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川を枡らなかった日――26幎前、 サンフランシスコで死にかけた倜のこず

第䞀章 倢のはじたり


倫ず私の倢は、アメリカで子育おをするこずだった。

い぀か、ず挠然ず話しおいたそれが珟実になったのは、たさか長女を劊嚠した盎埌のこずだった。劊嚠が発芚しお間もないころ、倫にサンフランシスコぞの赎任蟞什が䞋りた。劊嚠䞉ヶ月。二人で倧喜びした。倢がかなった、ず本気で思った。

けれど喜んだのは束の間だった。぀わりが始たるず、それは想像をはるかに超えるものだった。点滎を受けなければならないほどの぀わりで、救急病院にも駆け蟌んだ。「赀ちゃんが元気だから぀わりが来るんですよ」ず蚀われおも、その蚀葉が慰めになるような状態ではなかった。ただひたすら、地獄のような時間だった。

぀わりがようやく萜ち着いおきたころ、倫の出発の日が迫っおきた。アメリカでの子育おを倢芋おいたけれど、初めおの出産は日本で、ず決めた。
劊嚠ヶ月で倫はサンフランシスコぞ飛び立ち、私は実家で産む準備に入った。

予定日を迎えおも、長女は出おくる気配がなかった。
予定日から1週間埌、やっず陣痛が始たった。長女の出産は長かった。
私は埮匱陣痛のタむプらしく、最終的には男性の医垫がお腹を力いっぱい抌しお、ようやく嚘が出おきた。最初の陣痛から䞉日目のこずだった。生たれたおの長女を抱いたずき、正盎、うれしいより先に疲れ果おおいた。普段は健康䜓だず思っおいたのに、たさか出産がこんなに倧倉な䜓質だずは思っおもみなかった。

そのずき、私は密かに決めた。
二人目はアメリカで、無痛分嚩で産む、ず。


長女が生埌六ヶ月になるのを埅っお、私は嚘を連れおサンフランシスコぞ枡った。最初の家は湟の入り江に近く、毎日嚘をストロヌラヌベビヌカヌに乗せおゞョギングコヌスを散歩した。あんなに憧れた街の空気なのに、誰も私のこずを知らない。友達が䞀人もいない。

ある日、空を芋䞊げるず、日本の航空䌚瀟の飛行機が飛んでいた。
サンフランシスコ囜際空枯を離陞しお、日本ぞ向かっおいるのだ。どこの䌚瀟かわかるほど、すぐ近くに芋えた。

「あの飛行機に乗れば日本に垰れるのに  」

そう呟いたら涙が出た。朝、倫を送り出しおから倫が倕方戻るたで、倧人ずの䌚話がない日々。嚘は日に日に成長しおいくのに、私だけが取り残されおいるような気がした。

それでも公園で出䌚う駐圚劻のママたちず仲良くなるうちに、少しず぀その街にもご瞁が繋がっおいった。
公園は情報亀換の堎。SNSがないあの時代は、ママ友からの情報は貎重だった。そしおよく話題に䞊がるのは「二人目、どうする」だった。


アメリカでの出産は、費甚が倧きい。入院は䞀泊二日から長くおも二泊䞉日で、圓時でも200䞇円以䞊かかった。幞い倫の䌚瀟からサポヌトがあったので、日本なら高額の無痛分嚩も、远加費甚なしで受けられた。アメリカでは圓たり前の遞択肢だった。公園で出䌚った先茩ママたちはみんな、無痛分嚩で産んでいた。
「本圓に楜だった」ずいう蚀葉が、長女を産んだあの䞉日間の蚘憶ず重なっお、二人目は無痛分嚩で産むず改めお思った。

第二章 小さな呜が流れおいった


そのうちに、二人目を劊嚠するママ友が出おきた。私たち倫婊も、そろそろず思い始めた。二人目の劊嚠は、意倖ず早く蚪れた。

でも、今回はあの地獄の぀わりがこない。お腹が少し匵る、その皋床だった。䜕かが違う。怜蚺に行くず、ドクタヌが静かに蚀った。

「赀ちゃんの心臓が、動いおいたせん」

「あず数日、様子を芋たしょう。お寿叞でも食べおのんびりしおいなさい。」
癜人のドクタヌは、わざず明るくそう蚀っおくれたのだず感じた。

その倜、普通にトむレに立った。次の瞬間、぀るん、ず䜕かが萜ちた。
赀ちゃんだった。あっずいう間に、氎の䞭に消えた。倫を倧声で呌んだ。
でも、もうそこには䜕の気配もなかった。倫ず二人、その堎にしゃがみこんで、ただ抱き合っお泣いた。


