一反の田んぼで作られる、7300回のいただきます。
田んぼ一反から、8俵のお米が採れるとする。
一俵60キロなので、全部で480kg。
お茶碗一杯を、生米でだいたい65gとすると、約7300杯。
つまり、一反の田んぼから、7300回の「いただきます」が生まれる。
一日三食、毎食お米を食べても、一年間で約6人分になる。
もちろん、田んぼによって収量は違う。
品種も違えば、天候でも変わる。
どうも
まだ収穫は少し先なのに、皮算用を始めたナオです。
農業をしていない人には、「一反」と言われても、たぶんよく分からない。僕も農業を始める前なら、「一反? まあ、田んぼ一枚くらい?」
で終わっていたと思う。
一反は、およそ1000平方メートル。
だいたい30メートル×33メートルくらい。
決して小さくはない。
でも、6人が一年間食べる米を作る場所と言われると、急に小さく見えてくる。
僕たちは毎日、何かを食べている。
腹が減れば、冷蔵庫を開ける。
米がなくなれば買いに行く。
スーパーには、だいたい米がある。
だから僕もずっと、「食べ物がある」というところから考えていた。
その食べ物が、どれくらいの土地から生まれているのかなんて、考えたこともなかった。
最近、僕たちは米の値段にずいぶん振り回されている。
ニュースでも見る。
スーパーでも感じる。
「前はもっと安かったのに」
「あれ?少し落ち着いてきた?」
という声も聞く。
それ自体は当然だと思う。
毎日食べるものだから、1000円、2000円の違いは家計に響く。
僕だって、自分が買う側なら安いほうがありがたい。
だから、「農家は大変なんだから高くても黙って買ってくれ」
なんて話をしたいわけではない。
むしろ僕が気になっているのは、
僕たちは食べ物の値段は知っているのに、食べ物の量をあまり知らない
ということだ。
5kgがいくらかは知っている。
でも、5kgの米が何杯分なのか。
家族が一年で何kg食べるのか。
その米を作るのに、どれくらいの土地が必要なのか。
僕自身、農業を始めるまでほとんど知らなかった。
値段だけが、生活とつながっていた。
その向こう側は、ずいぶん遠かった。
一反の田んぼから480kg採れるとする。
30メートル×33メートルほどの土地が、6人の一年分の米を作る。
そう考えると、田んぼの見え方が少し変わる。
田舎を車で走っていると、田んぼなんていくらでもある。
僕も昔はそう見ていた。
ただの風景だった。
春になれば水が張られて、夏には緑になって、秋には黄色くなる。
きれいだな。
それくらいだった。
今は、その一枚を見ると、
「ここで、何人が一年食べられるんだろう」
と考えることがある。
そうすると、ただの景色だったものが、巨大な食料庫に見えてくる。
だからといって、「日本人全員、一反ずつ田んぼをやろう」
なんて言うつもりはない。
作る人がいる。
運ぶ人がいる。
売る人がいる。
食べる人がいる。
それでいい。
全部を自分でやる必要なんてない。
ただ、自分が生きるために、どれくらいの場所が必要なのか。
それくらいは、一度知ってみてもいいと思う。
僕らは、自分のスマホが何GBあるのかは知っている。
車がリッター何km走るのかも知っている。
家のローンがあと何年残っているのかも、できれば忘れたいけれど知っている。
でも、自分が一年生きるために、どれくらいの田んぼが必要なのか。
これは意外と知らない。
僕も知らなかった。
農業を始めてから、田んぼは「米を作る場所」ではなくなった。
そこには、何百日分もの朝ごはんがある。
何百回もの「いただきます」がある。
子どもがおかわりする一杯も、おにぎりにして持っていく昼飯も、風邪をひいた日に食べるお粥も、全部、最初は泥の中に立っている一本の稲だった。
一反の田んぼで、6人が一年食べられる。
その数字を知ったからといって、明日の暮らしが何か変わるわけではない。
米が安くなるわけでもない。
草刈りが楽になるわけでもない。
ただ、次に田んぼの横を通ったとき、今までただの景色だった一枚が、少しだけ違って見えるかもしれない。
それで十分だと思う。
今日も田んぼには、「いただきます」が静かに実っている。
