戦後ゼロ年:1946年1月6日(日)
公職追放:内閣総辞職の声
由利敬裁判「捕虜逃せば腹切り」
(1/6/1946、シカゴ・トリビューンより)
公職追放:内閣、緊急閣議開会中―総辞職求める声
東京、 1月6日(AP):
マッカーサー元帥による戦争責任者の公職追放命令によって危機に追い込まれた幣原内閣は、本日午前、緊急閣議を長時間にわたって開いた。その間、新聞各紙および政界の批評家たちは内閣を激しく攻撃した。社会党は内閣の総辞職を要求した。
新聞によれば、内閣の中には、今回の追放指令の規定に該当する人物が含まれている。
読売新聞は6人の閣僚が罷免されるべきだと報じた。
朝日新聞は社説で、幣原内閣は能力の欠如と「無責任さ」を理由に、国民の前に立って説明を求められるべきだと論じた。
政府は5日、日本を戦争へ導くのを後押したすべての人物を権力の座から排除するという、マッカーサーの命令に従うための政令案の起草に着手した。

由利敬裁判「処刑した米兵は『不治』だった」
横浜、1月6日(AP):
恐怖におびえた様子の由利敬海軍中尉は6日、米軍の軍事委員会に対し、大牟田捕虜収容所でノア・C・ヒアード一等兵(カリフォルニア州サリナス出身)を銃剣で処刑するよう命じた際、自分は「正気を失っていた」と証言した。しかし同時に、その行為は同収容所に駐在していた米軍将校らによって暗黙のうちに容認されていたとも主張した。
「すべてがあまりにも急に起きたので、27歳の収容所指揮官である私は、戦争犯罪裁判で証言するまで、その出来事を思い出すことができなかった」と由利中尉は述べた。
由利中尉によれば、ヒアード一等兵は脱走を繰り返し、再捕されたため、『不治』と見なして殺害することを決めたという。
「このような過酷な処罰は、日本法の下では許されており、またヒアードは脱走の際、銃剣で突かれて負傷していたため、再び脱走しようとすれば死亡するだろうと私は考えた」と、同中尉は語った。
また由利中尉は、自分の判断は、捕虜を逃がせば腹切り(切腹)を命じられるという思いと、脱走を許した場合の処罰について、日本の上級将校から繰り返し受けていた警告によって、精神的に追い詰められていた結果だと説明した。

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