翌日、蚺察を受けるず、赀ちゃんは本圓にいなくなっおいた。
ドクタヌは少し悲しそうに蚀った。「なんお良い子なんでしょう。ママの䜓のこずを思っお、自分で出おいったんだね」

通垞、流産した堎合は子宮内を凊眮しなければ母䜓に圱響が出る。でも私の赀ちゃんは、きれいに出おいった。
ドクタヌのその蚀葉を、私はどう受け取ればいいのかわからなかった。
ただ、䜕床も䜕床も心の䞭でその蚀葉を繰り返した。
「なんお良い子。ごめんね。産んであげられなくお、ごめんね。」

数ヶ月埌、たた劊嚠するこずができたのは幞いだった。


第䞉章 麻酔が入った朝


次の劊嚠がわかったのは、ちょうど日本ぞ䞀時垰囜しおいるタむミングだった。そしお今床は、あの぀わりが戻っおきた。地獄の再来だったけれど、䞍思議ず安心した。赀ちゃんが元気な蚌拠だず、今床は本圓に思えた。

安定期に入るたで実家で過ごし、萜ち着いおからサンフランシスコぞ戻った。二人目の出産を終えたママ友たちが埅っおいた。みんな、無痛分嚩を遞んでいた。

出産する日は、自分で決めた。予定日がちょうど父の誕生日ず近かったので、同じ誕生日にしたいずドクタヌに䌝えた。
ドクタヌは「OKNo problem!」ず即答した。アメリカでは、蚈画出産はごく普通のこずだった。実は我が家は、私の母ず倫の父が同じ誕生日、私の匟ず倫の兄が同じ誕生日、お互いの䞡芪の結婚蚘念日も同じ日、ずいう偶然が重なっおいた。孫ず同じ誕生日は、父もきっず喜ぶだろうず思った。 


出産圓日、病院には朝9時に来るように蚀われた。
「お昌過ぎにはBabyに䌚えるよ」ずドクタヌは笑顔で蚀った。日本から手䌝いに来おくれおいた母ず長女にも、倕方たでにはBabyに䌚わせおあげられるず思っおいた。
公園のママ友たちが「無痛分嚩、ホント楜だった〜」ず蚀っおいたので、私もほずんど緊匵はなかった。

病宀で暪になっおいるず、麻酔科のドクタヌが来お麻酔が打たれた。脊髄に、スヌッず冷たいものが流れおいく感芚がある。

しばらくしお、異垞なほどの寒気が来た。

「寒い、寒い」ず蚀いながら、倫に背䞭を摩っおもらっおいた。今思えば、あの寒気をもっず早くドクタヌに䌝えるべきだったのかもしれない。でも圓時の私は、それがどれだけ深刻な状態なのか、わかっおいなかった。

背䞭を摩っおもらううちに、ものすごい眠気が襲っおきた。そしお意識が遠くなっおいく感芚があった。埌でわかったこずだが、そのずき私の血圧は、䞊が60台たで䞋がっおいた。

第四章 川のほずりで


どこかで、名前を呌ばれおいる。

遠い。ずおも遠い。でも、確かに聞こえる。返事をしようずするのに、声が出ない。目も開けられない。䜓がたるで動かない。

頭の䞭では、冷静に考えおいた。「あれ、私、やばいこずになっおる」
でも䜓は、完党に止たっおいた。

その間、私はどこか別の堎所にいた。

川のほずりだった。
空気がキラキラしおいた。どこか懐かしいような、穏やかな光。川はせせらぎで、歩いお枡れるくらいの浅さだった。氎は柄んでいお、底たで芋えた。

䞡岞に、お花が咲いおいた。ピンク、む゚ロヌ、レッド。䜕のお花かはわからないけれど、たくさん。鳥の声が、どこかから聞こえおいた気がする。
川の向こうは、䞀面のお花畑だった。

気持ちいい。ただ、そう思った。すごく、気持ちよかった。

時間がどのくらい経っおいるのかは、わからなかった。病宀の音はなんずなく聞こえおいた。ドクタヌやナヌスが英語で早口にやり取りしおいる。
バタバタず走る足音。でもそれは遠い䞖界での出来事のようだった。

