ナウシカの部屋と、海の欠片
ビーチコーミングを始めて数回が経ったころ、
増えていく陶片の置き場に頭を悩ませていた。
飾る陶片と、しまう陶片。
しまっておくものも、種類ごとにきちんと分けたい。
自分がどんな柄を持っているのか、ちゃんと把握しておきたかったからだ。
量を考えたら、瓶に入れたらどうだろう。
そう考えてみたものの、もうひとつ、譲れないこだわりがあった。
柄が見えるようにしておきたい。
「これ、前に見つけたあの柄の続き?」
同じように見えて、少し違う。
違うようで、どこかつながっている。
松竹梅の柄が揃った日は、
ひとりで「よっしゃー」となる。
勝手に「亀の甲羅柄シリーズ」と心の中で名付けてみたり、この陶片は縁起がよさそうだから、
お正月になったら飾ろう、と決めてみたり。
そうやって、新しい発見や物語が生まれていく。
陶片を眺めていると、独り言が心の中で延々と続いている。
たぶん、そんな時間が好きなのだと思う。


海で出会うと「たからもの」
しまっておく陶片だけど、収納したあとも見たい。だから、瓶の中へ入れてしまうのは、どうしても違った。
それが、私には大事だった。
*
木箱に標本のようにずらりと並べるのもいい。
けれど、そんなことをしたら、とんでもない数の木箱とスペースが必要になる。それは現実的ではない。
自分の見方に合う収納を模索してたどり着いたのが、数段ある引き出しの中に、それぞれバットを入れる方法だった。
引き出しに陶片を直接入れるより、バットにまとめておけば、種類ごとそのまま取り出せる。
陶片を確認したり、仕分け直したりするときにも、バットごと動かせる。
なにより、平たいバットなら、それぞれの柄がひと目で見渡せる。
ひらめいてからは、以前から利用しているお気に入りの古道具屋さんのオンラインショップに、新しい棚が入荷していないか。気になるものがないか。毎日のように覗くのが、日課になっていた。
そしてようやく、「これだ」と思えるものに出会った。
理想の引き出しの数、サイズ、そして値段。
さらに、その引き出しの内寸から逆算して、ぴったり収まるバットを合羽橋のオンラインショップで注文した。
それぞれが届き、実際に合わせてみる。
驚くほど、ぴったりだった。
そこからは、胸が高鳴るような、ワクワクする時間だった。
届いた引き出しを丁寧に拭き、柿渋を塗り重ねる。
乾かしているあいだに、改めて陶片を自分なりのルールで仕分けていく。
一番下を「1階」と呼ぶことにした。
1階は、白地に青。
2階は、植物柄。
3階は、緑や茶色系。
4階は、大物の陶片たち。
そして5階の引き出しは、本体ごとスポッと抜いて、棚の上へ持ち出した。
そこは、私の中では「屋上」。
倉敷ガラスや古道具の器を並べ、その中に、
シーグラスや、石と陶片のあいだのような不思議な欠片たちを飾っていく。
人から見たら、ただの素朴な木製の棚にすぎないかもしれない。
以前この棚を使っていた人は、どんなものをしまっていたのだろう。
いまは、海から拾ってきたものたちが、ここに住んでいる。
私にとっては、好きなときにいつでも入り込める、小さな秘密の世界だ。
1階から屋上まであるのに、感覚としていちばん近いのは、ナウシカの部屋なのかもしれない。
今日も、その小さな世界に出入りしている。






ポストカードに閉じ込めた

*
集めてきた海の欠片たちは、オンラインショップでZINEを手にしてくださった方へ、ささやかな同封物として添えるようになった。
それが、本当に嬉しい。
ZINEの文章の奥にあるものを、言葉と一緒に、そのまま手渡せたらと思ったからだ。
「拾いながら、見えてくる。」には、陶片を。
ビーズのZINEなら、貝殻とビーズに紐を通した小さなものを。
どちらも、海からのお裾分けの、
さらにその「お裾分け」。
受け取ってくださった方から、ある人はそれを「お守り」と呼んで大切にしてくれていると聞いた。
またある人は、毎日目に入る場所に飾ってくれていると知った。
海の贈り物に日々魅了され、わが家の暮らしに迎え入れてきたものが、今度は別の誰かのところへ手渡されていく。
そのことが、たまらなく嬉しい。
好きだから集めて、好きだから、誰かにも渡したくなる。
海のお裾分けの、お裾分け。

今度のZINEフェス福岡にも、いくつか連れていこうと思う。
▽ 棚の風景

