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自分なりの落とし前の付け方を考える

もう随分前の話だけど。ちょっとある人と揉めた。ひとまずその時はそれなりの決着は着いたのだけど、向こうはこちらへの多少の不信感は残ったろうし、自分ももう少し両方が納得する上手いやり方があったのだろうか……とか思う結末だった。しかしその時は一応の決着はしたし、それ以上の良策も思い浮かばなかった。それが自分に出来るその時の限界だったのよ。

それから何年も経った。その件はほとんど自分は忘れかけてはいたけれど、その関係者の最近の動向を知るたびに、喉の奥に刺さった魚の小骨のような違和感を感じた。そうだね、違和感であり居心地の悪さだよ。

完全に忘れて自分の中で消化し切ってしまえば、何も問題はない。大抵の人は済んだこと、終わった事で済ませてしまう様なことだろうと思う。だけどね、みけ子は結構そんな些細なことを気に病んでしまうタチなんだよね。そんな風には見えないだろうけど。

でね、自分なりの落とし前の付け方を考えた。どうすればもっと気持ち的にスッキリするだろう?そして相手に多少の納得感を感じてもらえるだろうか?色々考えて辿り着いた事は……そのある方が関係する団体に少々の寄付をすることだった。本当に「少々」なのよ。威張れるほどの大金なんかじゃない。だけど寄付を受ければ、ちょっと嬉しい程度の金額ね。

こう言ってはなんだけど、世の中のトラブルやら問題やらいざこざのほとんどは、お金で解決出来るのだ。日本では昔から金持ちは嫌らしい人物として描かれることが多いけど、それでも金持ちの前に平伏してしまうのは、そのお金の持つ力ゆえんだろう。結局持たない者たちはそうするしかないよね。

病気の治療だって他人からの愛情だって、お金さえあれば(全てではないが)ほとんど解決出来てしまう現実。いくらお金を積んでもどうにもならないことも多少はあるけど、人のほとんどは目の前の利益で懐柔されてしまうのだ。もちろんみけ子だってそうだよ。

「今さらなんだよ」って思われるかも知れない。そう思われてもその団体が寄付を受け付けている以上、拒否はしないだろう。過去にゴタゴタがあっても、寄付は寄付で有り難く受け取ってくれるハズだ。

その寄付で全部許されてチャラになるなんて思っていない。自己満足って言えばその通りだよ。でも自分はどうしてもそうしたかった。だからささやかながら寄付をした。それ以上でも以下でもないことだ。

どんな風に相手方が思ったとしても構わないよ。自分がしたいからそうしただけ。それでお終いだから。

今後、その人や関係する団体に関わるかどうかは分からない。ただ今の気持ちとして出来る範囲の金額で寄付をした。

それでよい。そんな程度で良いのだ。




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櫻井 みけ子 サポートをいただけるならば、それはそれは大感激です❣️毎日発信を続けることが、自分の基礎トレーニングだと思っています。サポートを励みに発信を続けます💓