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戦後ゼロ年:1946年2月28日(木)

米兵捕虜絞殺日本兵に絞首刑
処刑されたドーリットル飛行士の手紙「私はずっと戦争に反対してきた」
アメリカ映画 戦後初公開

(2/28/1946、シカゴ・トリビューンより)


B-29搭乗員3名絞殺の罪、元日本兵5名に絞首刑

上海、2月28日(木)(AP):
日本兵5名に対し、1944年12月に漢口でアメリカのB-29搭乗員3名を絞殺し火葬した罪により、28日絞首刑の判決が下された。飛行士たちは街中を引き回された後、殴打された。
米国軍事裁判委員会は以下の者に死刑判決を言い渡した。
殺害当時、漢口の日本第34軍参謀長兼副司令官であった鏑木正隆少将、殺害を監督した見習士官・藤井力、そして飛行士を絞殺した縄を引いたと自供した他の元日本兵3名。
ウィスコンシン州ミルウォーキー出身のヘンリー・W・ウィートン軍曹、コネチカット州イーストハートフォード出身のジェームズ・E・フォーブス・ジュニア軍曹、ペンシルベニア州スリックビル出身のレスター・R・ホワイト中尉の殺害に関しては、合計18名の日本人が起訴された。民間人1名は無罪となった。他の被告には懲役刑が言い渡された。


ドゥーリトル隊員たち、最後の手紙で不屈の精神明かす
日本人に処刑された3名の言葉、裁判の証拠に

東京、2月27日(AP):
「私は処刑される可能性があると言われた。ほとんど信じられない」
そう書いたのは、ドゥーリトル東京空襲参加者の一人、ディーン・E・ホールマーク中尉であった。彼と他の2名のアメリカ人飛行士が、1942年10月15日、上海近郊の江湾で銃殺される数時間前のことである。
テキサス州ダラス出身のホールマーク中尉、サウスカロライナ州ダーリントン出身のウィリアム・G・ファロー中尉、カンザス州レボ出身のハロルド・スパッツ曹長の3名は、1942年4月18日、旧空母ホーネットから発進し、日本への初空襲に参加した。その後、彼らは中国へと向かったが、搭乗していたB-25が墜落。捕らえられた彼らは、茶番劇のような日本の軍法会議にかけられた後に処刑された。
この犯罪に関与したとして告発された日本人たちは、近日中に上海で裁判にかけられる予定であり、3名の手紙は証拠として提出される。3名によって書かれた手紙の写しが、陸軍省の建物で気にかけられることなく発見された。

「親愛なる母さん、父さん、そして姉さんへ」と宛てられたホールマークの手紙は、こう続いている。
「私は捕虜であり、戦争が終わるまでは保護されるものと思っていました。そもそも私は戦争を望んでいませんでした。爆撃任務に参加したのは、命じられたからであり、私が陸軍パイロットだったからです」
「勇敢であれ」とファロー
「私には心があります。私が原因で誰かが死ぬことなど、決して望んだことはありません。だからこそ、私はずっと戦争に反対してきました。戦争を回避し、世界に永遠の平和が訪れる方法があればと願っています」
ファローは母、ジェシー・ファロー夫人にこう書き送った。
「お母さん、マージ、そして家族全員とリブに、どうか末永い幸せがありますように。私の分まで、しっかり生きていってください。このことで落ち込まないで。神様が全てを正しく導いてくださると信じて。そして、いつの日かまたみんなと会えると信じています」
「この知らせは、あなたを深く傷つけることでしょう。なぜなら、私があなたの人生の中心だったからです。あなたは私に多くを与えてくれました。私が返せたものよりも、はるかに多くを。しかし、それがキリスト者の道なのでしょう。今、私が言えるのはこういうことです―あなたは世界で最高の母親であり、あなたの行動の全ては私を幸せにすることに向けられていて、あなたは今も、そしてこれからもずっと、本当の天使なのです。
だから、どうか顔を上げて元気を出してください。あなたが前回の手紙で、私がいつもそうしていたと書いてくれたように。私のために、勇敢に、そして強くあってください。」
追伸でファローは、もし自分がどのようにこの事態を受け止めているかを知りたければ、ブライアントの「タナトプシス」を読むように、と伝えている。「私は神への信仰に全てを委ねています。だから怖くはありません」
「祖国のために死す」
スパッツは「親愛なる父さんへ」と宛てた手紙の中で、「家にある私の個人的な所有物は全てあなたに譲ります」と書いている。



米国映画、東京のスクリーンに復帰
東京、2月27日(AP):
日本の観客は、4年以上ぶりに、あすアメリカ映画を鑑賞することになる。
連合軍総司令部の民間情報教育部は、日本人が「他国の人々の生活や考え方に再び親しむ」ための手段を提供するものとして、映画上映を奨励していると述べた。


戦後初の米国映画「キュリー夫人」「春の序曲」封切

入場料10円(邦画は3円)

(「日録20世紀1946」より)

【参考】1946年キネマ旬報ベスト・テン

(「戦後キネマ旬報ベスト・テン全史」1984より)

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