人の人生について思うこと
大阪へ帰ると冬が来ていた。
兄を送り、諸々を済ませて故郷愛知から大阪へ早い夜に戻って来た。
兄が一緒でなければ、ふらりと大阪の夜に紛れ込んでしまいたい気持ちもあったが、またにしようと自宅にまっすぐ向かった。
人間の生きることと死ぬことを考えてきた15年間だった。誰もが経験する生と死、その間に誰もがさまざまな経験をし、多くの人と関わりを持つ。楽しいこともあり、苦しいことも辛いこともある。そして、望んでこの世に出てきた人間はたぶん一人もいないのであろう。
そう考えれば、この世は苦楽を乗り越えるための修行の道場であり、いばらの峠でもあり、快楽の満ちた楽園なのかも知れない。
私がここまで生きてきて分かったことは、誰の人生にも苦があり、楽があることである。傍から見ればその苦や楽は違って見える。それは『となりの芝生』と同じなのである。当事者でなければその苦しみや楽しさは分からない。だから、どんなに金を持っていようともどんな極貧に嘆こうとも、実はその楽しみは苦しみでもあり、その苦しみの後に生まれ出る楽しみは分からない。だから、あんがい人間は皆平等なのかも知れない。
私の兄の障害は後天的なものである。母のちょっとした気のゆるみから、帝王切開を避けて自然分娩に挑んで兄に生涯降ろせぬ障害を背負わせた。
でも、今回三河田原の葬儀屋のご高齢の女性社長と話していると「ご自身で産みたかったのね」と仰った。
男の私がこれまで考えてみたことも無かったことだったのである。
私の母に自然分娩を勧めた母の親友と聞かされていた元助産師の女性を10年間ずっと恨み続けていた。生涯封印しようと母は考えていたのだろうが、アルツハイマーに侵された母の口から10年前にポロっとそんな事実が出てきたのである。
兄の葬儀は私一人で行った。
親戚は皆遠方である。兄に友人はもちろんいない。郷里の私の友人にも施設の皆さんにも丁重にご辞退を願った。死んだ兄の顔を見られたくはない。元気な笑顔を記憶していて欲しい。それに優しい声をかけられて泣き出す私を見られたくない。だからご辞退いただいた。
三河田原での兄の旅立ちの日は快晴だった。築5年の荼毘所は人口6万に満たない地方都市にしては立派だった。世界のトヨタの恩恵はデカいようだ。そして、他の客は一人もいなかった。広くて白い待合でまだ新品に近い畳の上で横になった。大きな窓を開け放てば山の麓の冷たい空気がなだれ込んできた。
1時間ほど死んだように眠ったのである。そしてその時に母の気持ちを考えていたのである。葬儀屋の女性社長の言葉を思い出していたのである。母の親友を許せる気持ちになったのである。
もうその方もこの世にはいない。今頃きっと雲の上で兄を迎えて母と三人でお茶でも飲んでいるのであろう。
そう思って荼毘に付された兄に向って手を合わせたのである。
兄はやっとあの世で楽に生きれるようになりました。多くの方にご心配をいただき、心から感謝します。
施設のたくさんの介護士の女性たちが兄の見舞いに来てくれました。本来はルールで禁止されている施設からの入院患者への見舞いだそうです。
兄が愛されキャラだったと聞き、本当に嬉しかったです。両親が他界し、私が施設に送ったのですが、兄に良き人生を経験させることが出来たようです。もちろん辛いこともあったでしょうが、だからなおさら楽しみを楽しく感じてくれたのでしょう。
辛さが多すぎたでしょうが、「まあまあ平等な人生だったよな」そう会話して兄と別れました。
