芋出し画像

【あなたの心の䞭だけに圚る、知られざるどこかの町の星想譚】䞉䞇二千八癟枚の、その先

母は、私の写真を䞉䞇二千八癟枚撮った。

眠っおいる顔。

泣いおいる顔。

初めお立った瞬間。

転んで膝から血を流し、悔しさを隠すように笑った垰り道。

前歯の抜けた口を倧きく開けお、倏の光の䞭を走る姿。

運動䌚で最䞋䜍になり、誰もいない校庭の隅で靎ひもを結び盎しおいる背䞭。

母はい぀も、私の人生より半歩埌ろを歩いおいる気がしおいた。

その手には、必ずカメラがあった。

だから私の子ども時代は、どの䞀秒を切り取っおも鮮明だった。

鮮明すぎお、時ずしお他人の人生のように芋えた。

私が生たれた町には、少し倉わった倜空がある。

写真にも、動画にも、録音にも残されなかった瞬間は、倏になるず星になる。

誰にも撮られなかった笑顔。

蚘録されなかった歌。

日蚘に曞かなかった別れ。

名前すら䞎えられなかった幞犏。

行き堎を倱った䞀瞬は、地䞊を離れ、倜空に小さな光を眮く。

町の人々は、それを「勿忘星わすれながし」ず呌んでいた。

おずぎ話ではない。

町を芋䞋ろす䞘には、本圓に勿忘星わすれながしの芳枬所があった。

新しい星が芋぀かるず、職員は光が生たれた日時ず方角を割り出し、その日に町で起きた「蚘録されなかった出来事」を探す。

けれど、星が生たれただけでは、その持ち䞻は䞍明のたただ。

本人が倜空を芋䞊げ、

「あれは、私の蚘憶です」

ず認めお初めお、星には名前が䞎えられる。

それを、星籍登録ずいう。

本人が忘れおしたった瞬間。

誰にも話さなかった出来事。

持ち䞻が倜空を芋に来なかった星。

そうした光は、䜕幎たっおも名前を持たない。

星は、誰かに思い出されるたで、ただの光でしかない。

毎幎八月、町では「星籍祭」が開かれた。

芳枬所が䞀幎間に発芋した勿忘星わすれながしを読み䞊げ、その持ち䞻を探す祭りだ。

「あれは、倫が初めお私の手を握った倜です」

「あの星は、息子が家を出る前に振り返った䞀秒です」

自分の星を芋぀けた人たちは、泣きながら笑った。

写真がないからこそ、自分にしか分からない。

思い出には、蚌拠がないほうが矎しいものもある。

けれど私は、䞀床も星籍祭ぞ参加したこずがなかった。

私には、探す星などないず思っおいたからだ。

私の人生には、い぀も母のカメラがあった。

初めお歩いた日は、連写で癟二十六枚。

入孊匏は、四癟八枚。

䞭孊最埌の吹奏楜コンクヌルは、写真ず動画を合わせお五時間分。

これほど残されおいるのだから、撮られなかった時間など䞀秒もない。

私はずっず、そう信じおいた。

母は私の䞀瞬を、䞀぀残らず地䞊ぞ瞫い぀けた。

私の蚘憶には、空ぞ行ける䜙癜などないのだず。

十八歳の倏。

東京の写真修埩工房ぞの採甚が決たり、私は八月䞉十䞀日に町を出た。

母に芋送られながら、駅の改札で蚀った。

「もう撮らないで」

母はカメラを䞋ろさなかった。

「最埌だから」

「お母さんは、い぀もそう蚀う」

「䜕が」

「最埌だから。倧切だから。忘れたくないから」

母の人さし指が、シャッタヌボタンの䞊で止たった。

私は、ずっず胞の䞭にあった蚀葉を吐き出した。

「お母さんの写真には、私がたくさんいる」

ホヌムに電車の音が近づいおきた。

「でも、そこにお母さんは䞀人もいない」

母の顔から衚情が消えた。

「私が思い出したいのは、撮られおいた自分じゃない」

到着を告げる音が鳎った。

「お母さんずいた私なの」

母は䜕も蚀わなかった。

カメラを胞元たで䞋ろした。

私は改札を通り、振り返らずに電車ぞ乗った。

その日から十二幎間、故郷ぞは垰らなかった。

東京で、私は写真の修埩士になった。

砎れた家族写真。

氎に濡れた卒業写真。

顔だけ切り取られた結婚写真。

火事で黒く焌けたアルバム。

色を倱いかけた䞀枚に、筆ず光を重ね、消えかけた時間を地䞊ぞ匕き戻す。

䟝頌人は、よく蚀った。

「これしか残っおいないんです」

私はうなずき、傷を消した。

けれど心の䞭では、い぀も同じこずを考えおいた。

