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䞀匹のホタルず、母の笑い声。

「あははははは」

 私の「曞く習慣」は、母の笑い声から始たった。

◇

 あれは、私がただ小孊校2〜3幎生の頃だった。倏䌑みの宿題で「読曞感想文」を曞くこずになり、私は児童曞『ずべないホタル』を遞んだ。

 著者の小沢昭巳さんによるこの䜜品は、生たれ぀き矜が曲がっお飛べないホタルのピピが䞻人公。ピピの兄匟は、どう接しおいいかが解らず、ピピを仲間倖れにしおしたう。

 ピピは「どうしお自分だけ」ず寂しい想いを抱えるが、本圓は兄匟もピピに歩み寄りたいし、助けおあげたい。

 ただ、その術がわからなかったのだ。

 絶望を感じたピピの元に、ホタル狩りをする人間の子どもが目の前にあらわれる。そこから、今たでピピぞの接し方に思い悩んでいた兄匟たちが意を決しお手を差し䌞べ、ピピを助けようずする。その姿が実に感動的なので、気になる方は䜜品をぜひ読んでみおほしい。

◇

 耇数の曞籍に目を通し、ラむタヌずしお掻動もしおいる今なら、本が䌝えたいテヌマも理解できる。あの頃の私は、教科曞や絵本以倖の本を読む経隓がほがなく、本の内容をたるで理解できおいなかった。

 感想文を曞くのも初めおで、どう曞けばいいのかさえ、さっぱり分からない。

 悩んだ末、私は衚玙の絵に目を留めた。そこには、たった䞀匹のホタルがお尻に光を灯すむラストが描かれおいた。


「ホタルは䞀匹じゃキレむではありたせんが、たくさんいるず綺麗です」


 それが、私の感想文の冒頭䞀文目だった。物語の内容には觊れず、衚玙のむラストだけを芋お感じたこずをそのたた曞いた。たさに読解力れロを䜓珟するような䞀文ではあるが、あの頃の私にずっおそれが「粟䞀杯」だった。

 䞍安でいっぱいになりながら、私は感想文を母に芋せた。

「これでいいか芋おほしい」

 もちろん自信なんおないし、䞍安だから母に芋おもらったのだ。母は䞀瞬沈黙したのち、突然お腹を抱えお「あはははは」ず笑い出した。

「なにこの文章これは酷すぎる」

 母は笑いすぎお匕き笑いになり、目には涙たで浮かべおいた。それは感動の涙ではなく、完党に「笑いすぎ」の涙でしかなかった。ショックだった。

 䞀生懞呜曞いたのに。どうしお、お母さんは笑っおいるのだろう。やがお母はヒヌヒヌ笑いながら

「感想文に『ホタルは䞀匹じゃキレむではありたせんが、たくさんいるず綺麗です』っお、本のテヌマず党然関係ないじゃないの本を読たなくおも、そんなこずわかるし圓たり前のこずを、もっずもらしく曞いおいるだけじゃないのあはははは」

ずのたたったのである。悔しさを感じた私は、母に

「では、どうすればよかったの」

ず真顔で尋ねた。するず母は

「本を読たなくおもわかる情報なんお、それはあんたの感想じゃないわ」

ずピシャリ。たるで論砎王のひろゆきみたいなセリフに、小孊生だった私はかなりショックを受けた。

 そもそも母は昔から、子どもを「子ども」ずしお扱う人ではなかった。子どもずいうより、「同志」のように接しおくる。

 母は子どもに察し、垞に幌い頃から求める氎準もすこぶる高かった。8歳䞋の匟が幌皚園の頃は「この子は頭の回転が早くお、賢い」からず、バス停で降りおきた子どもず、乗る子どもの姿を芋るなり

「今、降りた子どもず乗った子どもは、足すず䜕人今すぐ蚈算しお」

ず瀺唆しおいた。その゚ピ゜ヌドを聞かされたのは、匟が囜立倧を卒業しおからのこずだ。どうやら母にずっお、地方の囜立倧を出た匟の存圚は誇りらしい。

 4歳䞋の匟には「この子が䞀番しっかりしおいる」ず、呚りに玹介したりもしおいた。あの時はい぀も笑顔で誰ずでも話せる匟をうらめしくも思っおいたが、倧人になっおから圌がそれなりに苊劎しおいたこずや、無理しおいたこずも知った。

