ヤン・ウェンリーはドナルド・トランプの部下になれるか?民主主義者提督がアメリカ三個空母打撃群を指揮する日
はじめに
本稿は田中芳樹氏の小説『銀河英雄伝説』(旧版)を前提にした思考実験である。原作本文からの引用、公式画像の使用、あらすじの再構成は、一切行わない。いわゆる二次創作でもない。(文字数15,583)
ヤン・ウェンリー(楊威利=Yang Wen-li)がこの考察の中心人物である。
ここで扱うのは、原作の場面を再現する事ではなく、ヤン・ウェンリーという人物像を、限りなく現代政治に近い、架空の権力構造の中に置いた場合、どのような摩擦が生じるかを考えるための考察である。
これはいわば、世にある異世界転生ものの逆バージョンである。ヤン・ウェンリーという架空の人物が、現代アメリカの軍人として生きていたら、どうなるか?という考察である。テーマとしては民主主義がある。
当方は、アメリカ人はではないが、レパブリカン寄りである。だがこのヤン・ウェンリーはデモクラッツである。正確にはデモクラッツ寄りだが。彼があの人格のまま、アメリカ合衆国の軍人として生きたらどうなるか?
これはそういう話である。
では始めよう。
ヤン・ウェンリーが、ドナルド・トランプの部下になったらどうなるか?
一見すると、かなり悪ふざけに見える。いや、悪ふざけ以外の何物でもない。あるいは、悪ふざけ以外の一体何だと言うのか?
民主主義を愛しながら、民主主義の政治家を殆ど信用していない軍人。戦争に勝てるのに、戦争を嫌っているアマチュア歴史家。英雄になれるのに、英雄扱いされることを最も嫌がる男。ヤン・ウェンリー。
そのヤン・ウェンリーが、第二期トランプ政権のアメリカで、統合参謀本部議長(Chairman of the Joint Chiefs of Staff)に指名されるのだ。
なお現実の話として、2026年5月時点ではダン・ケイン(John Daniel Caine)空軍大将が第22代統合参謀本部議長であり、統合参謀本部議長は大統領・国防長官・国家安全保障会議への最高軍事助言者であって、戦闘部隊への直接指揮権は持たないとされる。
だからこの記事の「三個空母打撃群を指揮する」は、その現実を踏まえた上での架空シミュレーションだ。嘘八百だ。大ぼら吹きだ。
またピート・ヘグセス(Peter Brian Hegseth)は戦争長官(Secretary of War)、マルコ・ルビオ(Marco Antonio Rubio)は国務長官(Secretary of State)として現実通り登場する。
しかも台湾有事の最中、三個空母打撃群を動かす立場に置かれる。
これは、ただの架空設定ではない。
むしろ、ヤン・ウェンリーという人物を現代アメリカに置いた時、民主主義のかなり嫌な部分も見えてくる。
民主主義とは、
美しい理念だけでできている制度ではない。
選挙がある。
世論がある。
メディアがある。
(Fake News!)
党派対立がある。
人気取りがある。
そして時には、自分が全く尊敬できない人物が、合法的に大統領になる。それでも制度を守れるか。ヤン・ウェンリーが本当に民主主義者なら、問われるのはそこだろう。
アメリカ版ヤン・ウェンリー
まずアメリカ市民としてのヤン・ウェンリーを考えてみる。
生まれは東海岸マサチューセッツ州。独立13州の一つだ。登録上は無党派。投票行動は民主党寄り。ただし民主党の党派的熱狂にも冷めている。共和党の権威主義化や反知性主義には強い警戒感。MSNBCよりNBC Nightly News、PBS、The Atlanticあたりを読む。
1974年生まれだ。
2026年時点で51歳か52歳。
統合参謀本部議長としては若い。
だが異例の抜擢なら成立する年齢である。
出自は華僑系アメリカ人三世。
名前表記は楊威利=Yang Wen-liだ。
本人の思考言語は英語。
第一外国語は北京語。
第二外国語はフランス語だ。
家庭内で中国語を聞いて育ったが、中共に親しみがあるわけではない。むしろ、過去の中華文明や東アジア史には関心があるが、現代の権威主義体制にはかなり冷たい。生き残った中華文明本流である台湾をこよなく愛する。
これは原作で、ラインハルト(Reinhard von Lohengramm)と約束した民主主義の島を残すという二人の約束が、前世の記憶のように効いている。
彼は東海岸の古い町で育った。勿論、紅茶の街ボストンだ。建国史、南北戦争、連邦政府、軍事施設、大学、古い図書館。そういうものが近くにある場所で、歴史だけを読んでいた少年だった。本人は西海岸が好きだったかもしれない。自由で開放されたリベラルで、デモクラッツの世界を。
