日本軍への地下抵抗闘争「火の神」
『地下は暗い』(It is dark underground)
ルー・ピンフェイ著(プットナム社、2.75ドル)

(アーノ・L・ベイダー評)
日中戦争のほとんどの側面はすでにかなり徹底的に書き尽くされているが、本書は、この戦いのなかでこれまで見過ごされてきた側面——学生地下運動——に初めて光を当てたものである。
著者のルー・ピンフェイは、日本軍が中国に侵攻したとき、高校を卒業したばかりだった。彼は数人の友人——自分と同じく裕福な家庭の子女もいれば、極貧の者もいた——とともに、北京の高校や大学の学生を中心に「特別青年団」を組織した。
彼らには二つの目的があった。一つは、中国の精神はまだ死んでいないことを世界に示すこと。もう一つは、敵とその協力者である中国人たちに恐怖をまき散らすことである。
彼らの活動は主に、日本軍が所有する工場や倉庫、劇場を焼き討ちすること(これにより「火の神」という異名を得た)と、高位の中国人売国奴を殺害することであった。
本書は、この運動の勃興とその達成した事績を、飾り気なくありのままに綴ったものである。文体に特に際立った特徴はなく、時にやや純朴な感じもある。しかし、十代の若者も多かった中国の若者たちの勇気と愛国心の数々の実例を、次々と明らかにしてくれる。
「火の神」たちは常に成功したわけではなかった。仲間のなかには拷問を受けた者、殺された者、そして消息を絶った者もいる。しかし彼らは、北京、天津、上海、蘇州において、中国の抵抗の精神を生かし続けた。著者の誇りの言葉をまさに実証して——「日本軍は中国軍を倒すことはできても、打ち負かしたままにしておくことはできなかった」のである。

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