 匟達は母の期埅に、それぞれ合わせようず奮闘しおいた。けれども、本圓はどうしおいいのかわからない『ずべないホタル』の兄匟みたいなもので、ただただ迷いながら。自分なりに矜を広げようずしおいたのかもしれない。

 私は私で「倉わっおる。あんただけはどう育おたらいいかわからない」ずだけ蚀われおいたので、私もどうしおいいかわからなかった。

 幎霢を重ねるに぀れお、少しず぀母ずの歩幅が揃っおきた。今では、互いに冗談を蚀い合える「友達芪子」のような関係を築けおいる。

 思えば、母にずっお私は、最初から「嚘」ではなく「友達」のような存圚だったのかもしれない。小さな頃から、察話の盞手ずしお芋られおいたのだろうか。

 母の厳しさは、私を突き攟すものではなく、自分の隣に私を䞊ばせるためのものだったのかもしれない。母ももしかしたら「芪ずしおの飛び方」がわからなかったのだ。

 歩幅の距離が掎めないあの頃は、ただただ母の存圚が脅嚁でしかなかった。

「読曞感想文を曞くなら、たずは本が䌝えたいテヌマを理解しないず。それから、初めお『あなたの感想』を曞きなさい。そうしないず、本の良さが䌝わらないし、感想文ずしお成立しないじゃないの」

 母は私に諭すように䌝えた。そこで私は初めお、

「本のテヌマや内容が難しくお理解できなかった」

ず玠盎な思いを述べた。するず母は、

「なら、『難しくお、理解できたせんでした』ず玠盎に曞けばよかったんじゃないの。それが、あんたの感想でしょう」

ず、告げた。

 感想文で倧切なこずは、自分が感じた「玠盎な感想」を蚘すこず。そう教えおくれたのは母だった。

 小孊生だった私にずっお、「玠盎になる」ずいうこず自䜓が、ひず぀の課題だった。思ったこずをそのたた蚀葉にするのは、怖い。

 転勀族の私は転校したばかりで、友達もいなかった。

 誰かに䜕かを䌝えお、それが間違っおいたらどうしよう。倉だず思われたらどうしよう。そんな䞍安が、い぀も心の奥に朜んでいた。

 その感芚は45歳になった今でも、完党には消えおいない。誰かに䜕かを䌝えるずき、ふず立ち止たっおしたう瞬間がある。蚀葉を遞びすぎるあたり、蚀いたかったこずがどんどん蚀えなくなるこずなんお、もはや習慣のように続いおいる。

 きっず「玠盎さ」ずは、単なる性栌の問題ではなく、自分の根っこにある「自信」ず深く結び぀いおいるのだろう。

 誰に䜕を蚀われようず、自分の感じたこずを信じられるかどうか。その自信があっおはじめお、率盎な蚀葉を人に向けるこずができるようになる。

 玠盎になるには、勇気がいる。そしおその勇気は、日々の小さな遞択の積み重ねの䞭で、少しず぀育っおいくものなのかもしれない。

◇

 読曞感想文を、母に初めお読んでもらったあの日。母に笑われたショックや、告げられた蚀葉が呑み蟌めず、私は宙ぶらりんのような県差しで日々を過ごしおいた。

 そんな私を芋かねたのか、母はそれから数日埌、私に䞀冊の日蚘を枡した。日蚘の衚玙は青くお、可愛い女の子やクマのぬいぐるみの絵も蚘されおいた。

「今日から、日蚘を曞いお母さんに枡しお」

 母は顔色ひず぀倉えずに、ぎしゃりず私に蚀い攟った。

「えっ、䜕でそんなこずしなきゃいけないの」

「自己満足で文章を曞いおいおも䞊達しないから。母さんがチェックしお、倉なずころがあればアドバむスをする。その繰り返しを続けるこずで、少しはあんたの文章もマシになるでしょう」

 そう語る母は、仁王像のようにしかめっ面をしおいた。あれから䜕幎が過ぎお「どうしおい぀も怒っおいたのか」ず尋ねたら「育児ノむロヌれ自称」だったらしい。

 母に逆らうのが怖かった私は、その日から母の想いを汲み取り、毎日日蚘を曞いお母に提出し続けた。

 誰かに、自分の曞いた文章を芋せる。その行為は、プロのラむタヌずしお掻動しおいる45歳になった今でも緊匵する。けれども、そのプロセスを螏むこずで私は「母に喜んでもらえるには、どうやっお日蚘を曞けばいいのか」を考えるようになった。

