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「調和」は人の生まれ持った願いなのか──『進撃の巨人』と中庸をめぐる思考

こんにちは、みほです。

偶然テレビで「進撃の巨人」の広告を見て、無性に気になっています。

発表当初から社会現象になるほどの作品ですが、リアルで刺激の強い描写のアニメが見られないたちのわたしは、完結した今でも本編を一度も観たことがありません。

それでも、完結したと聞いて、

「どんな物語だったんだろう」
「なぜ、ここまで多くの人の心を掴んだんだろう」

と気になって、あらすじだけを読んでみました。

すると思いがけず、わたし自身がずっと考えてきた「中庸」と深く重なる気づきがありました。
今日はその思考ログを書き残しておこうと思います。

※ここから先は、進撃の巨人のネタバレを含みます。

※わたしは原作・アニメ未視聴で、あらすじを読んだ上での考察です。
なので全く見当違いで、役に立たないかもしれません。
その点をご理解のうえ、読みたい方だけどうぞ🌿

↑こちらのあらすじと、考察を参考にしました。


物語の前提として知っていたこと

原作もアニメを観ていないわたしでも、断片的に知っていたのは、こんなことでした。

  • 人喰いの巨人が、人間の暮らす世界を襲ってくること

  • 主人公エレンは、幼い頃、母親を巨人に目の前で殺されていること

  • 壁の中の人々は、巨人を討つために戦っていること

主人公のエレン・イェーガーは、
理不尽な暴力に満ちた世界の中で、仲間とともに「敵」である巨人と戦い続けます。

巨人はどこから来るのか。
なぜ人を襲うのか。

理由もわからないまま、ある日突然、大切な人が奪われる。
そんな世界に生まれたら、絶望しかないですよね。


「敵」そのものになってしまった主人公

物語の途中で、エレン自身が「巨人の力」に目覚めます。

自分が憎み、倒すべき存在だと思っていたものに、自分がなってしまう。
それは、相当な混乱だったはず。

それでもエレンは、その力を使いながら戦いを進め、やがて真実に辿り着きます。

  • 巨人は、人によって生み出された存在であること

  • 巨人になれるのはエルディア人だけであること

  • 彼らは迫害を受け、生き延びるために戦わざるを得なかったこと

誰もが、自分たちの「正義」のために。
家族を守るために。
生きるために。

その結果として、争いが連鎖していた。

こんな世界を前にして、
「全部壊してしまいたい」
そう思う気持ちが生まれるのも、納得でした。


エレンの選択と、その行き着いた先

真実を知ったエレンは、自ら「進撃」を始めます。
自由を得るために選んだ行動は、壁の外の人類を滅ぼすことでした。

アニメイトタイムズより引用

行動の表面だけ見れば、それはあまりにも過激で、「頭がおかしくなってしまったのか?」とも取れる、自己中心的な選択にも見えます。

けれど、物語の終盤で明かされるのは、
エレンが人類の戦いが始まる前、ある「計画」を立てていたという事実です。

それは、自分が巨人の力を一身に集めた存在となり、
最終的にミカサの手によって殺されることで、
この世界から「巨人の力そのものを消す」こと。

その結果、エレンを討った仲間たちは英雄となり、
巨人のいない世界を導く存在になる。

あらすじには、エレンの意図がはっきりと言葉にされているわけではありません。
なので、こうすることが「エレンの真意だった」とは言い切れません。

それでも、戦いが始まる前に計画が立てられていたこと、
そして結果として、世界から巨人の力が消えたことを考えると、
エレンは少なくとも、「自分がどう終わるか」を含めて、未来を選ぼうとしていたのではないか。