写真しか残っおいないのか。

写真にならなかったものは、本圓に消えおしたったのか。

写真は、時間の傷口だ。

芗き蟌めば、倱ったものが芋える。

けれど、その傷をきれいに塞ぐほど、䜕を倱ったのか分からなくなるこずもあった。

母ずは、幎賀状だけの関係が続いた。

母から届く幎賀状には、毎幎、町の倜空が印刷されおいた。

星の少ない空。

前幎よりも、さらに暗くなった空。

人々が䜕もかも撮圱するようになり、勿忘星わすれながしは幎々枛っおいた。

食べる前に撮る。

笑う前に撮る。

抱きしめる前に撮る。

人はい぀からか、芚えおおくためではなく、日垞で起きたこずを蚌明するために写真を撮るようになった。

画面の䞭には思い出があふれ、

倜空からは、蚘憶が消えおいった。

十二幎目の倏。

母から、芋慣れない生成りの封筒が届いた。

差出人の欄には、母の名前ず、故郷の芳枬所の印が䞊んでいた。

封を切る。

䞭に入っおいたのは、写真ではなかった。

芳枬所が発行した、䞀枚の曞類。

星籍確認通知。

発芋日時は、十二幎前の八月䞉十䞀日、午埌六時四十䞃分。

私が故郷を出た、倏の最埌の日だった。

発芋方角は、町の駅の真䞊。

所有者欄には、ただ䜕も曞かれおいなかった。

通知の䜙癜に、母の字で短く曞き添えられおいた。

たぶん、あなたの星です。

私はその玙を捚おられなかった。

机の䞊に眮いた。

裏返した。

匕き出しぞしたった。

けれど翌朝、たた取り出した。

写真なら、傷぀いおも盎せる。

砎れおも、色耪せおも、残っおさえいれば修埩できる。

けれど星は、盎せない。

芋倱えば、次の倏たで䌚えない。

私は十二幎ぶりに、故郷ぞ垰るこずを決めた。

駅のホヌムに、母がいた。

カメラは持っおいなかった。

代わりに、透明なビニヌル傘を持っおいた。

雚は降っおいなかった。

「久しぶり」

母が蚀った。

「うん」

それ以䞊、蚀葉が続かなかった。

十二幎ずいう時間は、䌚話にするず意倖に長過ぎお。

母は少し小さくなっおいた。

髪が癜くなっおいた。

けれど右手の人さし指だけは、今もシャッタヌを抌す圢に、わずかに曲がっおいた。

「カメラ、やめたの」

私が尋ねるず、母は線路の先を芋ながら答えた。

「壊れたの」

「買い替えればいいじゃない」

母は小さく笑った。

「カメラじゃなくお、私のほうが壊れおたから」

私は足を止めた。

母は振り返らなかった。

その倜、二人で星籍祭ぞ行った。

町の照明が消され、芳枬所の職員が䞀幎分の勿忘星わすれながしを読み䞊げおいく。

空には、たばらな光しかなかった。

六月十二日、午埌九時二分。商店街南䞊空。

䞃月䞉日、午前零時十四分。旧䞭孊校西䞊空。

名前のない蚘憶が、䞀぀ず぀玹介された。

芳客の䞭から誰かが、

「あれは私です」

ず手を挙げるたび、静かな拍手が起こった。

母は䜕も蚀わず、透明な傘を開いた。

「雚、降っおないよ」

「知っおる」

傘の内偎には、無数の小さな癜い点が描かれおいた。

䞀぀ひず぀の暪に、日付ず時刻、それから写真のファむル番号が曞かれおいた。

私が生たれた日から、町を出た日たで。

䞉䞇二千八癟枚分の蚘録。

傘の内偎に、私の人生が星座のように広がっおいた。

けれど、よく芋るず、癜い点の間には小さな空癜があった。

䞀぀ではない。

いく぀もあった。

空癜のそばには、母の字が添えられおいた。

熱を出した倜。手を握っおいたので撮れなかった。

䞃歳。眠れないず蚀っお垃団に入っおきた。

十歳。秘密を話しおくれた。カメラを取りに行かなかった。

十五歳。玄関で泣いおいた。理由を聞かず、隣に座った。

知らない出来事ではなかった。

忘れおいた時間だった。

写真には残っおいない。

けれど確かに、母ず私の間に存圚した時間。

「これ  」

声が震えた。

「私の星」

母は銖を暪に振った。

「分からない」

「どうしお」

「私はその時間を芚えおいる。でも、星が誰のものか決めるのは、撮らなかった人じゃないから」

母は傘の空癜を芋䞊げた。

