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「傷つく」という称号

蓬(よもぎ)です。

先日、広島に行ってきました。
目当ては、お芝居を観に行くこと。
2年前とある演劇祭で知り合ってお世話になった先輩が、個人企画をひっそりと旗揚げするとのことで、わたしもひっそりと観に行きました。結果1番遠方からの観客ということで全然ひっそりしていませんでしたが。笑

今回のnoteはその感想、というわけではないのですが、劇を観て触発された内容にはなるかと思います。
そしてすべてわたしのことです。決して、あの劇を創った彼女の思いを代弁するものではありません。


幸せになるのが怖い

たぶん、セリフまんま引用です。

これ、すごく分かるんですよね。状況は違えど、わたしも純粋に「幸せが怖い」と思ったことがなんべんもあります。

わたしの場合は、幸せになる資格がないと思っている。幸せになったらバチが当たるから怖い。そういう思いが1番強くあります。
それと、一度知ってしまった幸せがこわれた時自分がどうなるか想像つかないから怖い。もう二度と立ち上がれなくなるかもしれないから怖い。
壊れるくらいなら最初から不幸なほうがいい。
……なんて理由もあるでしょうか。

じゃあ反対に、不幸になるのはどうか?
ここでは「傷つく」ことを不幸の主題に据えましょう。

傷ついたら、その傷自体の痛みはある。傷ついたことに対して怒りや後悔を覚えたりも、最初はする。
でもそれ以上にほっとする。痛くされたことに、傷ついたことに。傷ついたらそのぶんだけ自分がここにいる意味を感じられるし、優しくされる権利を得られた気持ちになれる。
正直に言って、痛みが連れてくる心地よさに酔っている面もあるのかもしれない。痛みを伴わない表現は良作にならないと思っているから。表現者として、傷を歓迎しているところはある。念を押しますがこれはわたしの話ですよ。

自分が傷ついて泣いて泣いて、やっと掴み取った幸せでもずっと幸せだと怖いしたまに傷つかないと不安になる。

そんなに痛みに依存しているのに、ひとりぼっちは嫌。受け入れてくれなくてもいいから、誰かの存在を感じてたい。

きっとそんな自分のことを心から愛せないから、幸せから逃げたいのでしょうね。

そんなことを考えながら、広島駅方面のバス停を探して横川駅周辺をふらついていた先週の蓬でした。

もうひとつ、「誰かの1番になること」についても考えさせられた劇だったのですが、そのテーマについて書いてみたら非常に長くなったので、またの機会に。

余談ですが、翌日は平和記念資料館に行きました。見たところほとんど外国人ですね。外国人観光客の後ろに並んで入館したら自分まで英語で挨拶されました。
薬の副作用で気持ち悪くならないか心配でしたが、人混みとショッキングな展示も合わさって吐き気の要因がどれか分からないまま館内を回りました。これ実質副作用なかったことになるのでは?

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