わたしには、そう読めました。

そして物語は、エレンが立てていた計画の通りになり、終焉を迎えます。


「自由」ってなんだろう

あらすじでは、

「エレンは自身の自由を得るために進撃を開始した」

アニメイトタイムズより引用

と説明されています。

エレンが求めた「自由」ってなんだろう、と考えていて、辞書を引きました。

じゆう
【自由】《名・ダナ》
他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること。

Oxford Languages and Googleより引用

この意味を踏まえても、エレンは自分の力をわがままに振るうために、見せつけるために「進撃」したとは、わたしには考えられませんでした。

エレンが求めた自由とは、

巨人の力を、誰かの思想や計画のためではなく、
「自分が思い描いた理想の世界を実現するために使うこと」

ジークの思惑でもなく、
世界の戦争の流れに身を任せることでもなく、

「この力は、自分の意思で使う」と決めることだったのではないか。

わたしには、そんなふうに感じられました。


自由と破壊、その奥にあったもの

エレンは、理想を強く持ち続けていたキャラクターのようです。

「誰にも縛られない世界」
「敵も人もおらず、まっさらで平らな景色」

その理想と、あまりにもかけ離れた現実とのあいだで、
彼は悩み、足掻き、心を引き裂かれ続けていたのだと思います。

「地鳴らし」は、結果として多くの命を奪う行為でした。
決して肯定できるものではありません。

それでも、
それが単なる自己中心的な破壊だったのか、
それとも、理想と現実、利己と利他のあいだを、どうにか繋ごうとした末の選択だったのか。

わたしには、
後者の可能性を、完全には否定できませんでした。


「調和」を選んだ、という仮説

もし、エレンにとっての自由が
「自分の意思で力を使うこと」だったのだとしたら。

エレンは、自由を求めた末に、
「地鳴らし」によって
ただ「すべてを壊そうとした」のではなく、

自由を最後まで求めながら、
この世界に調和の可能性を残す道を選んだ

とも読めるのではないか。

自分が世界の敵となり、討たれることで、
争いの根源であった巨人の力を、この世から消す。

それは、
自分の幸せと、みんなの幸せが重なる場所を、
必死で探し続けた末の選択
だったのではないか。

わたしは、そんな仮説に辿り着きました。


わたし自身と「中庸」との重なり

「進撃の巨人」で描かれているテーマは、
わたし自身の人生や、暮らしの中で考えてきた「中庸」と、深く重なっている気がします。

わたしもこれまで、たくさんの理不尽を経験してきました。

「こんな世界、大嫌い」

そう思ったこともあります。

自分一人の力ではどうにもできない、大きな流れ。
社会の「こうあるべき」に押し潰されそうになる感覚。
自分のほうがおかしいんじゃないかと思えてしまう瞬間。

「頑張っても報われない」

そんな現実を何度も見て、
「もう自分のためだけに生きる」と、極端に振れたこともありました。

でも、自分の幸せだけを追いかける生き方も、どこか違った。
それだけでは、満たされなかった。

エレンもまた、
理想と現実、利己と利他のあいだで苦しみながら、
その“あいだ”を探して、どうにか繋ごうとしていたのではないか。

わたしには、そう思えました。

中庸とは、極端の”あいだ”で揺れながらも、
橋をかけ続けようとする視点だから。

「自分の幸せだけでいい」

そんな気持ちで、エレンが進撃したとはわたしには思えません。

エレンも、理想と現実の間で苦しみながら、
自分だけ満たされても虚しいし、誰かだけ満たされても辛い。
“みんなが少しずつ楽になる道”を探したい。

そんな中庸型の幸せを望んでいたような気がするから。


おわりに

調和を求めることは、人の生まれ持った本能なのか。
それとも、傷ついた末に辿り着く場所なのか。

その答えは、わたしにはまだわかりません。

ただ、
壊すことと、守ること。
自由と、つながり。

そのあいだで悩み続けたエレンの生き方は、
わたし自身がこれからも考え続けたい問いと、確かに重なっていました。

もう少し、この問いと一緒に考えてみようと思います。

今日も、ちょうどいいを探してる🪴


最後まで読んでくださって、ありがとうございました!


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