 母は、私が日蚘を差し出すず、顔色ひず぀倉えず、静かに目を通す。母は滅倚に耒めないので、問題がなければ「はい」の䞀蚀で終了。

 耒められる蚳でもなく、ただ淡々ず日蚘を曞いお、流れ䜜業のように母ぞ枡し続ける日々が延々ず続く。

 毎日曞くず、日蚘ずいうものはネタが尜きる。

「爪を切りたした。い぀もは䞊手く切れないけど、綺麗に切るこずができお嬉しい」

 時には、3行皋床の日蚘を曞くこずもあった。文を曞けないこずを誀魔化すように、時には䜙癜の郚分にむラストを描くこずもしばしば。

 文が短くおも、母は「短い」ず叱るこずはなかった。ただ黙々ず「文章におかしなずころがないか」に぀いおチェックしおいた。その時の顔は、仁王像ずいうより2本のツノが頭角から生えた般若の圢盞だった。怒っおいるのではない。真剣だったのだ。

 小孊校高孊幎になるず、母に日蚘を枡さなくなった。母も䜕かを察したのか、日蚘を提出しなさいずは蚀わなくなった。母も、チェックをするのが面倒になったのだろうか。それずも、私が母から自分なりに自立でもしたのだろうか。

 その埌も䞭孊校、高校、短倧ず、私は誰に芋せる蚳でもない日蚘をひたすら曞き続けた。

 曞き続けおいるず、時折「なぜ自分は誰にも求められない日蚘を曞いおいるのだろう」ず感じる瞬間が蚪れる。

 この頃には「曞く習慣」が䜓に染み぀いおいお、曞かないず生きおいけない䜓になっおいたのだろう。

 曞けない時は、1行でも日蚘を曞いおいた。曞けなくおも、続けるこずは絶察に蟞めなかった。気づけば、䜕も曞かない日はりズりズするようになる。

 やがお、曞くこずが苊にならなくなった。それどころか、自分の悩みや葛藀を文章に綎るこずで、頭の䞭を敎理できるようになった。

◇

 それから䜕十幎かしたのち、私はラむタヌずしおデビュヌ。41歳の頃に、出産のため里垰りをしおいた私は、女性の生き方を䌝えるメディア『UMU』に掲茉されおいる、䞍劊治療経隓をも぀女性にむンタビュヌをした時の蚘事を母に芋せるこずにした。

 母は認めおくれるだろうか。

 蚘事を芋るなり母は、目を䞞くしお携垯画面をじっず凝芖しおいた。

 文章、䞋手だったのだろうか。
 叱られるのだろうか。
 たた䞋手くそだずか、圓たり前のこずを曞くなずか。
 叱られたらどうしよう  。

 ドキドキしながら顔色を䌺うず、母は

「凄い。本圓にあんたが曞いたの信じられない  。あんたにも才胜があったんだねぇ」

ず、嬉しそうに声を䞊げた。その時ようやく、自分の胞に詰たっおいた぀かえがずれた気がした。

 私はずっず、曞くこずで母に認められたかったのだ。

 私の曞く習慣は、先倩性のものではなく「母が意図的に䜜った」こずで誕生した。

 母に認められた埌も、蚘事を公開するたびたたは蚘名蚘事が公開されるたびにヒダヒダするのは倉わらない。

 誰かから「なんだこれは」ず突っ蟌たれたらどうしよう。けれども、名前を出しお「曞く」ずいうのは、誰に䜕を蚀われおも「曞く」ずいう芚悟が必芁なこずでもある。わかっちゃいるけど、それがなかなか難しい。

 これからも、自分の䞭で葛藀を重ねながら、私は息を吐くように曞き続けおいく。曞くこずがやめられない。曞かないず生きおいけない。それが私にずっおの曞く習慣なのだから。

【完】

⭐この蚘事を曞いた人


【远䌞】

こちらの゚ッセむは、いしかわゆきさん䞻催のコンテスト「人生を倉えた曞く習慣 noteコンテスト」にお「最初の読者は「母」で賞」を受賞した䜜品です。

#創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門  にも、応募しようず思っお執筆しおいたした。ぜひ、応募させおいただきたす。


(远蚘)
 こちらの蚘事は、幎末恒䟋ハス぀かさんの䌁画「 #2025のいっぜん 」にも参加しおいたす。

いいなず思ったら応揎しよう