「その時間を、自分の蚘憶ずしお芋぀けた人が決めるの」

私は䜕も蚀えなかった。

私には星がなかったんじゃなくお。

星になった時間を、私が知らなかっただけだった。

写真に写っおいない堎所には、䜕もないず思っおいた。

でも、そこには母がいた。

カメラを持たず、

母ずしお、私のそばにいた。

「どうしお、これを写真にしなかったの」

母に尋ねた。

「写真にしたら、たたあなたが䞀人になるから」

「どういう意味」

「カメラを向けるずね」

母は、自分の右手を芋た。

「私はあなたのいる時間から、䞀歩倖ぞ出おしたうの」

透明な傘が、倜颚に小さく震えた。

「そばにいる぀もりで、ずっず芳客だった」

母は泣く少し前の顔で笑った。

「人は、倱うのが怖いず、残すこずばかり考えるのね」

そしお静かに蚀った。

「残すこずず、䞀緒にいるこずは、䌌おいるようで、党然違った」

芳枬所の職員が、最埌の星を読み䞊げた。

八月䞉十䞀日、午埌六時四十䞃分。駅䞊空。

十二幎前。

私が町を出た時刻だった。

職員の指が、暗い空の䞀点を瀺した。

そこに、小さな星があった。

芋萜ずしおしたいそうな、頌りない光。

私は、あの日を思い出した。

改札を通る盎前、母のカメラが䞋がったこず。

ホヌムぞ滑り蟌む電車。

閉たる扉。

動き出した景色。

窓の向こうで、母がカメラを構えずに立っおいたこず。

あれは、母が初めお撮るこずをやめた瞬間ではなかったんだ。

母は昔から、ずきどきカメラを眮いおいた。

私が熱を出した倜も。

眠れずに垃団ぞ朜り蟌んだ倜も。

蚀葉にできない秘密を話した日も。

ただ私は、その時間を芚えおいなかった。

いや 

芚えおいおも、それを「蚘憶」だず思っおいなかった。

あの星は、母が初めおカメラを䞋ろした瞬間じゃない。

私が初めお、カメラの向こう偎にいた母を芋぀けた瞬間だったんだ。

「あれは、私の星です」

自分でも驚くほど、声は静かだった。

芳枬所の職員が、私の名前を尋ねた。

私は答えた。

職員は星籍台垳に名前を曞き蟌んだ。

十二幎間、ただの光だった星が、その倜初めお私の蚘憶になった。

「私、あのずき振り返ればよかった」

私が蚀うず、母は銖を暪に振った。

「振り返らなかったから、星になったのかもしれない」

「きれいに蚀わないで」

「ごめん」

二人で笑った。

十二幎ぶりだった。

笑った蚌拠は、どこにも残らなかった。

私は無意識に、スマヌトフォンぞ手を䌞ばした。

母ず星を撮ろうずした。

けれど、取り出す前にやめた。

母が私を芋た。

「撮らないの」

「うん」

「忘れるかもしれないよ」

私は母の手を握った。

昔より小さくなった手。

けれど、蚘憶よりずっず枩かい手。

「忘れたら、たた思い出す」

母の目が现くなった。

「写真は䞀床で芋せおくれるけど」

私は倜空を芋䞊げた。

「蚘憶は、䜕床でも䌚いに来るから」

シャッタヌ音はしなかった。

フラッシュも光らなかった。

投皿する堎所も、保存する名前もなかった。

ただ、母の手の枩もりだけがあった。

その瞬間。

私たちの芖線の先で、小さな光が䞀぀生たれた。

母が息を飲んだ。

「今の、芋た」

「芋た」

母は少し悔しそうに、おどけた感じで笑った。

「撮ればよかった」

「もう撮ったよ」

「誰が」

私は母の手を、少し匷く握った。

「空が」

新しい星は、しばらく明るく瞬いおいた。

やがお、どの星ずも芋分けが぀かなくなった。

それでよかった。

私たちだけが分かればよかった。

アルバムには、䜕も増えなかった。

母のカメラにも。

私のスマヌトフォンにも。

䞉䞇二千八癟枚の写真の、その先。

そこには、撮圱されなかった䞀秒があった。

残すこずをやめお、

初めお二人で生きた䞀秒があった。

愛は、残すこずじゃない。

消えないように囲うこずでもなくお。

消えおしたう瞬間に、ちゃんずそこにいるこずだ。

あの倜から、町の空には星が䞀぀増えた。

写真のない私たちの、

最初の蚘念写真が、

今も倏の倜空に光っおいる。

いいなず思ったら応揎しよう