孟子の思想をわかりやすく|性善説・王道政治・浩然の気の3本柱
孟子の思想は、性善説・王道政治(と易姓革命)・浩然の気という3本柱で見ると全体像がつかみやすくなります。孔子の教えを受け継ぎながら、より実践的で熱量の高い言葉に組み替えた思想家というのが孟子の位置づけです。
今回、原文と現代語訳を照らし合わせながら読み直したのが、岩波文庫の小林勝人訳注『孟子』でした。上下巻に分かれた読みごたえのある一冊で、章句ごとの解説がついているぶん、独学でも迷いにくい構成になっています。
性善説は、人には生まれつき善の芽が備わっているという考え方です。
四端: 惻隠(人を憐れむ心)・羞悪(不正を恥じる心)・辞譲(譲る心)・是非(善悪を見分ける心)という4つの芽生え
四徳: 四端を育てていくと、仁・義・礼・智という4つの徳につながっていくという道筋
由来: 孟子は前372年頃〜前289年頃(諸説あり)の思想家。孔子の孫弟子筋にあたる子思の門人に学んだと伝わる
性善説と聞くと「人は生まれつき善人だ」という話に聞こえますが、原文を読むと言っているのはもう少し慎重で、あくまで「善に育つ芽がある」という話でした。芽をどう育てるかは、この後の柱にもつながっていきます。
性善説の延長として、孟子は政治のあり方についても踏み込んで語っています。
王道: 徳によって民の心を得る統治のあり方。力で押さえつける覇道と対比される考え方
井田法: 田畑を区切って民に分け与える、孟子が理想とした社会の仕組み
易姓革命: 天命を失った君主は交代してよいという考え。孟子はこれを理論として組み立てた思想家とされる
とくに印象的だったのが、斉の宣王との対話です。「仁を賊なう者は賊、義を賊なう者は残という。残賊の人を一夫と呼ぶ。一夫紂を誅したとは聞くが、君を弑したとは聞いていない」(梁恵王下)と述べ、暴君の追放は主君殺しではないと言い切っています。読んだとき、思ったより過激な思想家だという印象を持ちました。
浩然の気は、孟子と弟子の公孫丑の対話(公孫丑上)に出てくる言葉です。
定義: 道義とともにあるという確信から生まれる、天地に満ちるほど大きく揺るがない心のあり方
養い方: 義を積み重ねる地道な実践でしか育たず、外から取ってきて身にまとえるものではないと孟子は説いた
この章には、稲の苗を早く伸ばそうと無理に引っ張って、結局枯らしてしまった宋人の話(助長の由来)も出てきます。焦って結果を急ぐと逆にしぼむという教えで、心構え一つの話ではなく、育て方の話として語られている点が興味深く読めました。
孟子といえば「仁義」という2文字も外せません。
仁: 他者を思いやる心。四端でいう惻隠が育ったもの
義: 正しい筋道を通す心。四端でいう羞悪が育ったもの
有名な場面: 梁の恵王に「どうすれば国が利するか」と問われ、孟子は「なぜ利を先に言うのか、仁義があるだけだ」と返したという逸話(梁恵王上)
利益より先に仁義を語れという構えは、当時の戦国という時代背景を思うと、かなり強気な提案だったはずです。それでも一貫して仁義を軸に置き続けたところに、孟子の思想の芯の強さを感じます。
孟子の思想は、儒教の枠を超えて後の時代にも影響を残しています。
易姓革命の発想は、幕末の思想史でもたびたび参照され、統治の正統性を問い直す論拠として使われてきた
「性善説で考える」「性悪説で考える」という言い回しは、今もビジネスやマネジメントの文脈でよく使われる
自分がこの言葉を初めて意識したのも、実は経営や組織運営の話題の中でした。元をたどると2000年以上前の孟子の議論にたどり着くと知って、思想の息の長さに驚いた覚えがあります。人をどう見るかという問いは、時代が変わっても古びないのだと思います。
孟子の思想の要点を整理します。
性善説は、人にはもともと善に育つ芽があるという考え方
王道政治と易姓革命は、徳による統治と、失政した君主の交代を正当化する思想
浩然の気は、義を積み重ねることでしか育たない、揺るがない心のあり方
3つに共通しているのは、人や統治者の「育つ可能性」を信じたうえで、その育て方まで具体的に語っている点だと感じました。読み比べると、性善説は理想論ではなく、地に足のついた実践論として書かれています。
気になる章から拾い読みしてもいいので、原文と現代語訳が並ぶ一冊を手元に置いておくと、孟子の言葉を自分のペースで読み進められます。