ワシントンの政治臭さより、バークレーやロサンゼルスの大学街で、紅茶を飲みながら歴史の本を読む方が、ずっと性に合っている。だが大学は東海岸バージニア州にあるウィリアム・アンド・メアリーだった。
College of William & Maryはハーバード大学に次いで2番目に古い公立大学だ。最も入学が難しい大学 (Most Selective)とも言われ、アメリカの中でもイギリスに最も近い大学だ。ここで建国史とイギリスの法体系に触れる。
父親は古本屋の店主だった。母親は早くに亡くなっているので、家庭の記憶が薄い。ヤンは少年時代から政治家や軍人になりたかったわけではなく、歴史学者になりたかった。これは原作準拠だ。異世界転生だ。
アメリカの大学院は高い。大学院まで行く金がない。奨学金・ROTC・軍の教育制度を使う。気づいたら軍に入っていた。詐欺だ。歴史学者になりたかった青年は、奨学金と軍の制度に釣られて、いつの間にか軍服を着ていた。それでも歴史が研究できればいいかと、アーノルド・トインビーの『歴史の研究』を紐解く。仏教系大学にある大蔵経みたいなドでかい文献だ。
あるいはフランス語で、ジュール・ミシュレの『フランス史』か、アレクシ・ド・トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』かもしれない。いや、もっと現代的に、マックス・ガロの『フランス革命』と『ナポレオン』か。
いや、これは司馬遼太郎的かな。アカデミー・フランセーズだけど。でももしかしたら『資治通鑑』にチャレンジするかも知れない。読めない事で有名な本だ。読むには特殊な技能を要する。そして精神性をもだ。
大陸二千年の腐敗がそこにある。Máo Zédōngとは、偶然現れた男ではないとヤンは気が付くだろう。彼はコミュニストではないのだ。カール・マルクスの『資本論』など読んでいない。彼の愛読書は『資治通鑑』だ。
だから1949年以降の大陸の歴史はああなった。
まさに『資治通鑑』通りの歴史展開だ。
何の不思議もない。ヤンであれば、見抜くだろう。
このアメリカ版ヤンは新世界より、旧大陸の重厚な世界が好きなのだ。だから大学では歴史学を専攻する。だが大学院進学資金がなく、軍の制度で進学。のちに西海岸の大学院、たとえばUCバークレーかUCLAで軍事史・政治史を研究したかったが、任務で流れる。エル・ファシルだ。いや、違うが。

ヤンが西海岸が好きな理由は簡単だ。彼は多分、東海岸の政治臭さが苦手だ。D.C.、バージニア、メリーランド周辺は、政治・軍・シンクタンク・ロビイストの空気が濃い。ヤンはそこで育ったからこそ、その空気にうんざりしている。だから西海岸に憧れる。大学院も西海岸がいい。
西海岸は気候が穏やかで、人が少し緩く、古い権威への距離があり、大学街とカフェがある。太平洋を見ながら紅茶を飲める。ヤンが愛する訳だ。
多分SNSでこうつぶやく。
「ワシントンは歴史を作っているつもりの人間が多すぎる。
私は歴史を読む方が好きなんだがね」
う~ん。ヤンっぽい?
1990年代後半に軍へ入り、
2001年の9.11を若手将校として迎える。
以下、こんな感じのキャリアを積む。
ROTC経由で空軍入隊。
専門は作戦計画・宇宙作戦・軍事史。
戦闘機パイロットではなく、作戦幕僚型。
現場で偶然、危機対応に成功して出世。
本人は退役して大学に戻りたい。
でも毎回「君しかいない」と引き戻される。
アフガニスタンの不名誉な撤退では、最後の意地を見せた。
アフガニスタン、イラク、対テロ戦争、終わらない作戦、始めるよりはるかに難しい撤退。彼はそこで、戦争の勝ち方よりも、戦争の終わらせ方の難しさを覚えた。だから彼は、勇ましい軍人にはならなかった。
2003年イラク戦争、そして2004年のファルージャの戦い。満足な航空支援ができない市街戦で、陸軍の支援においてヤンは活躍する。不可能な命題を可能にする工夫がそこにはあった。現場は沸く、だが本人は醒めていた。
戦争を知れば知るほど、戦争を語る言葉に冷たくなる。
国家を知れば知るほど、国家が語る正義に慎重になる。
民主主義を信じれば信じるほど、民主主義の政治家を疑うようになる。
その結果、彼はとても扱いにくい軍人になった。
有能だが、忠誠心を芝居がかって示さない。
勝てるが、勝利を美化しない。
命令には従うが、命令した側が賢明だったとは限らないと、平気で言う。
こういう男は、どの政権でも嫌われる。
彼は「勇ましい軍人」ではない。
むしろ、軍人らしさを演じる人間が嫌い。
だから戦争長官ヘグセスとは全く合わない。
彼は左派活動家ではなく、制度派リベラルに近いが、本人は自分をリベラルと名乗りたがらない歴史家を自認すると思う。NBC Nightly Newsを夜な夜な見て、アンカーのレスター・ホールトを近所のおじさんのように親しむ。
