オンフィールドレビュー ~主審の決断~
数万人の声の中で、答えを出すのは、たった一人。
JSLカップ決勝。
京都ユナイテッド対神戸シーガルズ。
後半四十二分。
スコアは一対一。
延長戦の気配が濃くなり始めた頃だった。
京都ユナイテッドのエースフォワードが左サイドからペナルティーエリアへ切り込む。
神戸シーガルズのセンターバックが追う。
私は斜め後方から二人を見ていた。
十分な角度だと思った。
……思った……。
フォワードがボールを前へ出した瞬間、ディフェンダーの足が伸びる。
次の瞬間、フォワードが派手に倒れた。
スタジアムが爆発する。
「PKだ!」
「勝手に転んだだけだ!」
歓声と怒号が渦を巻く。
私は両腕を前へ出した。
プレー続行。
ボールはそのままゴールの外へ転がり出た。
ゴールキックの笛を吹いた。
ブーイングが降り注ぐ。
京都ユナイテッドの選手たちが一斉に私へ詰め寄る。
「今のはPKだろ!」
神戸シーガルズの選手たちも負けじと声を上げる。
「触ってない!」
「勝手に転んだだけだ!」
誰もが私に答えを求めていた。
……だが……。
見えたか?
いや。
見えなかった。
正確には、見えたつもりだった。
だが接触の決定的な瞬間だけが、選手の身体に隠れていた。
私はインカムへ声を送る。
「見えていたか?」
副審から返事が来る。
『見えていない』
短い返答だった。
『選手が重なった。接触の有無は確認できない』
「了解」
胃の奥が重くなる。
その時だった。
『チェック中』
VARの声が入る。
私はゆっくり息を吐く。
「了解」
観客席のざわめきが大きくなる。
大型ビジョンには「VAR CHECK」の表示。
数万人が結果を待っていた。
私も待っていた。
『接触の可能性あり』
「そうか」
『複数アングル確認中』
数秒が異様に長い。
汗が首筋を流れる。
『レビュー推奨』
私は即答した。
「レビューを行う」
両手で四角を描く。
歓声と悲鳴が同時に上がった。
私はピッチ脇のモニターへ向かう。
画面が点灯する。
『通常速度』
映像が流れる。
京都のフォワード。
神戸のディフェンダー。
接触。
転倒。
私は眉をひそめた。
「もう一度」
映像が繰り返される。
「別角度は?」
『ある』
画面が切り替わる。
私は腕を組んだ。
「……微妙だな」
思わず独り言が漏れる。
『接触は確認できる』
VARが言う。
「接触だけならファウルじゃない」
『了解』
冷静な声だった。
感情はない。
あるのは事実だけだ。
『後方アングルを出す』
映像が変わる。
私は前のめりになる。
「止めてくれ」
静止画。
足の位置。
ボールの位置。
重心。
視線。
頭の中で一つずつ整理する。
落ち着け。
歓声は忘れろ。
ユニフォームも忘れろ。
京都でも神戸でもない。
ただ二人の選手だ。
『どう見える?』
「まだ断定できない」
『再生する』
映像が動く。
私は目を細めた。
そして。
「あ……」
声が漏れた。
見えた。
今まで見えなかった一点。
神戸のディフェンダーの足先が、ボールへ届く前にフォワードの足首へ接触している。
ほんの一瞬。
しかし確実だった。
『確認できるか』
VARが問う。
私は黙る。
もう答えは出ていた。
だが念のため、もう一度見る。
主審だからだ。
責任を負うのは私だからだ。
「もう一回」
『再生する』
映像が流れる。
同じ結論だった。
私は小さく頷く。
「十分だ」
『判定は?』
私は画面から目を離した。
「ペナルティーキック」
『了解』
その一言で通信は終わった。
私はピッチへ戻る。
すると神戸シーガルズのキャプテンが真っ先に歩み寄ってきた。
「確認できましたか?」
その表情には緊張と諦めが入り混じっていた。
私は短く答える。
「接触を確認した」
「そうですか……」
私は続けた。
「映像で確認した」
彼は小さく頷く。
私はペナルティーマークを指差した。
それが私の最終判定だった。
「ペナルティーキックだ」
その瞬間、スタジアムの空気が一変する。
京都ユナイテッドの選手たちが歓声を上げる。
神戸シーガルズの選手たちは肩を落とす。
当然だ。
だが判定は人気投票ではない。
誰が喜ぶか。
誰が怒るか。
そんなことは関係ない。
私が見るのは競技規則と事実だけだ。
それでも。
胸の奥にはいつも重みが残る。
もし見落としていたら。
もし別の角度があったら。
そんな考えは消えない。
だが決断しなければ試合は進まない。
私はペナルティーマーク付近へ歩く。
キッカーがボールを置く。
ゴールキーパーがゴールライン上で膝を曲げる。
副審と目を合わせる。
準備は整った。
スタジアム全体が息を潜めている。
私は笛を口元へ運ぶ。
主審としての責任を肺いっぱいに吸い込む。
そして――
ピーーーーーーーッ。
(終わり)
