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陸軍と海軍は、なぜ最後まで歩み寄れなかったのか――「組織の論理」が戦争を変えた【映像の世紀 バタフライエフェクト視聴メモ】

日本の戦争を語るとき、陸軍と海軍は別々の組織として存在していた。

今回、『バタフライエフェクト 陸軍VS海軍』を見て特に印象に残ったのは、単に「仲が悪かった」という話ではない。
陸軍と海軍が、それぞれ異なる戦争のビジョンを持ち、その対立が戦争の行方を左右していたことだった。

そして、最後までその対立はなくならなかった。


陸軍と海軍、最初から違っていた戦争観

1905年の日露戦争後、日本では二人の英雄が生まれた。
海軍の連合艦隊司令長官・東郷平八郎と、陸軍大将・乃木希典である。

乃木は権力を振りかざすことをよしとせず、戦場でも兵士と食事をともにすることで知られていた。

一方、東郷は寡黙で、兵士から畏怖される存在だった。海軍ではエリート主義が敷かれていたという。

陸軍と海軍は、文化そのものにも違いがあった。
そして、やがて戦争に対する考え方も大きく分かれていく。

陸軍は大国ソ連をにらみ、中国大陸への勢力拡大を重視した。
海軍はアメリカとの戦いを見据え、太平洋への進出を狙った。

それぞれがソ連とアメリカを仮想敵国に定め、軍拡を進めていった。

しかも陸海軍は、天皇の統帥のもと、政府の承認なしに独自の軍事行動をとることができた。
同じ日本の軍隊でありながら、二つの組織が別々の方向を見ていたのである。


満州事変が陸軍を、そして海軍を動かした

1922年、ワシントン海軍軍縮条約が締結され、戦艦や空母の保有量が制限された。
軍縮は陸軍にも及んだ。

しかし1931年、陸軍内にたまっていた不満が行動へ向かう。
満州事変である。

満州に駐留していた軍が、日本の鉄道が中国軍によって爆破されたと主張して攻撃を開始し、半年で満州を制圧した。
しかし、その鉄道爆破は自作自演だった。

陸軍は満州の資源をもとに軍拡を進め、欧米やソ連などの列強に対抗しようとした。そして満州の防衛を理由に、前年の2倍の予算を獲得した。

この動きは海軍にも影響を与えた。
海軍は1936年、軍縮条約から離脱。遅れていた航空戦力の開発を急ピッチで進めた。
その強化を推進していたのが、後の連合艦隊司令長官となる山本五十六だった。

陸軍でも航空戦力の研究が進んだ。
しかし、ここでも両者は別々に航空戦力を強化していた。


日米開戦へ。それでも二つの組織は別々だった

1937年、日中戦争が始まる。
陸軍が中国軍と衝突する一方、海軍は南へ進んでいった。

1941年、インドシナへ陸海軍の大船団が進むと、アメリカは自国領フィリピンへの脅威と受け取った。
アメリカは日本への禁油を行い、中国と東南アジアからの撤兵を要求した

陸軍は猛反発した。
一方、海軍はアメリカとの国力差を理解していた。

それでも海軍は、アメリカとの戦争を避けることができなかった。
これまで対米戦を想定して予算を獲得してきたからだ。

そして日米開戦が決定する。

真珠湾攻撃の1時間前には、陸軍がマレー半島に上陸。東南アジアで軍事作戦を開始した。
開戦直後の快進撃に、日本中が熱狂した。

しかし、陸軍と海軍の目指すものは違ったままだった。

陸軍は中国大陸での戦略を重視し、海軍はアメリカの反撃を警戒して短期決戦を望んでいた。


ガダルカナルで、対立の代償が表面化する

その違いが大きな問題となったのが、ガダルカナル島の戦いだった。

1942年8月、アメリカ軍が上陸し、海軍が建設していた飛行場を奪った。
飛行場を奪い返すには陸上戦力が必要だったため、海軍は陸軍に支援を求める。
しかし、足並みはそろわなかった。

海軍はアメリカとの艦隊決戦を優先し、陸軍の援護を後回しにした。
陸軍は敵を甘く見て、無謀な突撃を繰り返した

そして海軍は自らを省みることなく、陸軍の見通しの甘さを批判した。
互いに敗北の責任を取ることを恐れた結果、撤退の時期も逃していった。
死者は2万人まで増えた

それぞれの組織が、自分たちなりの論理で動いている。
しかし、その論理に固執することで、全体としては取り返しのつかない結果になっていく。


敗戦が決まっても、対立は終わらなかった

1942年6月のミッドウェーでは、主力空母4隻を失った。
しかし、その事実は国民には知らされなかった。
陸軍にも伝わったものの、前線には知らされなかった。

その後、1944年7月にサイパン島が陥落
1945年8月には広島・長崎への原爆投下、さらにソ連の満州侵攻によって、日本の敗北は決定的になった。

それでも陸海軍は歩み寄らなかった。

海軍には即時降伏の声がある一方、陸軍は中国大陸に兵力があることを理由に徹底抗戦を訴えた。
御前会議は紛糾し、最後は天皇自らが降伏を決断した。

戦争の最後の段階まで、二つの組織は同じ方向を向くことができなかった。


戦争が終わっても「縦割り」は残った

戦後、軍は解体され、軍人たちは国を破滅に導いた存在とみなされた。

しかし敗戦から5年後、冷戦の緊張のなかで再軍備へ向かう。
1950年に警察予備隊が発足し、1952年には海上警備隊が創設された。
1954年には自衛隊が発足し、再び陸と海、二つの組織が並び立つ体制が引き継がれた。

また、企業には元軍幹部も入っていった。

伊藤忠商事会長を務めた瀬島龍三もその一人だった。
そして番組は、戦争が終わっても「組織の縄張り意識」がなくなったわけではないことを示していた。
国家の省庁にも縦割りがあり、横のつながりが薄い。


今回の学び

今回、歴史を学んでいて特に印象に残ったのは、陸軍も海軍も、それぞれが自分たちの論理で動いていたことだった。

「なぜアメリカとの国力差を理解していた海軍が開戦を避けられなかったのか」
「なぜ敗北が見えてからも陸軍と海軍は歩み寄れなかったのか」

番組を見て、その疑問が残った。

そして、その答えの一つとして見えてきたのが、組織そのものが持つ論理だった。
優秀な人たちが集まっていても、組織がそれぞれ別の方向を向けば、全体として正しい判断ができるとは限らない。

陸軍と海軍の対立は、戦争が終わって消えたわけでもなかった。

歴史を振り返ると、戦争という極端な状況の中で生まれた「組織の論理」や「縦割り」という問題が、戦後の社会にも残っていることに気づかされる。
今回の番組を通して、戦争の歴史だけでなく、なぜ一つの組織、一つの国が誤った方向へ進んでしまうのかを考えさせられた。

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