これがアメリカ版ヤン・ウェンリーの異世界転生姿だ。
疑われ続けた男
ヤンは、長い間、疑われていた。
華僑系の姓。
北京語への理解。
東アジア軍事情勢への異常な読みの深さ。
戦争に対する冷めた態度。
政権への忠誠を声高に示さない性格。
それらは、彼を疑うには十分だった。
右派からは「本当に信用できるのか」と見られる。
左派からは「なぜ軍人なのか」と見られる。
彼は、どちらからも完全には信用されない。
だが皮肉な事に、台湾有事が近づくにつれて、彼を疑う理由は、そのまま彼を必要とする理由にもなっていく。彼は大陸を知らないから疑われたのではない。大陸を読めるから疑われた。
そして、緊迫した大陸情勢を読めるから、最後には必要とされた。この構図は、自由主義国家にとってかなり苦い。なぜなら、ここで試されているのはヤンの忠誠心だけではないからだ。
本当に試されているのは、アメリカの方だ。自由を掲げる国家は、自国の少数派をどこまで信用できるのか。民主主義を守ると言う国家は、その民主主義を守るために必要な人間を、出自だけで疑い続けないでいられるのか。
ヤン・ウェンリーを現代アメリカに置くと、見えてくるのはそこだ。
トランプ政権とヤン
ドナルド・ジョン・トランプ(Donald John Trump)、もうこの男について語るのはやめよう。パブリック・エネミー。アメリカ合衆国大統領にして、大統領弾劾される男。そして陶片追放か。現代のペルシアはどこか?
ドナルド・トランプとヤン・ウェンリーは、相性が悪い。
トランプは、直感と演出で政治を動かす。
ヤンは、歴史と制度と失敗例を見てから動く。
トランプは、勝利という言葉を好む。
ヤンは、勝利という言葉を疑う。
トランプは、忠誠を見たがる。
ヤンは、忠誠を芝居にする人間を信用しない。
では、二人は完全に敵対するのか。
そうならない。
トランプから見たヤンは、嫌な男だろう。
陰気。
皮肉屋。
テレビ映えしない。
演説がつまらない。
支持者に説明しづらい。
そして何より、自分を熱狂的に称賛しない。
だが、トランプはヤンを切れない。
なぜなら、ヤンは勝つからだ。
しかも、妙な勝ち方をする。
兵士を無駄に死なせない。
同盟国を過度に怯えさせない。
市場を必要以上に混乱させない。
敵に撤退の口実を残す。
そして、最後には大統領が「勝った」と言えるだけの結果を持ち帰る。
トランプにとって、ヤンは気に入らない。
だが、使える。
ヤンにとって、トランプは尊敬できない。
だが、選挙で選ばれた大統領である。
ここが面白い。
ヤンは、トランプの信奉者にはならない。
しかし、トランプが大統領であるという制度的事実は無視しない。
民主主義者とは、自分の好きな人物が選ばれた時だけ制度を尊重する人間ではない。嫌いな人物が選ばれた時にも、制度を壊さないようにする人間である。ヤンなら、そう考える。愚直なまでに。
ヘグセスとは絶対に合わない
ヤンはピート・ヘグセスとは、確実に合わない。
十字軍上りの戦争長官。戦闘的福音派と言うべきか。イスラエルの存在を聖書の予言(キリストの再臨)の成就とみなす「キリスト教シオニズム」的な視点を持つ。平和的なセブンスデー・アドベンチスト教会とは異なる。
ヤンが最も嫌うのは、軍事をよく知らないまま、勇ましい言葉で戦争を語る政治家である。だがヘグセスは、少なくともヤンの目には、中東情勢や戦争を「キリストの再臨や終末をもたらすための霊的・軍事的な聖戦(十字軍)」として宗教的・文明的な物語と結びつけて語る人物に見えるだろう。国家や軍事力と信仰を近づけるその姿勢は、ヤンとは決定的に相性が悪い。
だがピート・ヘグセスは現実の人間で、ヤンは架空の人間だ。笑えない現実がある。物語のキャラクターの方が現実的だったりする。ここで二人の信仰観について述べても仕方ないが、ヤンは死んだ母親の影響で、子供の頃、セブンスデー・アドベンチスト教会には通っていた。それで十分だろう。
アメリカで時々問われる信仰告白、キリストの再臨について聞かれても、
「よく分からない。カナダ辺りに生まれるんじゃないか?」とお茶を濁すのが関の山だ。あるいはエレン・ホワイトの一節でも言って逃げを打つか。
話をピート・ヘグセスに戻そう。
軍事には現実がある。
補給がある。
距離がある。
天候がある。
兵士の疲労がある。
誤射がある。
誤認がある。
そして、死者が出る。
だが政治の言葉は、それらを簡単に消してしまう。
「強さを示せ」
「敵に代償を払わせろ」
「圧倒的勝利を見せろ」
ヤンは、そういう言葉を聞くと、多分紅茶の量が増える。いや、紅茶入りブランデーの量が増える。このアメリカにはユリアンはいないのか?
