裏返しのキーホルダー【創作】
帰宅してクローゼットを開ける。
卒業アルバムの近くに、小さなキーホルダーがある。八年経っても、それだけは処分できなかった。
今日も、そのキーホルダーは、裏返されていたままだった。
* * *
店の奥では、あちこちで懐かしい名前が飛び交っていた。
「あいつ全然変わらないな。」
「あの先生、まだあの学校にいるらしいよ。」
笑い声の中に混じる顔は知っているはずだった。なのに名前だけ、浮かぶのが少し遅れる。
会場を見回しながら、僕は探している友達がひとりいた。あの夏、林間学校のお土産を買ってきてくれた友達。
けれど、その姿はどこにもなかった。
「吉村くん、ですか。」
振り返った先に、やはり探していた友達の顔はなかった。このときも少し遅れて、どこか遠いところで記憶が重なる。
「ああ、畑垣くん……。」
忘れかけていたのに。この瞬間思い出した。
クローゼットの奥の、卒業アルバム。見られたくないものと一緒に、見たくないものもしまいこんだ場所。
ほこりっぽい匂いの中には、ほとんど開かれなかった真新しいページがある。
けれどそこに、彼と僕の姿はない。
「久しぶりだね。」
ボクシングをやっていた。けれど、僕はこのとき、拳から力は抜けていたと思う。
* * *
中学二年の夏のころ。その次の時間は音楽だった。
普通なら、休憩時間中に、生徒はぞろぞろと音楽室へ移動する。
だけど、僕はできなかった。
ふざけた畑垣が、その休憩時間中。思い切りかかとを僕の腰に打ち付けたせいで、痛みで動くことができなくなっていた。
彼からすれば、いつもの軽い冗談だったのだろう。
けれど立ち上がろうとすると、腰の奥で釘を打たれたみたいな痛みが走った。
仲の良い友達には心配されたが、動けなくてはどうしようもない。僕は彼らに、気にせず音楽室へ行くように伝えた。
結局その日、親に迎えに来てもらって病院に行った。診断名は忘れたが、安静のため、控えていた学校行事は見送るように医師に言われた。
宿泊を伴う、林間学校。学内イベントの中では、「楽しい」と評されている数少ない行事だった。
* * *
「あのときは、悪かった。」
畑垣は、僕の肩にそっと触れて言った。その表情は固く、願掛けをするときのように神妙だった。
「ずっと、気にしてたんだ。」
八年あった。そのうち、彼はどれだけの期間気にしていたというのだろう。
「いいよ、もう……。」
肩に乗せられた畑垣の手は、やけに重く感じた。僕はさりげなく、その手を自分の肩から下ろした。彼が触れようとしていたのは、きっと僕の肩じゃない。
「許してくれるか。」
その真っ直ぐな眼差しは、僕の胸の黒い部分を突き刺すように感じた。
許す。
許したら、どうなるんだろう。そもそも僕は今の今まで、彼を許していなかったんだろうか。
「……終わった話だろ。昔のことだよ。」
結局出たのは、そんな言葉。ただ、畑垣の顔からは、凝り固まった緊張がほぐれていったように見えた。
しかしその分、もう乗っていないはずの手が、僕の肩で重みを増す。
「水に流す」みたいな、後味の残らない言葉を使わなかったのは、たぶんわざとだった。
中学生がわざわざ「友達になろう」と言ってつるまないように、「許すよ」と言って確認しあう姿を想像すると、どこか滑稽に思えた。
この八年で、彼を忘れている期間は実際あったかもしれない。
鞄をかける向きを、腰の位置を意識して決める必要がなくなったとき。身体をちょっとぶつけたときの、ひやりとする感覚が薄れたとき。
だから、僕は高校からボクシングをはじめて、今も続けている。拳で誰かを殴りたかったわけじゃない。身体をひねって、動ける自分を確かめたかったから。
* * *
畑垣は、じゃあ、と言って背中を向けて去っていった。特に、あのとき以外の話題は出なかった。
林間学校に行かなかったのは、畑垣も同じだ。親を交えた話し合いのとき、彼は泣きながら「俺も行きません」と言った。
それ自体は、何も思わない。
僕は行けなかった。彼は行かなかった。ただ、それだけだった。
音楽室に行く前、僕の腰を気にかけてくれた友人は、お土産のキーホルダーを買ってきてくれた。それは大事に取ってあるが、今も僕は、そのデザインを直視できない。そしてその気持ちは、畑垣にはたぶん一生わからない。
他の大勢の同級生の声に溶けていく背中を見ながら、思う。
別に僕らの間に、勝ち負けはなかった。昔も、今も。
でも、胸に残る脱力感と無力感は、練習試合に敗れたときにどこか似ていた。
終わった話だろ。
彼に言った言葉だった。
でも、僕の中ではこのとき、また何かが始まっていた気がする。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。