「上高地」の物価高と入園料徴収。世界的な景勝地で何が起きているのか?
「この値段、マジか?」
15年ぶりに訪れた上高地(長野県松本市)で、物価の高さに驚いた。
ホテルの宿泊料金は2人1室で軽く10万円を超えるし、おしゃれなレストランでハンバーガーを頼めば1個4500円もする。
それなら普通の食堂はどうかといえば、ちょっとした定食で2000~3000円はかかる。コーヒー700円、カレーライス2000円、イワナの塩焼き1400円、自販機の飲み物は町の2倍。観光地価格といえばそれまでだが、思わずメニューを二度見してしまう値段だ。
上高地の観光客は2025年、前年比8%増の166万4900人を記録。宿泊客15万人のうち、2万1000人はインバウンドで占められた。観光客は今後も増えるとみられ、松本市は2028年度にも入園料の徴収を始めるという。
標高1500㍍。北アルプスを望む景勝地は、ますます出費がかさむ場所になりそうだ。


私は大学時代、登山にはまった。金もないのに北アルプスに通い、テントに泊まって穂高連峰や槍ヶ岳を目指した。社会人になってからも、友人らを誘って山に入った。
上高地は当時から有名観光地だったが、今ほど人は多くなかった。中心部の河童橋周辺を除けば、とても静かだった印象がある。大学で留年が決まった時には、槍ヶ岳に続く道を半分ヤケになって歩いた。上高地は思い出深い地である。
私は今回、古い友人と2人で上高地を訪れた。岐阜県側の平湯温泉近くにあるアカンダナ駐車場に車を止め、バスに乗る。
距離約15㌔、所用時間約30分、料金は往復2800円。一般の路線バスに比べればかなり割高だ。さらに駐車場料金600円がかかる。
この日はお盆休み明けの平日だったが、上高地バスターミナルは観光客でにぎわっていた。満員のバスが次々に発着する。インバウンドの姿が目立ち、途中のバス停で乗車を断られる場面にも遭遇した。


梓川に架かる河童橋は、多くの人たちで混雑していた。ちょうど昼時だったから、飲食店には順番待ちの列ができている。私と友人はあらかじめ食料を用意し、水やガスコンロと一緒にザックに詰めたきた。そのまま人混みを抜け、梓川沿いに北上する。
上高地の物価が高いのはよく知られている。友人は以前、旅行代理店で添乗員を務めていたこともあり、観光地価格には精通している。念のため、ネットで上高地の飲食店のメニューを調べたが、すぐに入店は断念した。私たちのような貧乏旅行者にとっては、何もかもが高過ぎるのだ。
河童橋近くで少しだけ高級な定食を味わい、ついでにコーヒーを飲んだら、それだけで5000円は飛ぶ。間違って有名レストランに迷い込めば、ランチは7000円、カレーは3000円だ。試しに一番安い料理を探したら、かけそば900円、豚まん600円が見つかった。
「上高地で食べたら破産する。手間がかかっても持ち込もう」
私と友人の意見は速攻で一致した。



河童橋から10分ほど歩くと、登山者が集まる「小梨平キャンプ場」がある。登山者は早朝から行動するため、見たところテントは2張りしかない。一番隅のベンチに座り、昼食をとることにした。
メニューは飛騨名物の「朴葉寿司」と、スープ兼用のインスタントラーメン、デザートのオレンジ1個。いずれも岐阜県高山市のスーパーで買ったものだ。手早くラーメンを作り、木陰でパクついた。
朴葉寿司はその名の通り、朴の木の大きな葉っぱで酢飯を包んである。高山では具材を味噌とともに調理する「朴葉味噌」がポピュラーだが、寿司も素朴な味がたまらない。
ちなみに、持ち込み昼食の代金は2人分で1100円だった。こんなものを比較しても無意味だが、ホテルのハンバーガー1個(4500円)で4人分いける計算になる。
北アの登山経験がある友人は「上高地には山を見るために来た。これで十分」と笑った。


