もう僕は隣に行けない【創作】
今のあなたに、相応しい部屋はどこですか。
あなたの頭に言葉が落ちる。
扉がたくさん並んでいる。どれも、同じようなかたちの扉。
あなたは相応しい扉をひとつ、選ぶことができる。
部屋を選ぶ指標となる、細かな問い。最終的にひとつの部屋を選ぶまでに、いくつもの問いがあった。
各部屋には、名前がついていた。
問いによって割り振られた部屋。言い換えれば、どこに入るべきかの選択肢を与えられて、自らたどり着いた部屋。
そこに入った者は、大抵「ああここが、自分に相応しい部屋なのだ」と、そう思った。中には同じような仲間が、たくさんいる。
扉の並んだ廊下で佇んでいるよりは、いくらか安心できる空間だった。
* * *
ところで、扉を選ぶ権利は一度きりではない。
その部屋は自由に出られる。入る前から、そう伝えられている。ただ、それを聞き逃している者もいるかもしれない。
最初の言葉を思い出してほしい。
問われたのは、「今のあなた」に相応しい部屋だ。
扉を選んだあとで、「人としての生き方」や、「未来に何を見つめていたいか」を変えてはいけないという意味ではない。
たとえば今、あなたの部屋に「建築家」というプレートが掲げられている。
それは割り振られた部屋の名前が「建築家」であっただけだ。「冒険家」や「エンターテイナー」の部屋に行けないわけではない。
なのに人は、「自分はこの部屋だから」「この部屋の住人らしく振る舞わないと」と、部屋のルールの方に自らの考えを寄せにいってしまう。
たしかに、入る前に選択肢は与えられていた。
選ばない選択肢もあった。入らない選択肢もあった。出る選択肢もあった。与えられなければ、どの部屋にも入らずに済んだ。
選んだことで。つまらない安心のために、未来を狭めてしまう者がいる。
* * *
扉が続く廊下のその先に、何があるかを確かめましたか。
部屋は、そこにしかなかったのでしょうか。
選ばされるがまま、選んで。入らない自由もあるのに、部屋に入って。
腰を落ち着けてしまったら、あなたは隣の部屋にすら行けなくなった。
その部屋のプレートを、いつまで掲げているのですか。
自分が何者かがわかっていないほうが。
自分が何者になれるか「わかる可能性」が残っている方が。
人生にはときめきがあると思いませんか。
最初の問いを、もう一度。
今のあなたに、相応しい部屋はどこですか。
その問いが頭に落ちたとき。立ち止まって、考えてみてください。
そこに並んだ扉の中に、あなたの答えはありますか。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。