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金麦の麦が細い

息子が、社会科見学でスーパーに行くらしい。

お店の方に、調味料の棚の工夫を聞くのだという。



「見学楽しみだね」とか、
「ほかにも気になることある?」とか。

共感したり、興味を広げたりする言葉を
かけることができたらいいのだろう。


けれど、なんだか気のない様子を見せてきたから、無性にスイッチが入ってしまった。

私のよくない癖だ。


そもそも、スーパーにはなんのために行くのだろう。
素朴に疑問を抱いて、聞いてみた。


「知らん」

え?

社会科の学習として、地域や流通の仕組みを知ったり、働く人の工夫に目を向けたりする。
疑問を持って尋ね、学んだことをまとめる。
そういうことなのだろうとは思う。


でも、
「じゃあ、店員さんに聞く前と聞いたあとで、
あなた自身はなにか変わるの?」

と聞いた。 

「調味料の置き方の工夫がわかるの」

確かに。

「それを知ったら、どうなる?」

聞きながら、少しずつ問いが深くなっていく。
私自身も、何を求めているのかわからなくなってきた。

モチベーションまで下がってしまったら困る。
でも、ただ与えられたものをこなすような、
受け身の感じにもやもやする。


「少し、世界の見え方が変わりそうだね」

一言だけ、そっと置いた。

たぶん、noteを始めなければ出てこなかった言葉のような気もする。



すると、呼応するように、

「あ! 解像度が上がるってことか!」

やけに切れ味のある言葉が返ってきた。


そのあと、横にあった金麦の缶を見て、
金麦の字が麦色だとか、新商品の金麦はいつもの金麦より麦の絵が少し細い、とか。

妙なことを分析し始めた。
少し、嬉しかった。



世界の見え方が、ほんの少し変わる。

そう考えたら、美術館で作品を見るのも、
そういうことなのかなと思った。

見て、知って、帰ってくる。
何かを変えようと思って行くわけではない。

なのに、そのあと街を歩いていると、昨日まで気づかなかったものに目が留まったりする。

そういう小さな変化が、あとから自分の中に残っている。




美術館は、もちろん行けたら嬉しい。

でも、もしかしたら日常そのものが、すでにそういうものなのかもしれない。

普段は、そんなことに気づかず過ごしているのだと思う。


こうして振り返ってみると、
あの会話のなかにも、すでにあった。

スーパーに行く理由を尋ねて、
「解像度が上がる」という言葉を見つけて、
金麦の缶を、いつもとは違って見ている。


世界の見え方は、
ほんの少しだけ変わっていたのだと思う。
 



▽ 同じスーパーを歩いていても、目に留まるものは少し違う。

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