66歳、知らない言葉に出会う
今日、ひとつの言葉に出会いました。
「一即一切・一切即一」
(いっそくいっさい・いっさいそくいち)
華厳の思想を表す言葉だそうです。
正直に言えば、私はこの言葉を知りませんでした。
しかも、私よりずっと若い人たちが、ごく自然にこの言葉を使っている。
「こんな言葉も知らなかったのか」
少し恥ずかしくなりました。
66年間生きてきて、医師として42年間仕事をしてきました。
医学については、それなりに勉強してきたつもりです。
救急医療の現場で、命と死について、ずいぶん考えてきました。
それでも、知らないことだらけです。
考えてみれば、当たり前のことなのですが。
一つの中に、すべてがある
「一即一切・一切即一」。
簡単な言葉にすれば、
「一つはすべてにつながり、すべては一つにつながっている」
という華厳の世界観を表した言葉です。
もちろん、これだけで深い仏教思想を理解したことにはなりません。
でも、この言葉を知ったとき、私は救急医療のことを思いました。
一人の人が倒れる。
家族が119番をする。
救急隊が走る。
病院では医師や看護師たちが待つ。
一人の命のために、たくさんの人が動きます。
そして、その一人が助かることで、家族の人生も変わります。
私は長い間、「一人の命」を救おうとしてきました。
でも、一人の命は、本当は「一人」ではなかったのかもしれません。
家族がいて、友人がいて、仕事仲間がいる。
一人の後ろには、たくさんの人の人生があります。
そう考えると、
一即一切・一切即一。
少しだけ、この言葉が自分の人生に近づいてきました。
知らないことは、恥ずかしいことなのか
そして、もう一つ考えました。
66歳になって初めて気づきました。知らないことに出会う喜びは、その先にあるのです。
知らないことに出会ったとき、
「こんなことも知らなかった」
と恥ずかしくなる必要はないのかもしれません。
むしろ、
「まだ知らないことがあった」
と考えればいい。
これは結構、楽しいことです。
しかも、今は素晴らしい時代です。
Googleがあります。生成AIもあります。
知らない言葉に出会った瞬間に、
「これはどういう意味?」
と聞くことができます。
そこから興味を持ったら、本を読めばいい。
専門家の話を聞けばいい。
原典に近づいていけばいい。
学ぶための入口が、こんなにも身近にある時代を私は生きています。
66歳になって、これはかなり幸運なことなのではないかと思います。
66歳からの、新しい実験
これから、知らない言葉に出会ったら、少し立ち止まってみようと思います。
調べる。
考える。
自分の経験と重ねてみる。
そして、ここに書いてみる。
すぐに理解できなくても構いません。
間違って理解したら、また学び直せばいい。
そうやって、自分の知らなかった世界を一つずつ覗いていく。
これも、私がこれからやってみたい新しい実験なのかもしれません。
66歳になっても、知らないことは山ほどある。
ということは、
これから知ることのできるものも、山ほどある。
そう考えると、66歳という年齢が、新しい出発点に見えてきます。
今日覚えた言葉。
一即一切・一切即一。
明日は、また何に出会えるでしょうか。
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