ラテン語・古典ギリシャ語一節033
Omnis ars naturae imitatio est; itaque quod de universo dicebam ad haec transfer quae ab homine facienda sunt.
[ˈom.nɪs ars naːˈtuː.rae̯ ɪ.mɪˈtaː.tɪ.oː est | ˈɪ.ta.kʷe kʷod deː uː.nɪˈwɛr.soː diːˈkeː.baːm ad hae̯k ˈtrans.fɛr kʷae̯ ab ˈhɔ.mɪ.nɛ fa.kɪˈɛn.da sunt]
オムニス・アルス・ナートゥーラエ・イミターティオー・エスト。
イタクェ・クォド・デー・ウーニウェルソー・ディーケーバーム・アド・ハエク・トランスフェル・クァエ・アブ・ホミネ・ファキエンダ・スント。
All art is but imitation of nature. Therefore, let me apply these statements of general principles to the things which have to be made by man.
Tout art est une imitation de la nature. Et ce que je disais touchant l’œuvre de la nature doit s’appliquer aux œuvres de l’homme.
あらゆる学芸は自然の模倣である。したがって、私が宇宙全体について述べ
ていた事を、人間によって作られるべきものどもにも当てはめたまえ。
解説
omnisは形容詞(全ての)女性・単数・主格
「全ての」「あらゆる」と訳す。後ろのarsを修飾する。英語だとall art
arsは名詞(学芸)女性・単数・主格
「学芸」と訳す。英語だとartだが、古典ギリシャ語のτέχνη(テクネー)に近く、技術というニュアンスも強い。「制作技術」とも訳せる
naturaeは名詞(自然)女性・単数・属格
「自然の」と訳す
imitatioは名詞(模倣)女性・単数・主格
「模倣」と訳す。述語名詞として置かれている。
estはsum(~である)の直説法・能動態・現在・三人称・単数
「である」と訳す。copula(繋辞)のsum
文の構造としては、
All A(名詞) is B(名詞)
と言っている。
art is natureと言っている。
itaqueは接続副詞
「従って」「それゆえ」と訳す
quodは関係代名詞 qui, quae, quodで中性・単数・対格だが、先行詞がない。先行詞を明示しない、独立的な関係代名詞だ。英語の関係代名詞whatに相当
「~すること」「~したこと」「そのことを」などと訳す
deは前置詞
「~について」と訳す
universoは形容詞 universusが名詞化(宇宙全体・万物)中性・単数・奪格
「宇宙全体に」と訳す
dicebamは動詞dicebam(述べる)直接法・能動態・一人称・単数・未完了過去。quod dicebamは英語で言うと、what I was saying
「私は述べていた」と訳す
adは前置詞で対格を取る
「~へ」「~に対して」「~に適用して」と訳す
haecは指示代名詞hic, haec, hocで(これらは)中性・複数・対格
「これらのものへ」と訳す
transferは動詞transfero(移す)命令法・能動態・二人称・単数・現在
「移せ」「当てはめよ」と訳す
quaeは関係代名詞 qui, quae, quodで中性・複数・主格
先行詞は haec。haec quae ... sunt「~であるこれらのもの」と訳す
abは前置詞で奪格を取る
「~によって」と訳す
homineは名詞homo(人間)の男性・単数・奪格
ab+homineで「人間によって」と訳す
faciendaは動詞 facio(作る)の動形容詞で中性・複数・主格、または未来分詞・受動態・中性・複数・主格
「作られるべきものども」と訳す
suntは動詞sum(~である)の直接法・能動態・三人称・複数・現在
「~である」と訳す
文の構造としては、
transfer B’ ad A’
と言っている。
B’はquod de universo dicebam
(私が宇宙全体について言っていた事)
A’はhaec quae ab homine facienda sunt
(人間によって作られるこれらのもの)
したがって、
[私が宇宙について述べていたこと]を
[人間によって作られるこれらのもの]に
当てはめよ。
これは宇宙の法則が人間の制作物に適用されると言っている。
All A is B
transfer B’ ad A’
A:B≒A’:B’
あらゆる学芸(A)は自然(B)の模倣である。したがって、私が宇宙全体について述べていた事(B’)を、人間によって作られるべきものども(A’)にも当てはめたまえ。
学芸=人間によって作られるべきものども(未来という意味も入る)
自然=私が宇宙全体について述べていた事(過去に述べていた)
学芸(A):自然(B)=人間によって作られるべきものども(A’):私が宇宙全体について述べていた事(B’)
A:B≒A’:B'
Art is natureであり、人間によって作られるべきものども(未来)には、宇宙全体について述べていた事(過去)が適応される。
芸術が自然と言われても、日本人にはピンと来ないかもしれないが、発明品には宇宙の法則が当てはまるなら、ピンと来るかもしれない。
セネカは古代ローマ人だが、アリストテレスの議論を用いて、arsとnatureにはこのような関係がある事を説いたのだ。
Die Natur soll der sichtbare Geist, der Geist die unsichtbare Natur sein.
Schelling『Ideen zu einer Philosophie der Natur』1797
自然は見える精神であり、精神は見えない自然である。
シェリング『自然哲学のアイデア』1797年
これはシェリングの言葉だが、なぜ芸術が自然と言えるのか、間接的に説明している。自然は目に見える精神とは、造物主が、天地創造した惑星の大自然を、人間が神の箱庭の住人の立場から、見た言葉である。
そして我々の精神も、造物主が造ったものだから、天地創造された被造物の一つとしてある。ただし目に見えない自然として、存在する。自然は見える精神で物的だが、精神は見えない自然で霊的である。

以上
