飲みどき【創作】
土用の丑。
「うなぎ」の文字が大きく踊る、青い暖簾が出ていた。
今年は特に、暑くなるのが早かった。手を顔の上にかざしても。光は間をすり抜けて、ゆりの肌を焦がした。
夏バテの予防にうなぎがいいなら、「土用」の時期では遅すぎる気がする。
疲れているからなのか。頭だけ、重力に弱くなってしまったよう。ゆりはアイスコーヒーのストローに口をつけた。
カフェインも、よくないのかもしれない。でも、少しだけ脳が涼しくなる。
人生は。
どうしていつもこう、「飲みどき」を過ぎてから説明書を渡してくるんだろう。
効くものには、効く時期がある。
先週、頭痛外来で処方してもらった薬も、同じだった。
「痛くなりそうだな、と思ったら飲んでください。」
医師にはそう言われたけど、気づけば頭は重くなっていて、いつも飲みどきを失ってしまう。かといって、痛くないときに飲んでも意味がない。
今日の病院の予約は昼前だった。先週の、検査の結果がいろいろ出るらしい。
「駅前に用事があるから。そのついででよければ。」
そう言って、その男友達は待ち合わせてくれた。
大貴は、バイト先の友達だった。ゆりの方が先輩だったが、仕事の話でも、そうでなくてもなんとなく波長が合った。
駅までの道は照り返しがまぶしくて、自然とふたりとも建物の影を選ぶ。
横にえらく長い横断歩道。信号に任せたタイミングで、歩き始める。気づくと彼が、日差しの強いほうに立っていた。
ゆりはあえて口には出さず、アイスコーヒーの紙カップを持ち替える。大貴は、他愛もない話を、頷いて聞いてくれていた。
「ああ、そういえば、俺にも遅れて届いた説明書があったよ。」
不意に、大貴が言う。
「そうなんだ。一体なに?」
「もう少ししたら、わかるよ。」
その言葉だけが、蝉の声の海に溶けて残った。
互いに、片手を挙げてそれぞれの帰り道へ。ゆりは飲まないまま、薬の袋をポケットにしまった。
少し歩いて、スマホを開く。
ありがとう。よかったら、今度……。
そこまで打って、消した。
痛くなる前に飲む薬。夏バテになる前のうなぎ。効くものには、効く時期がある。
さっきから何度も開いては閉じているメッセージ画面だけが、その飲みどきをいつまでも待っていた。
背中合わせに離れていった彼は、そのころ駅前の信号で足を止めていた。
ポケットの中の紙を、親指でそっとなぞる。
もう少ししたら。
今度は、自分に言い聞かせるようにつぶやいて、青になった信号を渡り始めた。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。