彼は、臆病だから戦争に慎重なのではない。
戦争を知っているから、戦争を語る言葉に慎重なのである。
ヘグセスから見れば、ヤンは弱腰に見えるだろう。
士気を下げる。
勝利を信じていない。
敵に甘い。
国家への忠誠が薄い。
しかも華僑系で、台湾有事では本当に信用していいのか分からない。
ヤンから見れば、ヘグセスは危険に見える。
兵士の死をスローガンで包む。
戦略と演出を混同する。
勝利の定義を曖昧にしたまま、勝利を求める。
戦争を始める時の熱気は知っていても、終わらせる時の泥を見ていない。
二人が同じ会議室に入れば、衝突は避けられない。
“You sound like you are afraid of victory,” the Secretary said.
“No,” Yang replied. “I am afraid of people who think victory is a substitute for policy.”
ヘグセスは怒る。
だが、トランプが止める。
“Pete, I don’t like him either,” the President said.
“But he wins. And winning is very hard to fire.”
ここに、この物語の妙な痛快さがある。
ヤンは政権に愛されていない。
だが、有能すぎて切れない。
ルビオはヤンを評価する
この政権の中で、ヤンをかなり高く評価する人物がいるとすれば、マルコ・ルビオだろう。理由は簡単だ。
ルビオは外交を見る。
ヤンは軍事を見る。
だが、二人とも「戦争の出口」を見ている。
ヘグセスが勝利の演出を気にするなら、ルビオは勝利後の交渉を気にする。トランプが政治的勝利を気にするなら、ルビオは同盟国と敵国の反応を気にする。その時、ヤンの価値は単なる軍事的才能ではなくなる。
ヤンは、勝つために作戦を組むのではない。
終わらせるために作戦を組む。
これは外交にとって、とても重要だ。
敵を完全に叩き潰せば、相手は退けなくなる。
相手の面子を完全に奪えば、戦争は拡大する。
同盟国を過度に不安にさせれば、勝利しても秩序は崩れる。
国内世論を煽りすぎれば、次の大統領も後戻りできなくなる。
ルビオは、その危険を理解する。
だから彼は、ヤンを好むかどうかは別として、こう評価するはずだ。
この男は危険なほど皮肉屋だ。
だが、戦争を外交に戻す方法を知っている。
ヤンの最大の才能は、戦術ではない。
勝利を、政治的破局に変えない能力である。

上位者が消えていく
ヤン自身は、出世を望んでいなかった。
できれば退役したい。
大学に戻りたい。
西海岸の大学街で、戦史と政治史の本を読みたい。
たまに講義をして、学生から退屈そうな顔をされるくらいがちょうどいい。だが、ワシントンは彼を逃がさない。
政権内では、軍上層部の更迭が続いていた。
忠誠を疑われた者。
メディア発言を拾われた者。
作戦方針に異論を唱えた者。
大統領の意図を読み違えた者。
トランプ級戦艦の出現はその最たるものか。
原子力戦艦でレーザー砲とレールガンを装備する。
超極音速ミサイルもだ。海軍長官は一日で消えた。
あるいは、単に誰かに嫌われた者。
誰かが消えるたびに、ヤンは自分には関係ないと思っていた。
彼は政権に好かれる人材ではなかったからだ。
ところが、あまりにも多くの人間が消えた。
忠実な人間は残った。
だが、使える人間が足りなくなった。
勇ましい人間は残った。
だが、台湾海峡の地図を見て、作戦と外交の出口を同時に語れる人間は少なかった。そして最後に、最も信用されていなかった男の名前が残った。
夕方、ホワイトハウスから電話が来た。
ヤンは退役申請書の下書きを開いたまま、冷めた紅茶を見ていた。
大統領は、いつものように前置きを嫌った。
“Yang, I’m naming you the next Chairman.”
数秒の沈黙。永遠の時は短過ぎる。
“Mr. President,” Yang said, “that may be the least popular decision of your administration.”
電話の向こうで、大統領は笑った。
“That’s why it might work.”

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