銀河英雄伝説の続きが書けない理由――それは三国志演義最終巻になるから
はじめに
本稿は田中芳樹氏の小説『銀河英雄伝説』(旧版)を前提にした考察だ。
(文字数17,572)
ここで扱う「続き」とは、続編を創作するという意味ではない。原作の結末後に、銀河帝国がどのような歴史的・政治的課題を抱えるかを考えるための思考実験だ。人物の台詞や具体的な物語場面を作る二次創作ではなく、あくまで作品構造と歴史構造を重ねて読む考察としてお読み頂ければ幸いだ。
簡単に言えば、こうなりそうだというシミュレーションだ。だから著者も続きは書かないだろうという話だ。そういう意味では、この考察は蛇足中の蛇足に過ぎないが、色々考えてみたら意味がある一つの約束に辿り着いた。
二人の約束だ。
あの日、あの時、二度目の会見は
永久に開かれなかった。
だが違った形で二人の約束は果たされる。
それが一体何なのか考察してみた。
これは『銀河英雄伝説』の続編予想であると同時に、創業者が去った後の組織が、個人のカリスマから制度へ移れるのかを考える記事でもある。
とある常勝皇帝が死んだ後、銀河帝国はどうなるのか。
それは一人の英雄の死後、残された人々が、彼の作った国家をどう維持するのかという問題だ。
そして同時に、とある不敗の民主主義者提督との約束を、常勝皇帝のいない帝国がどう守るのかという問題でもある。
英雄が交わした約束を、英雄ではない人々が守れるのか。
本稿で考えたいのは、その一点だ。
なお、本稿の補助線として、『三国志演義』、『ローマ帝国衰亡史』ギボン著、『ローマ人の物語』塩野七生著を念頭に置いている。ただし、厳密な比較史ではなく、銀英伝の物語構造を読み解くための参照軸として用いた。

『銀河英雄伝説』の続編問題
『銀河英雄伝説』の続きは、なぜ書き難いのか。
これは単に「原作者が書かなかったから」という話ではない。
作品としては完結している。ラインハルト(Reinhard von Lohengramm)とヤン(楊威利=Yang Wen-li)という二人の英雄的な人物が退場し、銀河の歴史は一つの区切りを迎える。
物語として、あそこで終わるのは美しい。
だが、歴史として考えると、むしろ問題はそこから始まる。
ラインハルトが死んだ後の銀河帝国は、どうなるのか。
幼い皇帝アレクサンデル・ジークフリード(Alexander Siegfried von Lohengramm)は、どのように父の帝国を受け継ぐのか。ヒルダ(Hildegard von Mariendorf)は摂政的な立場で、どこまで帝国を支えられるのか。
ミッターマイヤー(Wolfgang Mittermeyer)やビッテンフェルト(Fritz Joseph Bittenfeld)のような功臣たちは、いつまで中枢に残るのか。ミュラー(Neidhardt Müller)のような若い将帥は、どのような形で軍を引き継ぐのか。
そして、自由惑星同盟は滅びても、ヤン・ウェンリーが守ろうとした民主共和主義の記憶は残る。ユリアン・ミンツ(Julian Mintz)やフレデリカ(Frederica Greenhill Yang)、アッテンボロー(Dusty Attenborough)、キャゼルヌ(Alex Cazellnu)たちは、新しい帝国の中でどう扱われるのか。
つまり、『銀河英雄伝説』の続きには、材料がないのではない。むしろ、材料は多過ぎる。問題は、その材料を本気で扱うと、もはや「銀河英雄伝説」ではなくなってしまう事にある。
ラインハルトとヤンが動かした時代は、英雄の時代だった。巨大な個人が、艦隊を動かし、国家を動かし、時代そのものを動かしていた。そこには大艦隊決戦があり、政治思想の対立があり、英雄同士の相互承認があった。
しかし、ラインハルトの死後に始まるのは、そういう物語ではない。
そこにあるのは、幼帝、摂政、功臣、官僚、治安維持、旧領統治、商業ネットワーク、亡国の記憶、そして死者たちの約束である。
つまり、英雄の物語ではなく、王朝政治の物語になる。
ラインハルトの生前は伝説・神話だ。
だが彼の死後、物語は歴史になる。
これは現実の歴史でもある事だ。
ラインハルトが生きている間、銀河帝国はラインハルトという天才によって動いていた。もちろん、彼の周囲には有能な人材がいた。
ヒルダ、ミッターマイヤー、ロイエンタール(Oskar von Reuenthal)、オーベルシュタイン(Paul von Oberstein)、ミュラー、メックリンガー(Ernest Mecklinger)、ビッテンフェルト、ケスラー(Ulrich Kessler)。
新帝国は、ラインハルト一人だけで成立した訳ではない。
それでも、中心にいたのはラインハルトだった。
彼の野心、彼の美貌、彼の才気、彼の怒り、彼の喪失、彼の勝利。そうしたものが、新しい帝国の推進力になっていた。だが、ラインハルトが死ぬと、帝国は一つの問いに直面する。天才が作った国は、天才なしで動くのか。これは、銀英伝だけの問題ではない。
歴史上、強い創業者が作った国家や組織は、必ずこの問題に直面する。創業者がいる間は、制度が未完成でも動く。人事が多少無理でも動く。周囲に矛盾があっても、創業者の意志と魅力と恐怖で押し切れる。
しかし、創業者が死んだ後は違う。
そこから先は、個人ではなく制度が問われる。
軍は、個人への忠誠から国家への忠誠へ移れるのか。功臣たちは、創業者への忠義を、その子や制度へ移せるのか。新しい支配層は、古い支配層を倒した後、自分たちが新しい特権階層にならずに済むのか。征服された地域の人々は、勝者の秩序を受け入れられるのか。
ラインハルトの死後の銀河帝国も、まさにこの問題に直面する。
だから、もし『銀河英雄伝説』の続編を本気で書くなら、それはラインハルトの後継者が再び大戦争に勝つ話ではない。むしろ、戦争に勝った後の国家が、どうやって壊れずに生き残るかという話になる。
これは、物語としては地味である。
だが、歴史としては極めて重い。
なぜ三国志演義の最終巻なのか?
