ちょいちょい書くかもしれない日記(本音)
子供のない遠方の叔父叔母がらみの用事で、朝から新幹線に飛び乗る羽目になった。えらいこっちゃである。
共に認知症の二人暮らし、故郷から遠く離れて……と言うとちょっとフレンチのメニューみたいだが、自分の実家が潰えた今、甥姪すらいない私は、叔父叔母よりさらにヤバい境遇になりうるんやぞ、という事実が胸に痛い。
いろいろ気を揉んだが、駆けつけてみたら、トラブルは思っていたより単純なものだったのでよかった。
電話では埒があかないが、現場に来てみたら何のことはない、というやつだ。
先方のケアマネさんとも情報を共有し、再発防止策を練った。
とはいえ、後見人ではない(叔父も叔母も必要ないと言い張るし、私もなるべくならなりたくない)ただの姪っ子の私にできることは、さほどなく。
叔父叔母のこれからについても、避けては通れないお金の問題に介入するわけにはいかない立場なので、何とも歯痒い。
妙に気を遣った叔父叔母にお昼をご馳走になってしまったのだが、敏腕営業マンだった叔父が、認知症になってから本音を口にするようになったので、会話が地味にしんどかった。
私の両親が喜ぶから里帰りしていただけで、遠いし、お土産は高くつくし、自宅じゃないから落ち着かないし、正直嫌だった、とか。
本当は犬なんか面倒臭いだけで好きじゃなかった、とか。
政治家や芸能人への批判も、なかなか口汚い。
実のところ、叔父が、みんなが言うような、快活で気が回るスマートで社交的な人……ではないことを、高校生くらいの頃にうすうす感じてはいた。
オタクがオタクのにおいを嗅ぎつけるように、陰キャは陰キャのにおいを鋭敏に感じ取るものだ。どれほど巧妙に隠していても。
叔父はたぶん、如才ない振る舞いが生きるすべだと定めて、それを貫いてきたのだろう。
そして今、認知症になってやっと、「行き届いた人」の仮面を外し、自由になったのかもしれない。
身内が何人も認知症になり、以前には決して言わなかったようなことを口走るのを見てきた。
人が変わったようだ、とみんなが嘆くのも聞いてきた。
でも個人的には、その人の中に微塵も存在しないものは、認知症になっても出てこないように思う。
だからしんどいけれど、叔父の本音も、長く心に秘めてきたものとして、ちゃんと尊重しなくては……とはいえ、犬はいかんよ。
犬に対しては、死ぬまで犬好きの仮面を外さないでほしい。いや、死んでもだ。
叔母に迎合しただけだったとしても、彼がみずからの意思で迎えた犬たちにとって、叔父は大好きなおとうさんだったのだから。
ずっしり疲れて最寄り駅まで帰ってきたら、駅前デパートのポップアップストアの中に抹茶ソフトクリームの店があった。
めちゃめちゃ片隅に、喫煙所的な狭いイートインスペースも設置されている。
これはもう、食べるしかない。
いい意味で何の捻りもない、ただ真っ直ぐに美味しい抹茶ソフトだった。
こういうのがいいんだよ。
奇天烈なトッピングや、謎のマリアージュは求めていない。
カロリー的にはカップを選ぶのが正解なのだろうが、同じ料金なのにコーンを諦める決断などできるはずもなく。
他に誰もいなかったので、荷物を全部下ろし、さくさくとコーンをかじりながら、しばしひと休みさせていただいた。
ソフトクリームはいつだって、私にとってのエリクサーだ。
ちょうどデパ地下にたん熊が来ていたので、お弁当も買った。
実家に母がいた頃、毎月のお楽しみとして必ず買っていたお弁当。
その月に食べるべき旬のものが入っているから、勉強になるでしょう……と母はよく言っていた。確かにそう。
手の込んだ料理をこまごまと詰め込んだお弁当は、これもまた愛だ。
家族のためなら苦にならなかった「副菜こまごま」が、自分ひとりのためにはできない。
私はたぶん、自分への愛情が薄い。
一汁一菜ならぬ、一飯一菜で終わってしまう日々の食事なので、たまのお弁当はとても贅沢で眩しい。尊いものをいただいている、という実感がある。
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