ハシゴを、かけ直せ。 ~ドーパミンに近づきすぎた時代に、「時間のかかるモノ」を選び直す~
どれだけ
速く登るかより
どの壁を選ぶか
安易な快楽から離れ
時間をかけて
人生をつくるための
思考法
▼はじめに
「やらなければいけない事は
分かっているのに
なぜか始められない」
という感覚について
考えることが増えた。
仕事。勉強。運動。読書。
文章を書くこと。
どれも、やれば
自分のためになる。
それなのに、机に座ると
スマートフォンを触る。
少しだけ動画を見る。
通知を確認する。
また別の動画を見る。
気づけば時間が過ぎている。
そして
「今日も何もできなかった」
と、自分に少し失望する。
僕はこれを、単純に
「意志が弱い」で
片づけたくない。
なぜなら
今の世界はあまりにも
簡単に刺激を受け取れるように
なっているからだ。
スポーツは、自分で
プレーするものから
観戦するものになり
さらに「賭けるもの」へ。
映画は、作品を
一本観るものから
いつでも消費できる
ストリーミングへ。
そして今は
数十秒の動画を
次々と指で送る。
欲しいものは
ほとんど待たなくていい。
だからこそ
「時間をかけなければ
手に入らないもの」だけが
妙に難しく感じられる。
今回、このことを考える
きっかけになったのが
海外のYouTuber
クラーク・ケグリーである。
▼クラーク・ケグリー
という人物
クラーク・ケグリーは
自己成長、習慣、心理
アイデンティティなどを
テーマに発信する
アメリカのYouTuber
起業家・コーチである。
自身の公式サイトによれば
彼は失業や借金を経験した後
自分自身の変化に取り組み
その過程を発信してきた。
現在は100万人を大きく超える
YouTubeチャンネルと
7桁規模の
コーチングビジネスを
運営している。
ただ、彼の発信で
僕が面白いと思うのは
単なる「もっと頑張れ」という
自己啓発ではないところだ。
最近の彼の発信には
「知っているのに動けない」
というテーマが
何度も登場する。
彼は、それをすべて
「怠け」とは考えない。
場合によっては
そもそも目標が
自分のものではなかったり
恐れや過去の思い込みが
行動を止めていたりする
と考えている。
今回の「ドーパミン」の話も
実はそこにつながっている。
▼僕たちは
「努力」が嫌いに
なったのではない
ドーパミンという
言葉を聞くと
「快楽の物質」
というイメージが
先に浮かぶかもしれない。
しかし、クラークが
紹介する考え方では
ドーパミンは単純な
「気持ちよさ」だけではなく
欲求や動機づけ
特に
「これから
得られるものへの期待」と
深く関係している。
だから、問題は
ドーパミンそのものではない。
問題になるのは
ほとんど努力せずに
強い刺激だけを
何度も受け取る状態
である。
スクロールする。
動画を見る。
またスクロールする。
次の刺激が来る。
その瞬間は楽しい。
でも、その後に
「よし、今から本を読もう」
と自然に思えるとは限らない。
むしろ
何となく疲れている。
何もしたくない。
そして
また刺激を探す。
クラークはこれを
「ドーパミンの穴」と
表現している。
彼自身も、強い刺激に
引っ張られていた時期を
振り返り
そこから
抜け出す過程を
発信している。
ここで重要なのは
「楽しいものを全部捨てろ」
という話ではない。
そうではなく
「すぐに満たされるもの」
ばかりが、自分の人生の
楽しみになっていないか。
という問いである。
▼人生を変えるものは
だいたい「遅い」
ここで、僕たちが抱える
もう一つの
問題が見えてくる。
人生を
大きく変えるものほど
結果が出るまでに
時間がかかる。
筋トレ。読書。勉強。
文章。仕事。人間関係。
どれも同じだ。
今日やったから
今日変わるわけではない。
一週間では
まだ分からない。
一か月続けても
「これで人生が変わった」とは
感じないかもしれない。
だから途中に
「本当に
意味があるのか?」
と思う期間がやってくる。
クラークは動画の中で
ここを「Quit Zone」と
表現している。
諦めるゾーンだ。
一方、短い動画なら
数十秒で報酬が来る。
だから脳にとっては
「数十秒で
刺激が来るもの」
と
「数年後に
人生が変わるかも
しれないもの」
では
競争条件が違いすぎる。
ここで僕たちは、自分の意志力を責める。
でも、本当は
「未来にある報酬を
待つ能力」が
弱くなっている
だけなのかもしれない。
クラークは別の発信で
依存と時間的視野の研究を
紹介している。
そこで示される「9日」と
「4.7年」という時間軸の差から
依存が未来への視野を
縮める可能性を説明している。
もちろん、日常的な
スマートフォン利用と薬物依存を
同一視する話ではない。
重要なのは
短期的な報酬ばかりを
優先すると
長期的なものへの
関心が薄れていく
という視点である。
そして
これはかなり怖い。
なぜなら
僕たちが欲しい人生は
たいてい「9日」の
外側にあるからだ。
▼その目標、本当に
あなたのものか?