物価の高さはともかく、上高地の風景は昔と変わらなかった。梓川の清冽な流れ、背後にそびえる急峻な山々、美しい森の緑。あまりに景色が良いものだから、いくら歩いても疲れない。暑熱にあえぐ町から来ると、ここは本当に別世界だと感じる。
最近のクマ騒動を受け、上高地でも注意を呼び掛ける看板を目にした。登山道のわきには、クマよけの鈴「クマベル」がつるされている。通りかかる観光客が、鈴を鳴らして記念写真を撮った。それにしても、人が多い。これなら、クマの方が怖がるに違いない。
梓川沿いの道は明神、徳沢、横尾の各地区をたどり、やがて涸沢、槍沢へと続く。私と友人は40年以上も前、テントと食料、それに大量のビールを詰め込んだザックを背負い、雨の中を涸沢まで歩いたことがある。ただ穂高を見上げ、酒を飲むことだけが目的の山行だった。
もう一度やれと言われたらもちろん断る。



上高地を歩いていると、インバウンドが増えたことを実感できる。台湾、シンガポール、英国、米国と国籍はさまざま。見たところ、家族連れが多く、みんな短パンにTシャツの軽装で歩いていく。
2025年12月1日付けの朝日新聞によると、松本市は観光客の大幅な増加について「インバウンドの誘致PRが功を奏した」と分析している。私が北アに登っていた頃も、確かに外国人はいた。しかし、ごく少数だったと記憶する。外国人観光客はいつの間にか、上高地の主役になりつつある。
急激な円安が進んだ結果、外国人にとって日本は「物価が安い国」になった。日本人が二の足を踏む値段でも、彼らにはとてもリーズナブルに映るのだろう。
観光客が増えるだけでなく、金払いのいい外国人の比率が高まる。それに連れて宿泊料や飲食代金が高騰し、金のない旅行者は寄り付けなくなる。京都や金沢、高山などで起きている現象が、山奥の上高地にも及んでいる。



河童橋から徒歩1時間程の明神地区でも、大勢のインバウンドの姿が見られた。近くの飲食店に入った友人が、渋い顔で出て来る。
「コーヒーを飲もうと思ったけど、やめたわ」
見ると、店内で提供されるコーヒーは一杯700円。イワナの塩焼き定食は2400円、カレーは1500円。缶ビールはレギュラーサイズで500円する。
上高地の物価が高いのは、不便な土地で輸送費などがかさむためとされる。しかし、アクセス道路は岐阜、長野県側とも整備され、バスターミナルには大型バスがひっきりなしに乗り付ける。山岳地帯の山小屋ならともかく、上高地のホテルや飲食店がそれほど輸送に困っているとは思えない。
物価高の背景には、間違いなく観光客の大幅な増加がある。それを地理のせいにされても、何だか納得できない。上高地から15㌔の平湯温泉の物価は、ごく普通なのだ。
「観光地なんだから、高いのは当たり前。お金のない人は来なくて結構です」。
いっそ、そう言ってもらった方が腹に落ちる。


松本市が計画する入園料徴収は、山岳関係事業者からの提言に基づいて決まったそうだ。
読売新聞によると、自然環境が厳しい上高地では道路の維持管理などに多額の費用がかかる。観光客の増加とともにゴミの投棄も増えている。入園料徴収は、景観保全と安全対策の財源を確保するのが目的という。
観光客が増えたため、環境が危うい。だから、観光客に負担を求める。要するに、そういう理屈だ。
だが、観光客を増やすため、インバウンド誘致をしたのは松本市ではないのか。ゴミの投棄にしても、当然予測できたはずだ。
観光客は高いバスに乗って上高地を訪れ、高い宿泊料や飲食代金を払う。ただ通過するだけの登山者まで、全員が入園料を取り立てられる。
「こんなの、おかしくないか」
そう言われた時に、市は観光客を納得させる説明ができるだろうか。
少なくとも、上高地は明治以来、だれでも自由に入ることができた。上高地に落ちる金は増えているはずなのに、どうして今、入園料が必要なのか。
「環境保全」という口当たりのいい題目を掲げる前に、もっと詳細な数字に基づく説明が必要だと思う。仮に1人500円の入園料なら、収入は8億3000万円を超える。
私は自分の長女を「梓」と名付けた。由来はもちろん、北アルプスを水源とし、多くの生き物を育む「梓川」である。
大学生の頃から思い入れのある上高地。久しぶりに訪れて感じたのは懐かしさだけではない。それは時代の流れの中で、何か大切なものが失われつつあるのではないかという懸念だった。


