戦後ゼロ年:1946年7月4日(木)
広島・長崎 犠牲者の7人に1人が放射能死
女人禁制・大峰山に女性が登山
独立記念日:米軍が銀座パレード
(7/4/1946、シカゴ・トリビューンより)

7人に1人が放射能で死亡
サンフランシスコ、7月3日(AP):
広島・長崎における原子爆弾の死傷者総数は、軽傷者も含め約32万人に達した──。
シカゴのジョージ・V・ルロイ博士(George V. LeRoy、米国政府調査団員)は、本日アメリカ医師会(American Medical Association)が公表した論文の中で、このように報告した。
この報告は、原子爆弾が人体に及ぼした影響についてまとめられた、最初期の権威ある詳細な調査報告の一つである。
死亡者は約12万人に上り、その内訳は広島8万人、長崎4万人であった。
病院で治療を受けた患者は広島4万人、長崎2万5千人であった。
さらに広島では8万5千人が緊急の医療を必要とし、長崎ではその数は5万人であった。
多くが圧死・焼死
ルロイ博士によれば、各都市では死傷者全体のおよそ6分の1が、
爆弾の猛烈な熱で焼死し、
倒壊した建物の下敷きとなって圧死し、
燃え盛る瓦礫に閉じ込められて死亡した。
「これよりやや少ない集団、おそらく死亡者の約7分の1は、圧傷や火傷を免れたものの、十分な量のガンマ線を浴びたため、1~5週間後に発病した」
原爆による被害は爆風、熱、光、放射線という四種類のエネルギーによって生じた。
博士によれば、これらエネルギーの放出時間は約1秒。
爆風は爆心地から約4,700フィート(約1.4キロ)離れた鉄骨建築を破壊し、木造家屋では約8,000フィート(約2.4キロ)まで倒壊させた。
白い衣服は被害軽減
爆心地から2マイル半(約4キロ)離れた地点でも重い閃光熱傷が発生した。
黒っぽい衣服を着ていた人々は、白い衣服を着ていた人々より重度の火傷を負った。
死傷者の70%は外傷を負い、65~85%は火傷を負い、30%以上は放射線障害を受けた。
この数字は、多くの人がこれら三種類以上の傷害を同時に受けていたことを示している。
火傷の95%は原爆の閃光によるものであり、残る5%はその後発生した火災によるものであった。
ルロイ博士は、放射線障害について正確な情報を得ることは困難であったと述べている。
しかし、被曝者の大多数は爆発から数時間後に吐き気を催した。
大量の放射線を浴びた者は翌日に発熱と下痢を起こした。
さらに4~7日後には、血管が破れて皮下に紫色の斑点(紫斑)が現れ、このような患者は急速に衰弱して死亡することが多かった。
症状はゆっくり現れる
死亡者の一群では、60%に脳内出血が認められた。
その他の放射線障害は、7~28日後なって現れ、 胃腸障害、発熱、赤血球・白血球の著しい減少などが確認された。
多くの人々が脱毛
血液をつくる骨髄は一部の患者で損傷を受け、リンパ腺にも障害が見られた。
また、相当量の放射線を浴びた男性では、生殖腺にも影響が認められた。


原爆投下後に艦船を清掃
巡洋艦ペンサコーラの甲板で、乗組員たちが原爆爆発によって生じた残留放射性物質を洗い流すため、デッキを水拭きしている。ペンサコーラはビキニ環礁での核爆発実験における標的艦の一隻であった。
(AP通信電写:合同任務部隊第1より無線送信)

【参考】乗組員の被曝
ペンサコーラを含む標的艦の乗組員たちは、除染作業中に多量の放射性物質を浴び、その後、白血病や癌などの深刻な健康被害に悩まされた。彼らは後に「クロスロード退役軍人」と呼ばれ、補償を求めて長年戦うことになる。
クロスロード作戦80年
核被害もたらす構造に目を 明星大教授・竹峰誠一郎さん
(7/1/2026、中国新聞)
https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=161449
ビキニ環礁で原爆実験(1946年7月1日)


(7/1/1946、シカゴ・トリビューンより)
日本女性、ついに聖峰踏破
奈良、7月3日発(AP):
京都から約50マイル(約80キロ)離れたこの地の近くにある聖なる大峰山(おおみねさん)は、1300年にわたり女性の足跡を受け入れてこなかった。しかし日本に民主主義が到来し、日曜日には、現地の仏教寺院の僧侶たちの反対を押し切り、女性100人を含む山岳会がその頂上に登ることになっている。

独立記念日 米軍が銀座をパレード

(「日録20世紀1946」より)