そして、ここから
話が一段深くなる。
もし刺激を減らしても
どうしても
努力できないなら。
もし習慣をつくっても
どうしても
続かないなら。
もし
「もっと規律が必要だ」
と自分を追い込んでも
何年も前に進まないなら。
一度
「そもそも、これは
本当に僕が
欲しいものなのか?」
と考えたほうがいい。
クラークは最近の発信で
これをかなり
率直に語っている。
彼自身、学生時代に
自分が選んだ専攻が
嫌いだった経験を振り返り
「学ぶこと」が
嫌いだったのではなく
「学んでいる内容」が
自分に合っていなかった
と気づいたという。
だから、どれだけ
意志力を使っても
苦しかった。
これは
「努力不足」ではない。
方向の問題だった。
ここに、僕たちが
見落としやすい罠がある。
間違った方向へ
進んでいるとき
「もっと頑張ろう」
という言葉は
ときに問題を解決しない。
むしろ、苦しさを増やす。
クラークが使う
「間違った壁にハシゴをかける」
という比喩が
ここで効いてくる。
どれだけ速く登っても
壁が違えば
目的地には近づかない。
▼「なぜ?」を
三回掘る
だから
何かを
本気で手に入れたいと
思ったら
「どうやって?」の前に
「なぜ?」を掘ってみる。
「起業したい。」
なぜ?
「お金をもっと稼ぎたい。」
なぜ?
「自由な時間が欲しい。」
なら、本当に必要なのは
「起業」なのだろうか。
「身体を鍛えたい。」
なぜ?
「自信を持ちたい。」
なぜ?
「人から認められたい。」
なら、本当に必要なのは
「体脂肪率を
限界まで下げること」
なのだろうか。
ここまで掘ると
目標と目的が
入れ替わっていたことに
気づく場合がある。
僕たちは
「手段」を「目的」だと
思い込むことがある。
そして、その手段を
達成するために
何年も自分を追い込む。
もしそれがズレていたら
苦しいのは当然なのだ。
▼意志力より
「摩擦」を変える
方向が合っている。
それでも続かない。
そのときは
意志力ではなく環境を見る。
クラークが提案する
考え方の一つが
「摩擦」である。
やりたくないことには
摩擦を増やす。
やりたいことには
摩擦を減らす。
スマートフォンを
別の部屋に置く。
不要なアプリを消す。
買い物は24時間待つ。
反対に
本を机の上に置く。
運動着を前日に準備する。
朝一番に取り組む仕事を
決めておく。
これは「自分に勝つ」
という話ではない。
自分が
負けやすい環境を
最初から変えてしまう。
意志力を英雄にしない。
環境を味方にする。
この発想は
かなり現実的である。
▼「やめる」だけでは
空白が残る
もう一つ
僕が好きだったのが
「楽しみにするものを
増やす」
という考え方だ。
クラークは
ドーパミンの穴から
抜け出す過程で
「まだやっていないけれど
楽しそうなこと」
を100個書き出し
一つずつ実行した経験を
語っている。
即興演劇のクラスに
通ったことなども
その一例だ。
これは大事だと思う。
スマートフォンを
取り上げるだけでは
空白が残る。
だから
「何をやめるか」
だけではなく
「何を楽しみにするか」
まで考える。
来週、友人と会う。
気になっていた店へ行く。
本を読む。映画を見る。
何かをつくる。
知らない場所へ行く。
人生そのものに
「次の楽しみ」を
置いておく。
すると、刺激から
逃げるためではなく
人生を楽しむために
時間を使える。
▼おわりに
今回の話を通して
僕自身が一番
考えさせられたことがある。
僕たちは
「努力できる人」になる
必要があるのだろうか。
もしかすると
その前に必要なのは、
「努力する価値のある
方向を選ぶこと」
なのかもしれない。
そして
その方向を選んだら
「すぐに報われない時間」
を受け入れる。
数十秒の快楽と
数年後の人生を
同じ天秤に乗せない。
僕たちが
欲しいものの多くは
遅い。
だからこそ
価値がある。
すぐに届かないから
積み上げた人にしか
届かない。
すぐに完成しないから
途中で残った人の
ものになる。
だから、これから
僕は何かが続かないとき
「もっと頑張れ」ではなく
まずこう考えてみたい。
「これは、本当に
僕の目標なのか?」
そして
「僕のハシゴは
正しい壁に
かかっているか?」
もし答えが「はい」なら
あとは小さく続ける。
スマートフォンを置く。
一時間だけ集中する。
一ページ読む。
一回だけ運動する。
一日では変わらない。
一週間でも、たぶん
大きくは変わらない。
でも
その「変わらなさ」を
越えた先にしか
見えないものがある。
安易な快楽を
敵にする必要はない。
ただ
今日の自分を満たすものと
未来の自分をつくるものを
同じ「快楽」として扱わない。
その違いに
気づけるだけでも
人生の時間の使い方は変わる。
僕自身も
まだその途中である。
だからこそ
「もっと頑張れる自分」
ではなく
「本当に行きたい場所へ
自然と歩き続けられる自分」
をつくっていきたい。
人生で大切なのは
どれだけ速く
登ったかではない。
そのハシゴを
どの壁にかけたかである。