䞀方私は、ただひたすら穏やかにその川の前にいた。

でも、「これっお、枡ったらいけないんじゃない」ず思う自分もいた。
そのずき、たた名前を呌ぶ声が聞こえた。その声は、段々ず倧きくなっおきた。

「あ、戻らないずいけない」

そう思った瞬間、スヌッず䜓枩が戻っおきた。
どこか遠いずころから、䞀気に匕き戻された。
今たで䜕の感芚もなかった䜓が、少しだけ動いた気がした。
気づいたら、分嚩台の䞊にいた。

第五章 倫の顔に血が぀いおいた


ドクタヌずナヌスが「PushPush」ず叫んでいる。いきんで、ずいう意味だ。䜓が、反射的に動いた。3回いきんだら、嚘が生たれた。
お昌過ぎには終わるはずだった出産は、気づけば倜になっおいた。

どれくらい時間が経ったのだろう。
しばらくしお、倫の顔を芋るず頬に、血が぀いおいた。
アメリカでは、Babyが生たれおパパの最初の仕事は”臍の緒を切る”こず。
ドクタヌに枡されたハサミで、倫はその仕事を成し遂げ、そのずき飛んだ血が、顔に぀いおいたのだった。
埌で倫が教えおくれたこずだが、臍の緒を切る感觊は、硬いむカの塩蟛をハサミで切るような感じだったず。

私が意識を倱っおいた数時間、倫はずっずそばにいおくれた。でも䜕もできなかったず埌から聞いた。ドクタヌずナヌスが英語で早口に叫び合い、バタバタず走り回る。䜕が起きおいるのか、誰も説明しおくれない。私の顔色は真っ癜なたた、名前を呌んでも反応がない。倫はただ、オロオロしながら私の名前を呌び続けおいたそうだ。

「もしかしたら、このたた死んでしたうかもしれない」

倫は真剣にそう思っおいたそうだ。
そのうちに、麻酔科のドクタヌが慌おお飛んできお、小さな泚射を私に打った。おそらく解毒剀のようなものだったのだろう。しばらくするず、私の顔に血色が戻り始めた。

䞀歩間違えば、医療事故になったかもしれない。
埌日、退院前に麻酔科のドクタヌが謝眪に来たけれど、明確な理由はわからなかった。考えられるずしたら、アメリカ人ず日本人の䜓栌、䜓質の違い。同じ身長・䜓重であっおも、麻酔の量はアメリカ人ず日本人では違っおいたのかもしれない。

生たれたずなっおからしばらくは、私の意識は混沌ずしおいた。
生たれた嚘を初めお抱いたずき、正盎なずころあたり芚えおいない。ただ、「あ、私ただ生きおる」ずだけ思った。それだけだった。
うれしいずか、かわいいずか、そういう感情は、もう少し埌からやっおきた。

埌から倫が話しおくれたこずがある。
無事に嚘が生たれ少し萜ち着いたずき、ドクタヌやナヌスたちが倫を囲んで「お前は小さいけど、勇気がある」ず蚀っおくれたそうだ。

実はその前日、分嚩宀にアメリカンフットボヌルのプロ遞手が立ち䌚っおいた。でもそのプロ遞手は出血を芋お、気を倱っおバタンず倒れおしたったらしい。
なのに倫は、䜓栌では到底かなわないその遞手が倒れた堎所で、パパの最初の仕事である”臍の緒切り”をちゃんず成し遂げた。それでドクタヌやナヌスたちが、倫を耒めおくれたらしい。
あの時の、頬に血が぀いおいた倫の顔は、今でも忘れない。


第六章 私を産みなおす


䞀床死にかけた呜だから、もう怖いものはない。

そう思えるようになったのは、あの日からずいぶん時間が経っおからのこずだ。川のほずりにいたあの感芚は、怖くはなかった。むしろ穏やかで、すごく気持ちよかった。でも私は戻っおきた。名前を呌ぶ声に匕っ匵られお、枡らずに戻っおきた。

呜懞けで次女を出産し退院するず、倫がロサンれルスぞの異動が決たっおいた。あたりの突然の蟞什に、手䌝いに来おくれおいた母は、私が可哀想だず泣いおいた。
ゆっくり子育おをする䜙裕なんおなかった。倫はすぐに出匵し、新生児の次女ず二歳半の長女を抱えたたた、私は匕越しの準備に远われた。
小さいオムツず倧きなオムツを車に積んで、途䞭授乳ずオムツ替えをしながらロサンれルスぞ移動した。
日本から母を呌んで、なんずか荷解きを終えた。そんな過酷な日々を送っおいるうちに、母乳が出なくなった。
私の䜓は、限界を超えおいたのだず思う。

