言い切らないやさしさと、言い切るやさしさの話
こんにちは、みほです。
最近の私は、わざとふんわりとした文章を書いていました。
人の「言い切り」が、強く聞こえてしまうことがあって。
誰かの「こうした方がいい」を受け取ると、
私の中ではいつのまにか
「こうしなければならない」に変わってしまう。
だから書くときも、
これを読んだ人が、何か背負わないように。
わたしの言葉が、誰かの義務にならないように。
そう思って、言葉の角を削り続けていました。
先日、「答えを渡さない」という記事を書きました。
考えなくさせる優しさより、考える力を信じたい。
本気でそう思ったからです。
私は今、中庸=ちょうどいい、という視点を軸に発信しています。
でも、中庸を「正解」として、広めたいわけではありません。
正直に言うと、最初の頃は違いました。
「中庸で生きれば、きっと楽になる」
そう信じていたから、迷わず言い切れたし、勧めることもできた。
でも今は、できません。
正解にしてしまったときの、
あの苦しさを知ってしまったから。
だから私は、これは私の場合だし、
あなたに当てはまるかどうかはわからないし…
そんな前置きばかり書くようになりました。
その結果、何が起きたか。
やさしくはなったけれど、
どこに立っている人なのか、
何を大切にしているのか、
私自身が、見えなくなっていました。
ここで、ひとつ気づいたことがあります。
私が違和感を抱いていたのは、
「正解」として差し出す言い切りであって、
「私はこう思う」という言い切りではなかった。
言い切らないことが、
いつもやさしさとは限らなかったみたいです。
「私はこう思う」と差し出すことが、
かえって、相手を自由にすることもあるから。
私は今も、中庸=ちょうどいい生き方 っていいな、と思っています。
中庸は、
自己犠牲しがちで、完璧主義で、
正解を探し続けて疲れてしまった人が、
自分の感覚を取り戻すための
ひとつの視点になりうると、本気で思っています。
それを、私は差し出したい。
まだ、言い切るのはこわい。
でもそれでも、私は私の言葉で、
立ってみようと思います。
今日も、ちょうどいいを探してる🪴
最後まで読んでくださって、ありがとうございました🌿
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