ここで思い出すのが、『三国志演義』である。
『三国志演義』は面白い。
曹操(Cao Cao)、劉備(Liu Bei)、孫権(Sun Quan)、関羽(Guan Yu)、張飛(Zhang Fei)、諸葛亮(Zhuge Liang)、司馬懿(Sima Yi)といった英雄的な人物たちが、乱世の中でぶつかり合う処にある。
英雄が英雄として立ち、軍師が軍師として策を巡らし、国家が国家として生まれようとする。しかし、三国志の終盤になると、空気が変わる。
曹操もいない。劉備もいない。関羽も張飛もいない。諸葛亮も退場する。英雄たちの時代が終わり、後継者、官僚、摂政、軍閥、制度、正統性の処理が前面に出てくる。
そこから先は、英雄たちが天下を動かす物語ではない。
英雄たちが残したものを、後の世代がどう処理するかという物語になる。
『銀河英雄伝説』の続きも、恐らくそこへ行ってしまう。
ラインハルトが死に、ヤンが死んだ後、残るのは彼らの名前であり、制度であり、約束であり、後継者である。
つまり、続編を書くとすれば、それは三国志の最終巻に近くなる。
英雄たちの光はまだ残っている。しかし、その光は少しずつ歴史の中に沈んでいく。代わりに現れるのは、後継者の苦労、官僚の調整、軍人の退場、旧勢力の残滓、そして勝者と敗者の記憶である。
それは面白くないという意味ではない。
むしろ、本気で書けば、非常に面白い。
ただし、それはもはや、ラインハルトとヤンの時代の『銀河英雄伝説』ではない。ローマ帝国的に見ると、征服から維持へ移るもう一つ、ローマ帝国の補助線も使える。
ローマ史では、拡張の時代と維持の時代がある。強い皇帝や将軍が領土を広げる時代があり、その後に、広がりすぎた帝国をどう維持するかという時代が来る。征服する事と、統治する事は違う。
ラインハルトは、銀河を統一した。
しかし、銀河を統一する事と、統一された銀河を長期的に維持する事は別だ。旧帝国領、フェザーン、旧同盟領。そこには、それぞれ異なる記憶、利害、制度、文化、反感がある。軍事的勝利によって領土を押さえる事はできても、人々の記憶までは消せない。
ローマ的に言えば、ラインハルトの後に必要なのは、さらなる征服者ではない。必要なのは、広がった帝国を再編し、国境を定め、属州を管理し、軍を再配置し、征服された人々を帝国の中に組み込む政治である。
銀英伝の続編は、ここへ向かう。
艦隊決戦ではなく、行政と治安。
英雄の勝利ではなく、制度の維持。
だからこそ、書き難い。
書けば書くほど、英雄譚ではなくなるからである。
ここから先で考える事
ここから先で考えたいのは、単なる続編予想ではない。
ありえそうなシナリオを描き、もう一つの現実を描く事である。
このような事は無意味ではない。未来を読み解く力となる。
ラインハルト死後の銀河帝国が、歴史上の王朝と同じ問題にどう直面するかである。幼帝の帝国は、誰によって支えられるのか。
ヒルダ、メックリンガー、アンネローゼは、どのような役割を担うのか。
ミッターマイヤーは、なぜ自分から退く可能性が高いのか。ビッテンフェルトのような戦場の英雄は、平時の帝国でどう処遇されるのか。
なぜ若いミュラーが軍の中心になるのか。
フェザーンと旧自由惑星同盟の残滓は、新帝国の中でどう扱われるのか。
そして何より、ラインハルトとヤンの約束は、二人が死んだ後も守られるのか。『銀河英雄伝説』の続きは、書けないのではない。
書くと、あまりにも歴史になり過ぎるのだ。
ここから先では、その「歴史になり過ぎる続編」を、帝国の人事、制度、そして一つの会見から考えてみたい。

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