人生は、登りより下山が大事
学生時代からの親友との会話の中で、心に残った話があります。
先日「歩くことで人生が整う」という記事を書きました。その話を友人にしたところ、
「それ、激しく頷くわ」と言いながら、自分の体験を話してくれました。
彼女は、時々1人で山登りをするそうです。
と言っても、標高の低い山を、ウォーキングの延長のような感覚で登るスタイルです。
整備された登山道ではなく、ほんの少しだけ難易度の上がる山。
獣道?のような道に、木の棒に色つきのテープが巻かれ要所に立てられていて、登山者がそれを目印にするそうです。
登りは、気が張っているから、休憩を挟みながらも山頂を目指して進める。
でも、下りは違うそうです。
山頂に辿り着いた達成感から、無意識に気が緩みやすい。
そんな時に、たいてい「間違い」が起こると言います。
目印にしていたテープの色を見間違え、途中で「何かおかしい」と気づくと…谷の方向へ進んでいて、慌てて引き返す。
そんな経験を何度かしているから、
「下山する時ほど、気をつけよう。気を引き締めよう」
と、いつも自分に言い聞かせながら山を降りるのだそうです。
その話を聞いていて、
「人生みたいやなぁ」
という話になりました。
若い頃は、見えない山頂を目指して、ただ必死に登っていく。
体力もあり、
「どんな未来が待っているんだろう」
と、しんどさの中にも期待がある。
難所もあるけれど、
一緒に登る仲間の励ましや、
少し先を歩く先輩、
すでに下山に向かっている年長者の知恵に支えられながら、
それぞれの“山頂”と思われる場所に辿り着く。
山の高さも、景色も、道の険しさも、人それぞれ。
それは人生も同じなのだと思います。
私たちは50代をゆうに超えて、
どう考えても下山の真っ只中です(^-^)
でもそれは、
頂上だけが「素晴らしい未来」という意味ではなく、あくまでも「人生」という全体の流れの中での話です。
登っている時は前しか見えなかったけれど、
下山しはじめてみると、これまで気づかなかった景色が見えてきます。
登る途中の人を見て、
かつての自分を振り返ることもできる。
そして、まだ見ぬ麓の景色が美しいと思えるように、
そんなふうに過ごしたいなと思いながら書いています。
ただ、友人の言葉——
「下山する時ほど、気が緩むから気をつけよう」
これは、思っていた以上に胸に刺さりました。
皆さんは、どう感じますか?