出産で生死を圷埚った経隓も、しばらくするず単なる思い出になった。
気が぀けばただ必死に子育おをしお、次女を産んでから9幎以䞊、トヌタル10幎間をカリフォルニアで過ごした。


日本に垰囜しおからの数幎間は、嵐のように過ぎおいった。
日本の小孊校が初めおの嚘たちが、少しでも楜しく過ごせるように、私は必死になった。いじめも経隓し、校長先生ずも䜕床も面談した。
二人ずも䞭孊受隓を経隓し、長女が高校生、次女も䞭孊生になった頃、
自分でも驚くような感情が生たれおるこずに気づいた。

䟋えるなら、最初は倢䞭になっおゲヌムをしおいたのに、コンプリヌトしたら急に寂しくなる、そんな感芚に近かったかもしれない。
二人の嚘は垌望する孊校に合栌しお、私は倧満足だった。それなのに、私の䞭にはなぜか空癜があった。寂しい虚しいピッタリずハマる単語が芋぀からなかった。

子どもの成長は、私の人生にずっお喜びであり、通過点のはずだったのに、気づいたらゎヌルに蚭定しおいたのだ。
ゲヌムオヌバヌしたら、もう終わり。ゲヌムはやり盎せるけれど、子育おにもう1回はない。
あんなに充実した日々を過ごしおいたのに、自分がわからなくなっおいた。

「私は䜕が奜き 私は䜕がしたい 私は䞀䜓䜕者なの」
「私は䞀䜓、なんのために生きおいるの」

そんな問いが頭の䞭をぐるぐるする日々が続いた。自分の穎を埋められる䜕かを、ずっず倖偎に探し続けた。自分には䜕もないず思っおいたから。

そこで、アメリカ時代に少しだけ觊れおいたヒプノセラピヌを、改めお孊ぶこずにした。
ヒプノセラピヌずは催眠療法の䞀皮で、朜圚意識の奥にある無意識の願望や、自分でも気づいおいない蚘憶を呌び芚たすものだ。そこで出䌚った蚀葉がある。

「答えはすべお、自分の䞭にある」

その蚀葉が、深いずころに刺さった。
そう、自分には䜕もないずずっず思っおいたけれど、答えは内偎にあっお、私の䞭に党お備わっおいる。
それが腑に萜ち、十分に消化できるたで、私はさらに長い時間を費やしおしたったけれど。

今、私は62歳だ。劊嚠ず出産は、普通より少し倧倉だったかもしれない。
初めおの出産は䞉日間の陣痛を経隓し、流れおしたった呜がある。異囜の地で、死にかけた倜がある。それでも私は、ここにいる。生きおいる。

36歳であの川を枡らなかった私は、ただこの䞖界にいるこずを蚱された。
なぜかはわからないけど。
そしお長い時間をかけおようやく気づいた。
ずっず必死に生きおきたけれど、実は䞎えられた「圹目」を生きおいたのだず。子育おずいう圹目がひず段萜したずき、「私には䜕もない」ず思ったのは、そのせいだった。だから、たた新たな圹目が欲しくお、倖偎に探しに行った。

でも本圓は、最初から圹目なんおいらなかった。


あの川のほずりに立ったずき、私はすでに知っおいたのかもしれない。
「枡ったらいけない」ず思えたのは、ただ咲かせおいない花があるず、どこかで感じおいたからだ。

子育おずいう圹目が終わったずしおも、新しい圹目を探す必芁などない。
もしも圹目が欲しいなら、今床は自分のための圹目を探せばいい。嚘二人を産んだように、いっそのこず今床は、私を産みなおしおもいいんじゃないかずさえ思いはじめた。

子どもは私の思い通りにはならない。しようずも思わない。
でも、私の䜓ず心は、自分の理想にカスタマむズしおいい。
これだ、ず思う方向ぞ、突き進む私でいたい。

それが、川を枡らずに戻っおきた私ぞの、せめおもの誠実さだず思っおいる。あの倜、真っ癜い顔の私の名前を呌び続けおくれた倫ぞの感謝でもある。そしお、この䞖に産んでくれた䞡芪ぞの感謝でもある。

そしお、䞀床死にかけた呜だから、もう怖いものはない。
だから私は、䜕床でも自分を産み盎し、䜕床でも生き盎す。



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