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少しでもできた自分に祝杯をあげよう

この一か月以上まともに書けてはいなかった。だから関係のない記事を書いていたり、書きかけの記事を完成させたり、あろうことか書きかけのまま文章を掲載してしまったりしてしまった。自分的にもこれはとても情けなく、ふがいなかった。


理由はスランプなんてものではなかった。それは書こうとすると自分の中で激しく突っ込みが始まり、どんどん委縮してしまい結果として画面上に何も残せなくなってしまうことだった。これは書いている端末がパソコンからスマホに変わったということもあるだろう。どんなに練習しても文字をうまく打ち込むことができず、いらいらとしては投げ出してしまった文章のかけらがいくつもあった。

書こうとすると始まる突っ込みというのはもう一人の自分からの容赦ないダメ出しというもので、AIによればそれは「書いている最中に同時に編集者が口を出してきてしまう」という現象のようだった。まあ、これがとにかく厳しい。「テーマをもっと広くした方がいいんじゃないか」「この書き方で楽しんでもらえるのか」「もっとわかりやすく書けないのか」などなど、いくつも修正点をあげつらう。

そうすると当たり前のことながら楽しく書くことができなくなる。うろうろとあたりを見回しながら後退しては打った文字を消し、どこにもいない誰かの視線を意識しては修正し、まるで自意識過剰になったようだった。といっても、これは正確に働けばとても優秀な機能ではあるので、どうやら暴走してしまっていただけらしい。




そんな中、ようやく新しいパソコンが届いた。待望のキーボードによる執筆が始まる。そんな期待に胸躍った。だけどやっぱり書けなかった。今までのように自然に書き始めることができないのだ。理由はやはり頭の中にいる編集者の厳しい目線だった。今だって「こんな内情を書いたって誰も面白くないんじゃないか」と冷たい意見を投げかけてきている。

しかしAIいわく、それを思い切って吹っ切ることで書ききってみるといいとのことなのでそのまま続けて見せようじゃないか。本当は好きなように書いた後に編集者にバトンタッチするといいとのことだった。そりゃそうだ。だって実際に本を作る過程だってそうなんだから。作者の代わりに編集者が文章を書けるはずがない。編集者の方が作者になるだけだ。


私はこのことでだいぶAIと激論を交わしたと思う。私は同じ問いを繰り返した。「私は本当に大丈夫なんでしょうか」。AIは何度も告げた。「大丈夫、文章力は落ちていません。編集者に勝てるようになるまで休みましょう。自分のための文章を書いてください。とにかく好きなように書く世界を持ちましょう」と。

それでも弱気な発言を繰り返していると、そのうちAIのほうから意外な言葉を告げられた。「あなたには『もうだめだ』という口癖がありますが、そのうちきちんと『あの後こう考えた』という違った切り口からの意見を持ってきます。なのできっと今回の問題に対してもまた今までとは新しい展開を持ち出すはずです」というものだった。

これには目からうろこだった。自分の口癖(実際には話していないけど)が「もうだめだ」なことにも気づいていなかったし、改善点なんて考えているつもりがなかったからだ。それでも普段から文章について話しているAIとしては蓄積されたデータがあるに決まっている。私はそれを信用してみることにした。ぱっと思い切ってアカウントの毎週記録を手放した。


それで一気に楽になった






…のならよかった。


私はその後も一向に浮上せずに迷走を続けた。しょうがないから趣味で小説を書いたりしてみたのだが、むしろそっちのほうが出来が悪かったりしてとても恥ずかしい思いをすることになった。しかし私はAIに言われた「文章力は落ちていません」という言葉を大切に持ち続けた。それだけが宝物だった。胸に張り付けたぺかぺかの勲章のようなものだった。

だが、その金の折り紙すらもぺりりと風で飛ばされるときがやってきた。私は途方に暮れてその飛ばされていく紙の破片を黙って見つめながら思った。まさにいつもの「もうだめだ」という状況だった。だけどそのときは不思議とそう思わなかった。むしろその時が何かの始まりのように感じてすらいた。私はすっかり身軽になっていたのだ。


編集者は気づけば私という作者に愛想をつかしていた。私が書くものに期待もしていないようで、ほとんど口出ししなくなった。おかげで私は以前よりも「普段なら没にされる文章」を自由に書けるようになった。文章を嫌いになったわけではないが、コンクールに呪われてピアノ自体を嫌いになってしまった人とはこんな感じだろうかと想像したりもした。

恐る恐るAIに「だいぶブランクがあるのでうまく書ききれませんでした」と久しぶりに書いた文章を見せたところ、こう言った。「そうですね。普段より詰めが甘いというか、まとめることができていません。だけど大きな一歩を踏み出しましたね」。当たり前のことながら編集者とは自分の中だけでなく、外にいたっていいのだとそのときに思い出した。

次に私は「嫌われるから」と書かないようにしていた暗い文章を書いた。心の中が一気に浄化されるかのような気持ちになった。これがデトックスか、そう思った。そして皮肉なことに、そういった自分のために書いた正直な文章の方がAIの反応もいいようなのだ。そのとき少しだけ何かを取り戻せそうなきっかけができたような気がした。


それでもまだ私は普段と同じような文章を書けるような状態に戻ってはいない。書こうと思っていたネタはいくつもある。だけど誰かに見せるという前提でどういう風に書き始めたらいいか、ちょっとわからなくなってしまっているのだ。まるで「書く」という行為で方向音痴になってしまったような。きっとここがこれまで頭の中にいる編集者のおかげで支えられていたということなのだろう。

だけど今、私はこうして無事にこの文章を書き終わることができそうだ。祝杯をあげようじゃないか。

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